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方言語学を推奨したい

最近、方言のコスプレ化でYouTubeでは「〇〇弁講座」などのタイトルで方言を紹介するだけの動画がよく散見される。
方言というのはそういう風に遊ぶ要素もあり、素敵なものである。しかしながら、僕はオタクなので弄れた考えを最近持ちつつある。
それが方言語学なのだ。

例えば上記のように方言講座と名義し、実際には情報を受領した側は方言を話せるように努力に繋がったかと言うより面白かった、又は楽しんだことが重要視されてるだろう。そもそも他人の方言を話そうとする人は少ないのだが。

今回はその方言語学についての自分なりの理解を解説していきたいと思う。

方言語学の現状
・エンタメとしての方言語学


方言語学の現状としてやはり半ばコスプレ化を感じさせるようなエンタメに働いたコンテンツが現在の主流と思われる。
主に語彙や話者の感想などについては知識を深めることが出来るが、あまり語学としての機能が無く、ただその土地の語彙や代表する言い回しを覚えるだけのものとなっている。

そのため、もう少し理想に近い物を紹介してみる。

・沖縄語書籍

沖縄語入門と初級沖縄語

まず、理想に近いかな?と挙げてみたものは沖縄語、即ちウチナーグチに関するものである。
沖縄語は方言であるが、日本国内の別言語と言われ、極端に例えるなら英語とフランス語ほどの違いがあり、逆説的に英語とフランス語は方言関係にあるとも言える。(この話は今後していきたい。)
特に自分が窘めた中で魅力に感じたのは上二つの書籍で両方とも基礎から固めることが出来、主に日常会話をするレベルの文法を学べられるのでおすすめである。
しかし、語彙に関してはボキャブラリーが狭く、辞書を併用することをオススメしたい。
また、本書2冊はあくまでウチナーグチの首里/那覇方言の記述をしているため現在に至るウチナーヤマトグチとは異なることから、現代の沖縄の人からは違和感を感じられるだろう。(元より現代の沖縄の若者はウチナーヤマトグチすら知らないかもしれないが。)

・日本のことばシリーズ

写真は僕の実際に購入したもの

日本のことばシリーズ
とは、日本全国の言葉を都道府県ごとにまとめたものである。
様々な方言を収録されており、各地方地域の方言を研究している学者達が記述しているが、より方言学、社会言語学的な知識の発信という形になっているため、語学向けという訳ではない。また、発行年数によって内容の方向性や調査年月も異なっており、方言によって知識量に差が出ている。

・ケセン語


ケセン語とは岩手県陸前高田市や宮城県気仙沼市などの気仙地方の言葉を1つの言語として見なし、医者である山浦玄嗣が考案したものである。
無論、ケセン語という名称自体に特別感を覚えるが僕が今回焦点を当てるのはそこではない。
僕がここで紹介をしたいのは独自の表記体系を持っているからである。
これがどういうことかと言うと、従来の方言語学を見ていくと、あまり発音やアクセント面は意識されずその位置要因として表記方が標準語、一般的な国語に準拠されたものが多く、他方言話者が読む際にその地方の独自の発音を再現出来なくなるのである。

つまり、独自の表記体系を確立したことにより学習者の発音をより母語話者に近づけることが容易になるのだ。

このことにより、僕はケセン語の考案は現在の方言語学の中では1番発想が発展したものではないかと考えている。

ケセン語wiki

方言語学のへの期待


方言語学に関してこれから発展を望んだ上で何が期待されるか?
僕が考えられるものをいくつかここで紹介する。

方言保存への期待


方言語学が発展していくと教育の一環としてその土地の方言を保存していけるのではないか?と考えた。
現代において、若年層はその土地の方言を忘れているという考えがあり、その考えがあるということは伝統的な方言を残したい層もいるのではないか?と考える
もし、方言保存を考えている読者が居るなら方言語学を1度自分で創作し考えてみるのも如何だろうか。

1つの趣味として楽しむ


他の語学、つまり、外国語と同じように趣味で勉強する。そもそも趣味で外国語を勉強する人は少ないかもしれないが、元々言葉に興味がある人や地方の文化について興味がある人、並びにオタクの人達など楽しめる要素は大いにあると思う。
さらに、自分が採り入れた方言の語学的知識を利用して小説や、漫画、演劇など、キャラクターのセリフにも採り入れることも出来、創作の幅も広げられることが出来る。

文化交流、移住先での言葉の問題


仕事の都合、親の転勤、上京や、あらゆる理由で別の地方へと移住する者も少なくないはずだ。そこで、恐らくたまに言葉の壁が立ちはだかる。そういう時に予習をしておくというのもひとつの方言語学のあり方だと思う。
また、方言を話すことにより、その土地の人間ともコミュニケーションを深めていき、文化交流が可能と考えられる。

問題点


上記を踏まえた上で考えられる問題点を考えてみた。恐らくこっちの方が現実として重くのしかかるであろうと思う。

需要(必要)が無い


現段階において普通に一般的に認知されるような語学ですらそこまで人気も無い上、さらに認知をされていない方言語学と言った挑戦的概念は元より需要が無いと言える。
そもそも、方言とは地方特有の文化であり、他地方の人が触れられるようなものではないと考える者も居り、さらに言えば方言語学を文化盗用に感じる人も居るのだ。(方言保存的観点からいえば寧ろその地方の人の助けにもなるのだが。)
そう考えると人気が出ないのも頷ける。

アクセント・表記体型の導入など


語学としての基礎知識、外国語でもある表記体型、アクセントを表す補助ローマ字など、方言語学でもこれは重要とは言える。上記の通り、その理想を現実にしたものがケセン語の概念であり、その他のほとんどの方言ではこれがなされていない。
また、それらを記述する上で地域のアクセント体系を知るため、独自に調査をする必要もある。多くの場合は母語話者であるため自省による記述も実施されているがそれにしても膨大な情報量を要する。それに伴い、アクセントに関する基礎知識と磨かなくてはならなくなり、等の僕も苦手な分野なため苦戦しつつも学習をしているところだ。

教育環境の設置など現実性


方言語学において、文化の継承、伝統方言の保存が期待されると述べた。
しかし、仮にこれを施行するとなると誰が実施をし、どういう資格を持ち、またどの教育機関で行うか未だ議論を要するものがある。
また、それを実現した暁には学生がそれを真面目に取り組むだろうか?現代の日本の学生において寧ろ一般の教育に真面目な姿勢で取り組む者は極小数であり、モチベーション的な観点でも重要視はされないのではないだろうか。いわゆる、「数学の知識は日常生活では活用されない」という学生としての意見を見るに、方言語学などと道徳教育の一部のような科目には目もくれないだろう。

まとめ

方言語学を推奨するにあたってまだ見ぬ可能性と不安な観点が出てくるかもしれない。
しかし、言葉とは本来コミュニケーションにおいての一手段、ツールのひとつでしかない。そこまで拘りを持たなくても人は生きていけるのだ。
もしかしたらいずれ、言葉を介さずとも会話を行う時代が来るかもしれない。もしそうなれば方言の概念も忘れ去られるだろう。

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