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「あたりまえ」は奇跡だということ

私は常日頃から切なさを感じながら生きている。家族や友人と別れるときはいつも「もしかしたらこれが最後かもしれない」という思いが頭をよぎる。もう2度と戻ってこない時間。昨日まで一緒にいた人が今日はこの世にいない現実。それでも世の中は昨日と変わらず動いていくけれど、大事な人を失ったときは、いつも使っているコップ1つにしても、昨日と今日とではまったく別のものに見え方が変わってしまうのだ。

大きな災害や事故があるたびに思い出す言葉が2つある。1つは29年前の阪神大震災のときにかけてもらった言葉。震災後、ほんの少し離れた場所だったというだけで、私はいつもどおりの生活ができていることに罪悪感を感じていた。お金を入れれば自販機で簡単に飲み物が手に入る。今日もお風呂に入って温かい布団で眠ることができる。小学校に避難している友人もいるのに私はこれでいいんだろうかと。そんなことを2歳年上の先輩に話したところ「いいんやって。私らは私らのいる場所で自分が本来やらなあかんことを一生懸命にやる。今はそれが私らがやるべきことなんやって」と言われた。その言葉は29年が経とうとしている今日も、今やるべきことを私に教えてくれている。

もう1つは大好きな谷川俊太郎さんの詩。結局は当事者でない限り本当の意味で悲しみを理解することなんてできないんだと思い知らされた言葉。周りができることはせめて心で寄り添うことくらい。だから当事者でもない私は落ち込んでないでしっかりしなきゃと背中を叩いてくれる。

その人の悲しみをどこまで知ることが出来るのだろう
目をそらしても耳をふさいでもその人の悲しみから逃れられないが
それが自分の悲しみではないという事実からもまた逃れることが出来ない
心身の洞穴にひそむ決して馴らすことの出来ない野生の生きもの
悲しみは涙以外の言葉を拒んでうずくまり こっちを窺っている

夜のミッキー・マウス|谷川俊太郎「五行」より抜粋

今の私にできることは被災地の方を思いながら目の前にある自分のやるべきことに集中すること。正しい情報を見極め、募金や寄付という形でできる応援をする。そして、あらためて「今」というときを大切に。
 会いたい人には会えるうちに。
 伝えたいことは言葉にして。
 やりたいことは先延ばしにせず全部やる。
いつどこで次の災害が起こるかわからない日本では「あたりまえ」の日常は奇跡なんだから。


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