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正論と持論


前にネットを見てたときに
「正論を振りかざす人は嫌われる。」
みたいな内容が書かれていて、私は凄く不思議でした。

と、いうのも、私個人は、
『仕事上などでは正論を淡々と説明してくれる人がいるのであれば正しい判断をしやすいのだから、正論で一刀両断してくれる方が楽じゃないか?』
と考える派だからです。
『仕事に感情を持ち込まれることほど面倒が増えることが無いのに、感情を持ち込んでしまう人の方が多いから"職場"が怠い場所になるのに…。』
と、思うことすらあるので、そこに正論で淡々と片付けてくれる人がいるのならめちゃくちゃ頼もしいじゃん、と。

感情を持ち出す人だけでなく、臨機応変に対応してくれない人や、融通が利かない人に対しても、正論をしっかり説明できる人が1人いるだけで、かなり円滑に仕事が進む場面だって沢山あるのに、何故正論を振りかざす人が嫌われるのか、私には理解ができなかったのです。

その答えが一部分かった話です。



まず、
『正論を振りかざす人ってウザい。』
という感覚になる人の傾向として
・プライドが高い
・頭悪いコンプレックスが強い

この手のタイプが凄く多いのでしょう。それは何となく想像が付きます。

プライドが高い人や、自分は頭が悪いというコンプレックスが強い人たちは、どんな会話の中においても
【自分が優越感に浸れるような会話】
を好む傾向が強いので、正論のようにぐうの音も出ないような、反論の隙の無いような話を述べられると、あからさまに嫌がるんですよね。

しかも、
[淡々と事実を述べられること]
よりも
[掌で転がされてでも自分が気持ちよくなる言い回しをされること]
を望む傾向が強い人も多いので、さりげない気遣いが言葉の節々に感じられるような言い回しをしてくれないというタイプに対して敵対視する人も結構います。ただの報連相であっても、淡々と述べるだけでは機嫌を損ねてしまうような人間と正論タイプは相性が悪いのは歴然なんですよね。

私個人的には、仕事上では淡々と必要な業務連絡だけできる人の方がよっぽど社会人適正が高いと思うんですけど、仕事上であっても言葉の節々に気遣いを求めてくるタイプもそこそこの数が存在するので、どっちもどっちだよなぁ、と遠巻きに思ってます笑

"仕事上"での連絡の最優先事項は業務に関する明確な報連相だけなので、無駄な情報なんて無い方が良いじゃないですか。本来ならね。

かといって、正論を淡々と述べられるだけの頭があるなら、適当に
「失礼ですが…」
「よろしいでしょうか…?」
「流石ですね。」
みたいな一言を転々とちょろっと随所に挟んどくだけで勝手に機嫌良くなる程度の相手位、そこそこにあしらっとけば良いだけなのに、それを頑としてやらない正論人間ってのも、どうかと思うところもあるんですよね。

結果、確かに両者ともめんどくせーよ、って話だと、私は思ってますけどね~ワタシハシラネ



でも、私が今日書きたいことはそこじゃなくて、

「なるほど、世の中の大半の人は、正論と持論の区別が付いてないから、正論と見せかけた持論を展開してる人に対してモヤモヤしてるんだろうな。」

っていう点です。

確かに、私も
『いや、それは正論じゃなくて、あなたの持論ですよ。』
って感じるような内容を
『自分が述べているのは正論だ。』
みたいにドヤッてる人を結構見るんですけど、多分そういう人たちの"持論"に対して『正論を述べられてる。』って感じてる人も結構いると思うので、今日の話を書きたくなりました。

