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「英会話できます」じゃないバスツアー#2

<2023年5月 ホバート@タスマニア 市内観光バスツアー顛末>


展望台を出て、さらに山のてっぺんに向かう。今度の下車先は少し「観光地化」している様子。
どういう訳だかレスキュー隊の面々が大勢集っている。聴こえてくる会話を総合すると、なにか野生動物が出たためにパトロールをしているらしい。「わからない」「知らない」ことの利点を知る。クマが出るぞと言われてもネズミが出るよと言われても聞き取れなかっただろうから。(ほんとヤバい)

ひそやかな山の植生が興味深い。見たこともないような木々がならび、大きな草が枯れたまま立っている。ぬかるみを避けて慎重に歩く。時々雨がぱらつく。かなり寒い。ダウンベストも着込んだのに。
地域の歴史説明パネルが飾られている小屋があるにもかかわらず、小さな山小屋ふうのコーヒーショップの列に思わず並んでしまった。これがいけなかった。長く時間がかかった。数百円をクレジットカードで決済したあとに「名前は?」と尋ねられる。この国では名乗らないとコーヒーも買えないのか?といぶかると、「できあがった時に名前で呼ぶからさ」と言われ、気が抜ける。
寒い、を連発するわたしにDさんは辛抱強く一緒に待って下さり、仕事で?観光で?なぜオーストラリアに?タスマニアを選んだわけは?と質問が投げかけられる。It’s hard to explainというレベルの返答しかできないのがもどかしい。実際、自分でも説明はつかなかった。今思えば別に全部正直に語らなくてもよかったのだけれど。
Dさんはバスに戻るなり「遅くなって申し訳ない、寒くてコーヒーを買う時間が必要だったんだ」とわたしに代わって同乗の面々に説明してくれた。ほんとうにすみません・・・

バスは、来たのとは違う道を下っていく。古くからある蒸留所とレストラン。通り過ぎるだけなのがもったいないおしゃれな造り。もしかしてわたしのコーヒーがなければ降りる時間もあったのだろうか?
大きなプライベートスクールと思われる中国語の看板があり、それを囲むように、最初に見た家々なんぞ比べものにならないような、近代的な豪邸がつづく。それから、タスマニア大学のキャンパスと、その周りの研究機関、その周辺の住宅。山の中腹にあるその学生街はひっそりとしながら、うら寂しい感じはなく、窓越しにもここにいたら研究が進みそうだ、という根拠のない空気の静謐さを感じた。

バスは少しずつ山を下り、海べりを走る。ガイドは続く。時折、車内に笑いの波が起きる。もちろん何を言っているのか、笑っているかわからないが、Dさんのジョークに応えているらしいことは理解する。言語がわからないことが、心地よい。そのくらいの気持ちになってきた。乗り遅れて迷惑をかけた図々しさからか、わたしの緊張感の変化もあったのだろう、町の雰囲気からスノッブな感じはすこし抜け、海べりの町並みは、やや庶民的な雰囲気が感じられるようになった。

やがて、ガイドブックにも載るバッテリーポイントを通る際には、観光用の馬車が歩くのが見えて、江ノ島あたりの観光地の空気に変わった(江ノ島に馬はいないけどね)。観光地の海辺をゆっくり走ると、今朝見た景色にたどり着く。船着き場の前で停車した。
ぼんやりしているうちに多くの人がバスを降りていく。山に向かった20人近くのうち、15人くらい。ここで降りるの? と思って立ち上がりかけると、○○と、XXはここにいて、と名簿を見ながらDさんが名をあげている。聞き取りづらい、わたしの苗字と思われる名も読み上げられた。
なんで? おろしてくれないの? ときょとんとしている間に、Dさんは降りた面々を船着き場の中に案内していく。あとで理解したのは、下車した人々は「(山のあと)船でMOMA(島にある美術館)に行くツアー」に参加されていたのだろう、ということ。
バスに残ったのは、若い女の子(彼女とはその後も町中で何度か遭遇するのだが、スマホから目を離すことがないので、最後まで目があうことはなかった)、それからオーストラリアンサイズのご夫婦(彼らにはほんとうに助けてもらった)のみ。ひとりで取り残されたのではなかったのがせめてもの救いだった。いや、もちろんDさんはそこまでのガイド中に説明を交えていたのだろう。英語を理解できないわたしが悪いのだ。
そして、ここから楽しい「ミステリーツアー」が始まった。
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