見出し画像

消えたチョコレート


また思い出した幼少期のエピソード。

これも確か4~5歳位の頃のエピソードな気がする。ハッキリとは覚えてません。


居間(畳の上にカーペットが敷かれてる)で、床に座り込んだ状態で、母たちとTVを見てたんですよ。

母が↓こういう

チョコレートの入ったガラスタッパーを持って来て、それも床の上に置いた状態で、チョコレートをつまみながらTVを見てたんです。


『もう1個食べよう。』
と、タッパーが置いてあった場所を見たら、タッパーが消えてたんですね。

『あれ?おかしいな?片付けたのかな?お母さんが独占してる?』
などと不思議に思いながら、四つん這いでタッパーを探そうとしたら、バキッという音と共に膝に激痛が…。

絶対にあり得ないはずなのに、私の膝の下の位置にタッパーが出現しており、私はそれを膝で踏んでしまい、ガラスタッパーは割れ、膝からは物凄い出血…。

泣き叫ぶ私。

「何してんの!?(怒)」
と怒鳴る母。

とにかくティッシュで押さえてだのなんのと病院行き。

5針縫いました。


このエピソードは本当に摩訶不思議エピソードで、絶対に私の膝下には初めタッパーが無かったんですよ!

なのに、気が付いたらタッパーを踏んでたんですよ!

私は絶対に、ガラスタッパーがどこにも無かったから探そうと四つん這いになったのに、突如タッパーが膝下にあったんです。

ですが、そんな言い訳など聞き入れて貰えるはずもなく、母からは怒号の嵐。
「何でちゃんと見てないの!?」
「そんなもん踏んだら割れるに決まってるやろ!」


私は常に、何かを割ってしまったりしたら瞬間に怒られ続けて育ちました。


時は流れ20歳の頃。

バイト先でお皿を落として割ってしまいました。瞬間に
『怒られる!』
と、身体が強張ったのですが、先輩の口から出てきた言葉は
「大丈夫?!怪我しなかった?!」
でした。


カルチャーショックでした。


「すみません!怪我はしてないです!でもお皿が…すみません…。」
テンパる私。

「怪我無くて良かった!気を付けて片付けようね!」
と一緒に片付けてくれた優しい先輩…。


『何で…私の怪我を心配するんだろう?』


不思議な感覚でした。

でも、妙に先輩の対応の方が人として当たり前の対応な気もして、
『私も、誰かが何かを割ったら、まずは怪我を気遣える人にならないといけないな。』
と、心に固く誓ったエピソードです。

正にモンパチのあなたに状態だったんですよね。
♪人に優しくされたとき自分の小ささを知りました♪
同時に母の小ささも実感したものです。


このときの感覚は本当に奇妙なものでした。

『私も、人として扱って貰えるんだ…。』
みたいな気分も混じっていて、且つ
『私って、人として扱って貰えてなかったんだ…。』
と突き付けられた気もして、今後の人生への希望と、これまでの自分の育ちへの絶望を同時に一気に体感したような気分になりました。


そのエピソードからも数年間、
[人間として生きる]
ということがどういうことなのか、よく分からないまま探り探りで命を繋いでいたのです。

この頃はなかなか強く
『あぁ、私みたいな人間は、親になってはいけない部類の人間だ。』
って気がしていて、20代前半っていうキャピキャピ全盛期のはずが、かなり棒に振った気もしています。

死んでもあの頃に戻りたくはないけど、もっと幸せな生き方が選べたんじゃないかって気もしてしまいますね。


私は、絶対に、何があっても、どの過去にも戻りたくないし、人生やり直したくもないんですよ。その位過去が辛過ぎたので、今の私みたいな心境になれたことは奇跡みたいなもんです。

私頑張ったね!

こっからもっと幸せになれるって信じられるほどに心を育て治せて良かったと本気で思ってる訳ですよ。

いやぁ…本当に奇跡ってあるんです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?