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「英会話できます」じゃないバスツアー#1

<2023年5月 ホバート@タスマニア 市内観光バスツアー顛末>

5月、タスマニア島に行くことを決めたのは、出発日の1週間前。予約の時点で、航空券はキャンセル可能期間を過ぎていた。海外慣れしている人なら別に「あるある」なのかもしれないが、何しろ30年ぶりの「海外」、何かにつけて過去の記憶とのギャップが大きすぎる。
航空券と、宿と一緒に、1日だけ市内観光ツアーの予約をした。
旅先での「予定」を入れたくないと思う一方で、同じ宿に3泊してずっと眠り続けてしまうんじゃないかという不安があったからだ。ひきこもるのは日本にいる間だけで十分だろう、と。

予約時に、(たぶん)興奮状態にあったわたしの脳みそは「英語ツアー」であることをなぜかすっとばして、これを選択した。もちろん日本語ツアーのご案内もいただいたはずなのに。
結果的にこれが、次にどこに行くのかわからない、という点でとても楽しいミステリーツアーになった。楽しかったのはわたしだけで、ガイドさんにも、同乗者のみなさんにも、帰国後には旅行会社さんにも、迷惑をかけることにはなってしまった。

言い訳みたいになるのだが(そして行き先についてのわたしの理解が正しくない可能性も高いのだが)、「バスツアーに行きました。楽しかったです」という小学生の日記レベルの記録を残しておこうと思う。


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日本で予約したバスツアーの集合場所は、町のインフォメーションセンターとなっていた。がしかし、このインフォメーションセンター、9時から17時ときっかりオープン時間が決まっている様子、集合時間にはあいていない。そして角地にある。大通りに面している建物前で待つべきか? 路地側の方がバスは止まりやすいだろうか。悩みつつ、そのブロック一角をうろうろと3周くらいする・・・ おかげで開店前の土産物屋の下見もできてラッキーだった(ガラス窓に貼り付いて中をのぞく、かなり怪しい客である)。

そうこうしている間に、わたしの名前らしきもの(申し訳ないことに、わたしのパスポート苗字は日本人でも発音がちょいと面倒なのだ)をつぶやきながらおじさんが迎えに来てくれる。おじさん、などと言っているが、たぶんわたしより若いんじゃないか、渋い声のDさん。わたしが思う「オーストラリア標準」よりはずっと小柄な、けれどもがっちりした体型の壮年。
バスに乗り込むと、既に7-8人の乗客が座っていた。そして、通りを1ブロック進んだ船着き場でも、また数人が乗ってくる。バスはマウント・ウェリントンに向かう。
運転中も、車内向けのマイクで、Dさんは外の風景について、その歴史について、行く道について、絶え間なくガイドをしてくれる。既に、このあたりでわたしは笑いを押し殺していた。なぜってあまりにガイドの内容が理解できなかったから。
もともと「英会話できます」(この言い方を耳にしたのもせいぜい90年代初頭の学生時代までか)というレベルにはない。それでも、ここまでの英語は「手続き上の会話」だったから通じたのだ。空港で、機内で、ホテルのフロントで、「必要なことを尋ね」「必要な回答を受けて」きた。機内食の胃もたれが続いたがために、夜の食事もスーパーの購入品で済ませたので、レストランでの洒落た会話もなかった。
決してDさんのガイドが悪いわけでもなく、歴史的背景が理解に苦しむような内容だというわけでもない。古い英国調の町並みは、時代を経て、よい意味で重みのあるものが多く、建物はそのままに、内装を変えて機能を変えている、そんな印象を「たぶん説明してくれている」程度には理解できた。
こと、山に向かう坂道の両脇には(日本人の、というか東京下町人の感覚では)庭付きの豪邸が連なり、古き良き英国の屋敷街とともにある種の品の良さを醸し出していた。神戸、芦屋の町並みを抜けて六甲に向かうイメージだ。現代的なのは、町なかから移動してきたと思われるレンタルキックボードが、薔薇の枝からまるフェンスの前に打ち捨てられていることくらいだろうか。(この後も、道端に転がっているキックボードをしばしば見かけた)

バスは曲がりくねった山道を結構なスピードで登っていく。少し先の右手に靄がかかっているなぁとぼんやり思う間、バスの先頭は左に向いている。にもかかわらず、車窓から見える道は完全に右手に向かっている。これはまさにつづら折り、なんてことを思う間もなくバスは靄の中に入り、やがてばちばちと音を立てて、大きな雨粒が窓ガラスにぶつかってくる。そしてまた日が差す。
くるくる変わる山の天気と、少しずつひんやりしていく空気を感じながら、山の中腹の展望スポットに到着する。案内の内容はあまり理解できないが(こんな状態でいいのかと苦笑しながら)、他の乗客に続いて下車する。石垣で囲まれたそこからは広がる海を正面に、きれいな弧を描く湾を抱えた町が左手に一望できた。深呼吸をすると、吸い込む空気が冷たい。ひとりでひそかに興奮するが、ほかの乗客はあまり声を出す人もいない。右手の空にうっすらと虹が出ていて、思わずスマホカメラを向けた。
それから、石垣に「置かれた」動物の糞が目に入り、ここに暮らす動物がいることにほっとする。

静かに、ここに居る自分と、見えている景色について考える。
意味? あるのかどうかなんて、わからない。
でも「来たよ」と声をかける。過去の自分に。そして未来の自分に。
ひとりで、ちゃんと、来たよ。 
***


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