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足し算の文化と引き算の文化

フランスに来て、常々不満なことがある。

それまでトントンとうまくいっていたのに、最後の最後で覆る事が多すぎるということ。

「なんでそれもっと早く言ってくれないの!?」

不当に扱われた気がしてとてもストレスがたまる。

事前に、「こういう可能性もありますので、その場合はご了承くださいね」みたいな打診が一切なく、土壇場で手のひらを返されることが多い。

例えば、小さい仕事の面接に行って採用された場合も、「あなたならこんな事ができるし、うちはこんな活動もやってるからこれも一緒にやってほしいし、こんな人にも紹介しますよ」みたいにトントン拍子に進んで、いざ契約!という段階で、「でもフランス語ができないからまずは試用期間になります」と言われる、みたいな。


最初の頃はそれでいちいち落ち込んで「不当に扱われた・・・」「軽く見られた・・・」と嘆いたり、きちんと自己主張ができなかった自分を責めたり・・・。

でも、これ、個別のトラブルというより、フランスと日本の文化差が背景にあるような気がするんだよなー。

夫の先輩がおもしろい話を教えてくれた。

カーナビの話である。

日本のカーナビを想像してほしい。あれって、最大限リスクを加味して、どんなに渋滞しても確実にその時間には到着できるっていう時間を、予想到着時間として表示しますよね。だから大抵、予想到着時間より早くに到着できますよね。

でもフランスのカーナビは逆で、渋滞もなく最高にうまくいった場合はこの時間に着けます、という時間を表示するらしい。だから大抵その通りにはいかなくて、ナビの表示した時間には着けないらしい。

なんだか、この差がフランス人の思考と日本人の思考の差を凝縮しているような。

最初に、最悪の事態も想定しておいて、そこから加点方式でなんとなく最初の想定よりは上手くいくことが多い日本と、最初に最高の事例を想定しておいて、そこから徐々に減点されて、右肩下がりになってしまうフランス。

足し算文化と引き算文化。


他にもこんなことがあった。

フランスに来てしばらくして、私はあることで入院した。そのとき、私はフランスの社会保険に加入申請中で、まだ無保険だった(恐ろしや〜)。病院では、入院する前の通院期間からソーシャルワーカーさんが付いてくださって、保険の申請について手助けをしてくれた。彼女は、私が保険に加入できるよう尽力してくれ、入院費についても、どうにか保険適用にできないか手を尽くしてくれた。
事情がとてもややこしかったので、いろんなところに掛け合い、管轄をまたぎ、来ない返事を待ち続けた。
私が「全額自己負担の可能性もありますよね・・・」と聞いても、ソーシャルワーカーさんは「そんなことはありません」ときっぱり言ってくれた。いつも「最善を尽くしましょう」と励ましてくれた。とても心強かった。

ただ、私は知りたかった。もし、全額自己負担になったらいくらになるのか?その心づもりをしておきたかったのだ。最悪、この金額を支払えばいい、という一番最悪の事態を想定しておかないと、怖くて仕方なかった。

でも、病院に聞いても、保健局に問い合わせても、結局誰もわからなかった。皆が言うのは、「申請中だったなら、払わなくていいんじゃない?」ということ。でも、現実はもっとややこしくて、結局この問題は今も片付いていない(恐ろしや〜)。

この時に思ったのも、「フランスって最悪のケースはどうなるかってことを誰も教えてくれない」ということ。

なんだかみんなが希望的観測に基づいて動いている気がする。

うーん。

日本と比べて、どっちがいいとか悪いとかではないけれど、

これもまた私が馴染んで行かないといけない思考形態なのかもしれない。

こう考えると、最初の仕事の面接の話も、別に、最後の最後まで悪い条件を隠しておいて、土壇場で切り出す卑怯な手口!とかそういうことではなく、単なる文化差として割り切るのが良いのかもしれない・・・。

うーん、フランス人って根が楽天的なのだろうか?

以前、フランスの出生率の高さについてある記事を読んだ。そこには社会保障の手厚さとか諸々の条件はもちろんあるけど、一番に、フランスの親は「子ども達が大きくなった時には世界はもっと良くなる!」というのを無条件に信じている、だから子どもを産むことをためらわない、とあった。この説、あながち間違っていないかもしれない。


パリのドタバタ日記はこちらです→
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