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「英会話できます」じゃないバスツアー#10

<2023年5月 ホバート@タスマニア 市内観光バスツアー顛末>
10

完全に、遠足の帰り道気分だった。前の晩から高揚したまま出かけ、気持ちの乱高下を抱えながら1日を過ごし、ややぐったりしつつもまだうわずった気持ちは冷めない夕方。バスに乗せてもらって、自分で運転する必要もない。「町に帰ります」のあとはDさんのガイドアナウンスもお休み。夕日が、丘の向こうに沈んでいこうとするのをぼんやり眺める。家畜も人も建物に帰り、のっぱらに点在する小屋や木々も、少しずつ輪郭がぼやけていく、たそがれ時。大きなピンク色の雲がゆっくりと流れていく。
・・・来てよかった。かなり強引なひとり旅ではあったけれど、そして「英会話できます」じゃないバスツアーだったけれど。南の国の強烈な日差しからはほど遠い、存外ゆるやかな光を放つ夕焼けを眺めながら、わたしは深呼吸ができた。ゆっくりと。
ハイウェイは帰宅ラッシュの時間とみえ、それなりに混雑していた。Dさんの絶妙なぶっ飛ばし方と、スムーズな車線合流の繰り返しで、とっぷり暮れた町に着く。停車する場所はいくつかあるらしく、順に同乗者が降りていく。自分がどこで降りていいのかわからないまま、とりあえず、朝見たはずの景色を頼りに降りることにした。
折紙で折った「かぶと」に御礼の言葉を書いて、声をかけてくださったご夫妻と、ガイドのDさんに手渡した。「Baseball playerのオオタニショウヘイさんとお揃いです」
米リーグの映像がオーストラリアでどのくらい放送されているのかわからないが、伝えてみる。Dさんには今朝のご迷惑のお詫びなど、もっと伝えたいこともあったが、最後まで「英会話できます」には、なれなかった。結局、語学能力というよりは、思い切りの問題なのかもしれない。
「lovely!」というお返事に、御礼を繰り返してバスを降りた。ひとまず、バス酔いしなかった自分を褒める。(あとになって、自分が宿泊したホテル近くにも停車場があったことを知る。しかも同乗のご夫妻は同じホテルの宿泊者だった)
かつて学校でよく言われた「おうちに帰るまでが遠足です」だとすると、寄り道をする悪い子として過ごした。宵の町中でライトアップされた建物や、謎のオブジェや、うすらぼんやりした港の灯りを眺め、昨日覚えたスーパーマーケットの、別の入口探検をする程度には元気が残っていた。やっぱりボリューミーさに気後れして「ディナー」外食に挑戦はできなかった。
ホテルに戻り、ひとりの部屋に「ただいま」を言って、フルーツをかじり、おいしいコーヒー牛乳を飲む。30年ぶりの異国で到着翌日の過ごし方としては、十二分に充実していたと思いたい。

この一連の文章を書き終えようかというタイミング(2023年秋)で、NHK『世界ふれあい街歩き』ホバート編が再放送された。「2020年4月に放送されたものです」というテロップをぼんやり眺める。コロナ混乱の真っ盛りだ。こんなおだやかなテレビ番組を見ていられる状況ではなかったことを思い出す。子どもの高校では卒業式がなくなり、吹奏楽部の卒業コンサートも含め、一切合切の行事が中止された。つらいとか悲しいなどと言葉に出す間もなく新学期が始まり、職場では一斉に在宅勤務を強いられた。子どもらの置かれた状況を気遣うのも難しいくらいに、自分の毎日も揺らいでいた。ちょうどそんな頃だ。
番組に登場する夏服を着て歩く人たち(と言っても「季節を問わずいつも半袖」なイメージではあるのだが)は、世界のコロナ混乱が始まった2020年1月より前に取材された姿だと予想される。誰もマスクなどしていないし、握手やハグは挨拶として機能しているようだった。紹介されたBonorongも多くの観光客でにぎわっていた。(その町の名「ブライトン」もテレビ画面で知ることになった)
お気に入りの番組に出てくるその風景はたしかに「知っている街」として、わたしの目に映った。単純に、嬉しかった。日本とは反対の季節がめぐる、海の向こうの遠い街が「わたしの」記憶の中にあるということが。
同時に、不思議な気分にもなった。この本放送の時期には、わたしには少なくとも「ホバート」の知識は全くなかった。タスマニア島、の地理位置は知っていても、街の名はおろか、どんな街に空港があり、どんな手段でそこに行かれるのか、観光スポットも治安の良し悪しも滞在の予算目安も、なああああんにも知らなかった(正直、わからないまま今に至ることも多い)。
帰国後、何か月も経ってからこんなふうに風景を思い返している時に、再放送に出会う偶然。やや興奮しながら番組を見た感想は、「この予備知識なしで出かけて、よかった」。もし見てから出かけていたら、映像知識として仕入れた場所を、おそらくわたしは「探す」ために街を歩いただろうから。
どちらの選択肢も「あり」なのだろう。
目的地を訪ね歩く旅もよし、予定調和の(かけらも)ない旅もまた、よし。・・・なんて言うほど旅慣れてはいない自分にとって、これほど計画がないのはもちろん無謀と言われたらその通りなのだけれど。

帰国後、タスマニア島に行ってきたと伝えると何人かの人から「イグアナ見てきたの?」と質問が返ってきた。ガラパゴス諸島と混同している日本人は結構いるとみえる。島だけど、タスマニアには残念ながら特徴的なイグアナはいない。
「旅レポ」とも言えないので、特に声高にタスマニアの宣伝はしない。「まるごとホバート」という看板ツアーだったけれど、ここに書いたことがタスマニアのすべてでも、全然、ない。免税店もない(らしい)し、古い建物の空き店舗に立つ、たくさんの「for lease」の看板(「for sale」でも「for rent」でもない)を見かける限り、決して景気のいい町とも言えない。

でも、気持ちのいいところだよ。それだけ書いておきたいと思った。
「世界一、水と空気がきれいな街」(とWHOが評していることさえ、帰国後に知った)で、少なくともわたしは、生き返ったよ、と。

旅の参考にしようとご覧になった方には、私情混在で残念な内容だったかもしれず、ごめんなさい。
そして、彼女にとっては「業務」だったとはいえ、旅のアレンジを、短期間で細やかに懇切丁寧にお手配くださった旅行会社のYさんに深く感謝申し上げたい。実際にお目にかかってはいないけれど、Web上のAIでなく、画面の向こうに実在する方だと信じています。本当にありがとうございました。

***「英会話できます」じゃないバスツアー 終***


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