世の中には、
『自分は正論を言ってる。論破、ドヤァ。』
って思い込んでる勘違いモラハラ予備軍はかなり多いです。

私もたまに遭遇して、私の場合
『あー、出た出た。この、思い込みの激しくて、説明したところで理解しないタイプ…。適当に流しとこ。』
と、そこそこで話を切り上げるので、恐らく相手の中で
『フッ、論破してやったぜ。』
みたいな勘違いが助長されてる場合も結構あるんだろうな、と思いながらも、マインドコントロールされた人間をマインドコントロールから解除してあげるのが簡単ではないのと同じように、他人が他人の思い込みを解除するのはほぼ無理だと思ってるので、
『相手にしないのが吉だな。』
と、適度に折れてあげることが癖になっています。私個人的に、
『私の他人に対する諦め癖もそろそろ止めていかないといけないのかもしれない…。』
という気もしてるので、今日の話に繋がっています。



分かりやすいように極端な例え話で書きますね。

「お店の商品をお金を払わずに持ち帰るのは窃盗罪にあたって、刑法第235条に定められてる通り、10年以下の懲役か、50万円以下の罰金が課せられる行為だから、絶対にやってはいけないよ。」

↑これ、正論ではありません

ですが、これを聞いて正論だと感じる人は物凄く多いのではないでしょうか。今読んでいるあなたはどう思いましたか?

上記の言葉を正論にすると、以下のようになります。

「お店の商品をお金を払わずに持ち帰るのは窃盗罪にあたるから、発覚すれば刑法第235条に定められてる通り、10年以下の懲役か、50万円以下の罰金が課せられるよ。」

違い、分かりましたか?



お店の商品をお金を払わずに持ち帰ることが窃盗罪にあたるのは事実です。

窃盗罪で捕まれば、刑法第235条に則り、罰則を受けることも事実です。

その【窃盗罪】を行って良いか、行ってはいけないか、という判断をするのは私たち個人個人に委ねられるべき点であって、他人に対して
「やってはいけないよ。」
と制限してしまう言動は、正論ではなく持論になってしまうのです。

多分、倫理観的にモヤモヤしてしまう人は多いと思うんですけどね。たとえ犯罪絡みだったとしても、
「やってはいけないよ。」
などと他人に対して行動を促進させたり制限したりしようとする言動が加わった時点で、それは正論ではなくて持論なのです。



恐らくですが、世の中で嫌われる正論"だと勘違いされてる"意見というのは、この、【発言者の持論が加わってる正論もどき】なのではないかと私は思うんですよ。

私はこれまでの人生で、かなり沢山の人間とコミュニケーションを交わしてきたタイプなのですが、仕事をする際などに正論で的確なアドバイスをしてくれるような人にはほとんど出会ったことがありません。そんな、滅多に出会わないはずの正論を述べる人が、【世の中で嫌われやすい特徴】として挙げられていることに物凄い違和感があったのですが、上記の内容が腑に落ちると共に様々な点と点が線で繋がりました。

多分、世の中に
【的確な正論だけを述べられる人】
なんて、そもそもあまりいないはずです。反対に、世の中で圧倒的に多いのは
【正論と持論の区別をつけられていない人】
なんです。発言する側も、聞かされる側もね。



先程も書いたように、正論"もどき"を振りかざしがちな人って、思い込みが激しい場合が多いので、そういうタイプが嫌われやすいのは物凄く分かるんですよね。私のように
『あー、この人は相手にしちゃいけないタイプだな。』
と、かなり距離を置いてしまう人も少なくないのではないでしょうか。しかも、
『相手が黙るのは、自分が論破したからだ!』
と、思い込んで疑わない、手のつけようがないようなタイプは言動がエスカレートし続けて改善の見込みも無いので、孤立も進むでしょう。

この手のタイプは
正論を述べているからダメ
なのではなくて

正論のフリをしながら他人の言動をコントロールしようとしていることがダメ

なんだという部分を学ぶ必要があります。当人だけでなく、周りもですがね。



私たちは、他者をコントロールしようとしてはいけないんですよ。めちゃくちゃ当たり前なことを書いてしまってるのですが、世の中には、子育ての会話のパターンの中に、【大人の意向通りの動きをするようにコントロールしようとするような話し方】なんかもかなり蔓延していて、その影響から無意識に他人をコントロールするような言い方をする人もかなりいるんです。そういうのを無くしていけるように気を付けることが必要なんです。

