タイトルは大事じゃない
尖りきれなかった、10対1の面接
10人のテレビディレクターが私の目の前にいた。
光をにぎるようにギュッと拳をにぎった。
拳ばかりに力が入って言いたいことは何も言えなかった。
その日はテレビの制作会社の面接だった。
是枝裕和監督は私が勝手に師匠にしている人の一人だ。
そんな是枝さんが「誰も知らない」や「歩いても歩いても」といった作品を作った会社だし、一人一人がインディペンデントに活躍している社員さんたちがとてもカッコ良くて、面接を受けた。
ちなみに、今年是枝さんが早稲田で述べた祝辞は、お守りだ。どうしようもない「なにくそ」に取り憑かれて溺れているときに、ネットを漁って握るお守り。
これ
https://www.waseda.jp/top/news/80061
でもそんな師匠がいた会社の4次面接で10人の人を目の前にして言えなかった。
なぜ、私は生きづらさを感じてきたのか。
私にとってなにが面白いのか。
不満や思いばかり断片的にあらわれて、伝わらずに消えた。
尖りきれなかったと思った。
不器用なだけだと肩透かしで終わってしまうとハッとした。
何も決まらず、23歳。
私は23歳だ。大学5年生だ。内定は持っていない。ある同級生は家賃9000円で住めるキレイなマンションを会社からもらって、ある同級生はツイッターのフォロワーが2000人以上いる。その数字はまぎれもなく彼らの努力だ。多分誰もが葛藤しながらも、人を頷かせるためにはどうすればいいか考えた。孤独な努力が、ある一定のラインを超えたからこそ結果を得た。だから自由にお金を使えるし、自分のやりたいことができる。
そんなすばらしい他人の努力の結晶はたまに私の手元に落ちてきて、がんばれがんばれと私の焦燥感を掻き立てる。
しかし!生理前の食欲おばけみたいに現れる唐突な焦りとは折り合いをつけるしかない。努力するに遅いも早いもきっとない。
大学生活で唯一、這いつくばるようにがんばったZINE作りを通して、人はいつからでもはじめられることを私は知った。
(https://note.com/uramichi_zine/n/nf5d7c24aa7cf)
だから、私はまた学び始めようと思う。仕事が決まらなくてもバイトしようと思う。面接後の落ち込みを乗り越えて、新しい調理ナイフを手にした時のように、なんでもつくれる気分になっている。
なぜ君は語るんだい?
「みんな生きていてほしい」
から、私は語りたい。
私が言うみんなとは、
中学校の頃、私の肺に穴が開いた時に心配してくれた眉なしヤンキーで、お腹の中で動く命を怖がりながらひとりで生きる女性で、一人悶々と街を歩く都会のあなただ。
みんなが生きていくにはみんなを支える社会保障が必要だから、私は政治を知りたいし、みんなが好きな人を大切にできれば良いからジェンダーも知りたいし、みんなが会社で突き抜けてほしいから労働のことも知りたい。
変えたいことがあるけど知らないことの方が多い今は、こうやって個人的なnoteを書くことでしか生み出すことはできないけど、具体的な変化を起こす実践として学んだことを発信していきたいと思う。
このnoteで書くこと
このnoteで書くことは日々の気づきについてだ。
学ぶことを続けることを目標にしているので、必ずしもまとまりがあるとは限らないし、もしかしたら読みにくいものもあるかもしれない(※努力する)。
その時はそっと画面を閉じて、でも、あたたかく、私の孤独な努力を見守っていただけるとうれしいです。
「タイトルは大事じゃない」
このnoteを読んでくれる人は少ないかもしれない。でも、学んだこと考えたことを書きたい。その思いを1番にしているから、読まれるためにでっちあげるタイトルは大事じゃない。
どうぞこれからよろしくお願いいたします。
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