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「英会話できます」じゃないバスツアー#7

<2023年5月 ホバート@タスマニア 市内観光バスツアー顛末>
7

タスマニア島には、人が乗れる鉄道は敷かれていない。明確に調べもせずに来てしまったけれど、ホバートの街中にあるのは「メトロ」と書かれたバスの表示だけで、地下鉄もトラムも走っていなかった。長距離を走る鉄道の話題も聞かない。
ところが、だ。ボノロングに向かうバスは、貨物列車とすれ違った! 
バスの反対側の窓に向かってシャッターを切る。スマホの、ぶれた写真(画面の半分はバス座席)しか撮れなかったが、たしかに列車が走っていた。バスの走る道は少しずつ「悪路」になりつつあり、あらかた線路と並行しているようだった。酪農とワイナリーがこれだけ広いエリアに点在していれば、鉄道の必要性もあるだろう。熱烈ではないが「てっちゃん」の端くれとして、この貨物列車遭遇が、かなり得した気分になったことは間違いない。少しだけ気持ちが快復する。

田園風景はひたすらに「のっぱら」に近くなり、点在する家と家との距離が確実に離れていく。舗装されている道路から、赤い土煙のあがる路地に折れる。大げさでなく、舞い上がる土煙の量が半端ない・・・
子どもの頃、千葉の親戚の家に行く時にはこんな道を通ったなぁとぼんやり思い出す。そうだ、船橋の祖母の家に向かうにはもうもうと土煙のあがるバスロータリーを、決死の覚悟で横切って(これも大げさではない)、目的のバスに乗っていた。信じられない。船橋駅前の変貌ぶりもだが、あれからほぼ半世紀経っているのだという事実も。
頭の中が千葉県にトリップしながら、入園に料金がかかるのかどうかもよくわからないまま、手続きをするDさんについていく。受付事務所の屋根をちょっと延長したような通路でDさんは人数を数え、頭数分の小さな紙袋をひとつずつ配った。かつて駄菓子屋で、きなこ棒を入れてもらっていたような紙袋。中にはペレット状の餌が入っている。給餌のことはひとまずおいて、ぞろぞろと前の人に続く。
30年ほど前、オーストラリアの別の街に出向いた際には、「自然保護区」の位置づけがよくわからなかった。当時は「コアラのだっこ写真撮影」が観光客向けにされていたし、おそらくだが、今よりも動物に迫る「危機」に切迫感がない社会だったように思う。実際、ホームステイ先のママ(一般論で言えば、生活レベルも知的レベルも中の上という主婦)は、「自分たちが守りたい動物のために猫を殺して歩く人たちの集団」という辛辣な評価さえしていたのを記憶している。
そして今も「自然保護区」に対してわたしはかなり勝手な解釈をしている。傷ついたり、路頭に迷う野生動物(当時も交通事故は相当問題になっていたが、最近は山火事で焼け出される場面が圧倒的に多い印象がある)を保護し、一部は展示して収入を得てそれを管理費に充てている場所、と考えている。一定の公共支援(税金等の投入)もあるのだろうけれどもそれほど十分ではない。多くは寄付で成り立っているのではないか。かつてのママの解釈ほど極端でないにせよ、おそらくそこにはいろいろな意見がある。例えば、希少になりつつある動物の保護も大事だけれど、「わたしたち」の生活に目を向けてくれても(投資しても)いいんじゃないの、といったような。

典型的なオーストラリアンサイズのお姉さんが、保護官(名称は不明)として案内をしてくれる。すこし高い声で、早口。今回の滞在でいちばんと言っていいくらい「わからない」。話す言葉の出だしや終わり、途中、言い淀む際の単語のひとつくらいはわかってもよさそうなものだが、見事に、ひとつも。
お姉さんはまずウォンバットの囲いに入り、奥の小屋の中に声をかけた。名前を呼んでいるのだろうけれど、高い、ロングトーンにしか聞こえない。「この子はとても臆病だけれど、名前を呼べばちゃんと理解してくれる」という意味のことを言っている(と勝手に解釈する)。たぶん小屋に入って抱き上げて連れてくる、というのが「コスパ」としてはよいのだろうけれど、決してそういうことはしない。名を呼び、彼(彼女だったのかな)が出てくるのをじっと待つ。動物の生活圏にいるのに、お姉さんの短パン姿、つまり足の半分以上が素足なのが気になってしょうがなかった。
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