PASSION 全パラグアイ少年野球大会
第23回全パラグアイ少年野球大会~まるで高校野球のよう~
野球大会の会場は、日本人会館に隣接している野球場ではなく別の場所だった。ピラポには4つの野球場があるそうだ。満さんが野球場まで車で連れて行ってくれることになった。
ピラポ移住地はカーレンズ地区、冨美村地区、ピラポ23K地区、17村地区、アカカラジャ地区、市街地地区に分かれており、とても広い。
日系人の一家族あたりの所有面積は約18ヘクタール。日本の農家の平均は1.2ヘクタールだというから、驚きものだ。
「バッター○○君」
車を降りると日本語のアナウンスが聞こえてきた。観客も多く、高校野球の夏の地区大会のようだ。屋根のある観客席が設けられていて、ネットもしっかり張られている。立派な球場だ。
満さんの案内でバックネット裏へ。ピラポ市長やピラポ野球連盟の関係者が陣取っていた。
「この人は野球の取材でピラポに来ているんですよ」
そう紹介され
「じゃ、あとはよろしくね」
満さんは消えてしまった。
「はい、そこ座って」
戸惑う間もなく、中央の関係者席に通された。婦人部の人がすぐに冷たい麦茶を出してくれる。
「あー、もう。あんな打ち方じゃなくて、もっと腰を…」
野球好きのオヤジの野次が飛び交っている。
「あの球打たなきゃ。次、ストライク!」
野球トークがさく裂する。
「行けー、行けー!!」
両チームの応援席から声援も飛び、応援合戦。
これはすごい。
周りを見れば、子ども、女性、おじちゃん、おばちゃん、老夫婦まで、地域の人々が勢ぞろいしているようだった。「第23回全パラグアイ少年(小学生)野球大会」と名づけられたこの大会は、アスンシオンA、Bチーム、ピラポ東、西チーム、エンカルナシオンチーム、ラパスチーム、イグアスチームの計7チームが参加している。もちろんどこも、日系人主体のチームである。
自分たちの属する地域のチームを懸命に応援する。そしてここはパラグアイ。みなテレレセットを持ち込んでいた。テレレをしながら野球観戦。
「攻撃の間、自分の番が回ってくるまで、テレレをやっているんだよ。ベンチにはテレレセットがあるからね」
ジュンタさんが言っていたっけ。
「ウチの奥さんです」
市長が奥さん・フミエさんを紹介してくれた。5歳のときに岩手県からピラポに来たというフミエさんは、小さいときから野球に親しんできたために野球に詳しい。しゃべりながらでもボールカウントを正確に覚えていた。
12時前、婦人部からお弁当が配られた。飲み物はコカ・コーラ。これまで訪ねた南米各国、食事にはコーラがつきものだった。お弁当とコーラという組み合わせ。テレレといい、ここはパラグアイと日本が見事に融合している。
お弁当の蓋を開けて驚いた。のり巻き、卵焼き、かまぼこ、豚カツ、タケノコとにんじんの煮物、きゅうりとワカメの酢の和え物、みょうがときゅうりのおしんこ、プチトマト。ここはパラグアイなのに日本食100%。冷凍食品など(あるわけもないのだが)一切なかった。頂いたお弁当を食べたあと、フミエさんが言った。
「あのね、私もお弁当を作ってきているのよ。婦人会で一品持ち寄りをやっていて。食べに行きましょう」
球場の隣にある集会場に行くと、持ち寄りの品がズラッと長テーブルに並べられていた。
サラダいろいろ、漬物いろいろ、唐揚げ、揚げ物、パスタ、おにぎり、寿司、冷やし中華まである。デザートにはフルーツカットや寒天も。テーブルに乗りきらないほどの量だ。
休憩に入った選手たちが続々と手を伸ばしていく。
あまりに美味しそうなので、私もフミエさんも二度目の昼食。
南米に来て、日本食にお腹がはち切れそうになっているのは何度目だろうか。
昼食後に試合再開。イグアスチーム対ピラポチームの決勝戦が行われた。
「ファイト!イグアス!!」
「打てー!」
両チームのベンチと応援席から激励が飛ぶ。
「野球は打ってなんぼやで!」
試合は盛り上がっていたのだが、雲行きが怪しくなって雨が降り出した。激しい雷雨でグラウンドが使えなくなり、降雨ノーゲームとなってしまった。
パラグアイの赤土は粘土質で非常に粘りっこい。雨水を含んだ地面に足を入れるとビーチサンダルの裏にびっしり土が着いてしまい、重くなる足。
「今日は、ウチに泊まりませんか?」
市長の嬉しい申し出に頷かないはずがない。
市長の家は移住地の外れにあった。両脇が大豆畑の道をまっすぐ進み、突き当りの道路を渡り、さらに奥へ。舗装された道路ではなく、赤土の道。
ワン、ワン、ワン!
