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「英会話できます」じゃないバスツアー#4

<2023年5月 ホバート@タスマニア 市内観光バスツアー顛末>
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「あぁなんて素敵な日だ・・・」(Mrs. GREEN APPLE『僕のこと』)につづく歌詞を自作しながら、大げさに言えばこれまでの人生を振り返った。いろんな場面を思い出し、そして今までにない解放感の中にいる。
朝の電車の時間も子どものお迎えも夕食の献立も週末の買い物も明後日の会議準備もなんにも、なあぁんにも考えなくていい! いや、そういう全部が嫌だったわけではないのだ。むしろそういったことを常時考えている自分に、わたしの存在意義があったと言ってもいい。
でも一度全部捨てた。
捨てないと、わたしが終わるような気さえしたから。
「あぁなんて素敵な日だ・・・」
声にして歌ってみれば、それ以上の言葉はなかった。その言葉だけが、すとんとわたしの中に落ちてきて、とけた。

ひとしきり空を見上げたら、がぜん「園内探検熱」が湧いてくる。そうだ。時間は限られているんだ。いろんな植物に出会いたい。そして約束の時間に出向かなくちゃ。約束なんだから。

不思議な形の実を落とす木の下に立つ。落ちた実と、実をつけた枝と、それを支える大きな幹にそっと触れる。時間は流れる。実り、落ちて、また芽吹く。大きな幹になるには、わたしが生きるよりずっと長い時間がかかる。当たり前のことを、当たり前に思う。今のわたしがいつまでもこのままの姿でいる訳ではない。またどこかで違う役目を果たす時も来る。わたしが好むと好まざるとにかかわらず。
「あぁなんて素敵な日だ・・・」すこし大き目の声で歌ってみる。涙声でも構わない。幹線道路を走る大型車の音にかき消される。道路との間の垣根は高いものの、頑強さはない。道路に出る小さな門は出入り自由。そうか、入園料がいらないからどこから出入りしてもいいらしい。係の人さえ立っていなかった。

地図で言えば園の「ふち」に沿って南下する。城壁の「名残」のような建造物を過ぎる。遺跡とは言わないが、かつては実際に「壁」として機能していたのかもしれない。時計を見ながらずんずん歩いた。ずんずん歩く元気が湧いてくる自分が、おもしろいくらいだった。
植樹されてまだ日が浅いだろうソメイヨシノの小さな並木を通り過ぎる。春にお花見ができるにはあと何年くらいかかるのかな。そのあたりから「日本庭園」の正面ではない方の門をくぐったらしい。ありがちな、他のアジア文化が混ざった「なんちゃって日本庭園」ではなかった。少なくとも私個人の感覚で言えば、正面の門のしつらえが少し中国的だなと感じた程度で、石と木々の配置に違和感はなかった。

フランス人アーティストによる水と石のオブジェを通り過ぎ、園中央の建物に向かう。カフェや、グッズショップ、研修室などが入る洒落た建物でトイレを借りて(トイレを見かけたら必ず入る、というのが習慣化されてきた)、ショップで目に入った文具類を爆買いした。

歴史ある温室に向かう前に、子どもたちのにぎやかな声を耳にする。揃いの制服を着た小学生らしき集団が、木陰にすわって、先生の話を聞いているところだった。かつて訪問したことのあるアデレードのプライベートスクールにもやはり制服があった。日本では「束縛の象徴」のようになにかと物議になる制服が、ここではなぜかすがすがしい。いや、日本でだってそういった場面は、あるのだけれど。
先生の合図を機に、わたしの近距離で嬌声をあげて飛び跳ねた男子組を、先生がなにか強い言葉でたしなめる。目が合ってしまい、若い女の先生は「ごめんなさいね」という目をして小首をかしげた。元気があってなによりですよ、という気持ちで微笑み返す。どこででも「似ている場面」がある。

湿度の高い温室で蘭を一通り眺め、温室のまわりに置かれた「普段着」のようなプランターに心惹かれる。この何気なさと、ハーブの類の力強さと、あまり洗練されていない雰囲気こそが、わたしの憧れだ。
改めて自分の好みの偏りに苦笑しながら、約束の駐車場へ向かう。駐車場の手前で、同乗のご夫婦が手を振ってくれる。時間と場所を間違えていなかったことに、心底ほっとした。
やがてDさんが運転するバスが、別のツアー客を乗せて戻ってきた。

「あぁなんて素敵な日だ・・・」
車窓を流れる湾を眺めながら、小さく歌った。新しいメンバーを乗せてバスは次の目的地へ進む。
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