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アラブ界レジェンド歌手ウンム・クルスーム - カイロまでの道 -

聴衆はウンム・クルスームの歌声を求めるようになっていきます。

そして、父親の代わり家族楽団の中でリード歌手を務めるようになっていきました。

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父親であるエイブラハム:2,3年前までは、パーティごとに報酬が5-10ギルシュ多くても15 ギルシュであったが、今日は1日で150ギルシュもの報酬があった。

ウンム・クルスームのお陰だ。兄も素晴らしい歌声だが、人々は彼女を求め、我々は彼女がいるから雇われるのだ。

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今までは常に徒歩で時には何時間も歩きましたが、父親は彼女の為にドンキーを購入。

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父親は、自分が小さい頃にトレーニングをしなかった為に歌い手として活躍出来る年数がトレーニングをした人よりもかなり短くなったことを後悔していました。

ウンム・クルスームには、いつまでも歌えるようにと強い声と長い呼吸の為のトレーニングをさせました。

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ある裕福な家でのパーティに招待され、ザカリヤー・アフマド Zakaria Ahmedと出会い、彼を家に招待しました。

演奏家であり作曲家であるザガリヤーは、彼女の声と才能を褒め、カイロにくれば私が訓練をすると言いました。

後に、ウンム・クルスームの為に作曲も手掛けました。

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ウンム・クルスームが憧れていた歌手アブルアラー・ムハンマド Mohamed Abo Al-Elaに偶然出会い、彼を家に招待しました。

彼女に、声を一番大切なものとして、神からの贈り物として生きなさいと言いました。

また、ザカリヤー・アフマドがカイロに行くことを勧めたが父親が迷っていたのを聞き、カイロに来れば私を頼りなさいとも伝えました。

後に、ウンム・クルスームにアラブのクラシック音楽を教えます。

ところで、2人ともクルスームが父親に招待して欲しいと頼み、家に招待することになります。

願いを行動に移し、自分の手でも運命を切り開く強い女性だと思いました。

エイブラハムは、カイロの聴衆は位が高く、自分の街の聴衆とは違うので、自分達が受け入れられるかどうか心配でならず、カイロに行くことを躊躇していましたが、ウンム・クルスームはカイロへ導かれていきます。

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その直後、1914年にカイロでの盛大なパーティに雇われ行くことを決心します。

カイロでの初舞台。

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その後、幾度かカイロを訪れた後、1923年にウンム・クルスームは生まれ育ったタマーイ・アッ=ザハーイラ村からカイロへ移り住みました。

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赤い点がタマーイ・アッ=ザハーイラ村。
その下にカイロがあります。

そして、カイロに移り住んだ後、演奏者とも共演するようになり偉大な芸術家としての道を歩んでいきました。

次に続く☆

回路での初舞台までの字幕付きエピソード

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Happy dancing :)

Nahoko Sugiyama

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