二匹の大きな番犬に迎えられた。
「すぐにお風呂沸かすからサッパリしてね」
20分後、市長よりもフミエさんよりも先に、私はお風呂に浸からせてもらった。湯船に風呂マット、石鹸受け。日本の一般家庭と変わらないその光景に癒される。
私が入浴している間に、フミエさんが汚れたビーチサンダルをきれいに洗ってくれていた。汚れひとつない私のビーチサンダルが玄関に置かれている。優しい心配りが嬉しかった。
「よく眠れた?朝食にしましょうね」
翌朝、7時半に目を覚ましてリビングへ行くと、フミエさんがすぐに朝食を用意してくれた。玉ねぎとワカメの入った味噌汁、納豆、白米。コーヒーも頂いて、おしゃべりして。なんて穏やかな朝だろう。
9時すぎに、野球場へ。昨日行われたのは小学生野球大会。今日は少年野球の大会だ。
「今日も泊まっていきなさい」
市長の言葉に甘えることにした。
少年野球は16歳までが出場するため、レベルが上がる。球場で行われていたのはラパスチーム対ピラポチームの試合だった。走塁や守備もキビキビしていて好感が持てる。試合も2アウト・ランナーなしから動き始め盛り上がる。試合が盛り上がれば応援も盛り上がる。夢中になって観戦・応援する人たち。
小学生くらいの女の子たちも応援に駆けつけていて、野球トークに忙しい。ルールもよくわかっているようだった。
午後の試合途中、責任者たちが真剣な表情で何かを話し合っていた。別の試合会場でもめ事が起き、47分も試合が中断したとのこと。もめ事が起きるほど野球に“熱い”ということだ。移住の歴史が新しいパラグアイ。野球大好き人間たちは現役の一世が多い。だからこそ、各移住地で地域をひとつにするものが野球になるのだ。少年野球の場合は特に、ルールや技術を教える父親、お弁当を作ったり応援したりする母親の存在が欠かせない。おじいちゃん、おばあちゃん、孫たちをも巻き込んでいく。自然とルールを理解して、野球を観る楽しみを見いだしていく。地域住民が集まれば会話が生まれる。地域社会の活性化になる。
プレーだけではない。少年たちは野球道具を丁寧に扱い、礼儀正しく挨拶も自らできる。40代のピラポ育ちの男性は言っていた。
「今の日本は“共同体”ってやつを忘れているでしょ。技術よりも生活態度、精神面を大切にしなきゃ。野球は団体スポーツだから学べることが多いんだよね。野球には日本人の心がある。それをね、伝えたいし教えたいんだよ」
観衆で埋まった球場。日本語しか聞こえてこないうえに、日本食しかない。
“ここは日本ではない”
そう言い聞かせないと、錯覚を起こしてしまう。
「テレレやる?」とマテ壺を持ち、回し飲みする姿。くっきりとした青空と赤土、大豆畑。それらを意識してようやくここが“パラグアイ”という異国であることに気づくのである。
「こりゃまた、ひと雨来るぞ」
空を見上げて危惧する男性。背後から少しずつ雲行きが怪しくなり、決勝戦だというのに昨日とまったく同じ時間に雨が降り出してしまった。スコールのような激しい雨に、グラウンドはあっという間に水溜りの海とかす。びしょびしょ、ぐちゃぐちゃ。試合も中止せざるを得ない。
明日仕切り直しをするか、2チームを優勝にするかどうかの協議が急きょ行われた。アスンシオン、イグアスチームはバスで5時間くらいかけてピラポに来ている。延期はできない。2チームが優勝となり、観客席で閉会式が執り行われた。
市長の家へ着くころには雨が上がり、青空が顔を出していた。
フミエさんが今日もまた、一番風呂に入らせてくれる。ビーチサンダルも洗ってくれた。お風呂上りには、市長がパイナップルとマンゴーを冷蔵庫から出してきてくれる。
とにかく甘い!冷えているから甘さが引き立つ。楊枝をさす手が止まらない。
「アサードを食べに行きましょう!」
夕食は地元のレストランへ。夫妻が、パラグアイ式の焼肉・アサードをごちそうしてくれるという。
「うわー」
外に出ると空が焼けていた。大豆畑の海のうえ、大雨のあとの空は不思議なほどに魅力的な色になる。金色ににじんだ雲。太陽の光が数本の帯となって空を染め上げていた。
こんな風景、ここでしか見られない。その一瞬を、見た空を、胸に刻んだ。
私が心を打たれているものはここでは当たり前なのかもしれないが、私には何もかもがまぶしくて新鮮である。
今、旅をしている幸せをかみしめた。
昨晩は焼肉。朝食は目玉焼き、納豆、味噌汁。ピラポにいたら体重が増える。愛さんが3ヵ月で7キロも太った理由が理解できる。ピラポの食べ物はすべてが美味しい。ついつい食べ過ぎてしまうのだ。
市長は役所へ出勤。この日の夕方は、市長夫妻がパラグアイ唯一の世界遺産・トリニダ―遺跡に連れて行ってくれることになっていた。
遺跡からの帰り道、住宅地を通ったのだが、どの家からも住人が外に出ていた。イスに座ってテレレをやっているのである。涼しい夕方の時間帯。のんびり気質のパラグアイ人が一番好きな時間なのかもしれない。
愛さんも言う。
「日本だと、こんなことできないですよね。外にイスを置いて腰かけるなんてこと。ホームステイ先の父と母は毎朝外でテレレをやって、おしゃべりをしているんです。それが夫婦のコミュニケーションになっているんですよね。急がずに、のんびりと。私も最近、イスに座るのが癖になってきちゃいました」
ピラポに戻ったのは19時半過ぎ。
「家にそばがあるから食べて行って」
愛さんと私は市長の家で夕食をごちそうになってから宏子さんの家まで送ってもらった。
こうしてピラポで濃密な時間を過ごした私。
ここでもまた、色んな人達に出会い、お世話になった。
出会いがどんどんこの旅を濃くしていく。
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