先程の例に挙げた、
「犯罪にあたるから、やってはいけないよ。」
が正に典型例なのではないでしょうか。大人が子供に対して
【[犯罪をしない]という選択肢を選ばせようとするような言い方】
を使って、子供から選択権を奪い、子供の行動をコントロールするというやり方、かなり当たり前に根付いている部分も多いのですが、改めていかなければいけません。当然、対子供という場面だけでなくて、周りの人間全てに対して
『相手の行動をコントロールしようとする言い回し、してないかな?』
と、振り返ることができる人は増える必要があるのです。

その先駆けとして、色んな人が正論と持論の違いを理解することはとても大事になる訳です。



「お店の商品をお金を払わずに持ち帰るのは窃盗罪にあたって、刑法第235条に定められてる通り、10年以下の懲役か、50万円以下の罰金が課せられる行為だから、絶対にやってはいけないよ。」
こんな風に言われた際に、

「確かに、窃盗罪の概念は正しいけど、「絶対にやってはいけない。」という意見はあなた個人の持論だよ。」

と、言い返してあげなきゃいけないタイミングを迎える人も一部いると思うんですよね。そういうお役目をこなさなきゃいけない場面を経験する人は今後ちょいちょい出てくると思うので、そういう人たちへのヒントになると良いなって思います。

まぁ、面と向かって言い返すまでしなくても、心の中で
『あー、この人、持論を述べてるなぁ。』
って理解することが必要な人も沢山いると思うので、ピンときてる人は気にしてみると良いのではないでしょうか。

何にしても、

【他者の行動を促進・制限するような言い回し】
が含まれてる時点でそれは正論ではない

ということを理解することで、精神的ストレスが軽減できる人は沢山いるはずなので、必要な人に届いたらいーな、って思ってます。



そうは言っても、
「お店の商品をお金を払わずに持ち帰るのは窃盗罪にあたるから、発覚すれば刑法第235条に定められてる通り、10年以下の懲役か、50万円以下の罰金が課せられるよ。だから、そんなことやらない方が良いんじゃないかな、と、自分は思うよ。
の、ように、自分の考えを伝えるべき場合もあるでしょう。シチュエーションによりけりではあるのでしょうが、ポイントとして、
「"自分は"こう考えている。」
と、主語を明確にして伝えるのを意識することで相手の足を引っ張らない意見の伝え方ができるようになります。

子育てをする上でも、
「事実は○○。だから、ママは◇◇だと思う。パパは△△だと思うんだって。」
などと、1つの事象に対して色んな人が色んな考え方、判断をしていることが伝わるような説明をすることで、子供が自分で考える力、判断力を育てる手助けをできます。当然、学校などの環境でもそうですね。
「先生は、◆◆だと思う。XXちゃんとYYちゃんは▲▲だと思うんだって。」
の、ように、どんな人がどう考えているか、という意見を色々と知れることで、延いては世渡りスキルもどんどん積み上がっていきます。

これ、大人でも効果がある人にはあると思います。正論と見せかけた持論振りかざし人間は、大概頑固な人が多いので微妙かもしれませんが、
「Aさんは◆◆、Bさんは△△だと考えているらしく、自分は☆☆だと考えています。」
の、ように、主語を提示しながら様々な意見を伝えることを繰り返す内に
『あ…。人にはそれぞれ色んな意見があるんだな。』
と、いう点を無意識に刷り込める可能性が十分にあります。そうして、
『人それぞれ意見は違うのに、自分は自分の意見を他人に押し付けていたのかもしれないなぁ。』
と、目が覚める人は一部いるはずなのです。

注意点として、こういう伝え方をする場合、"自分個人の"意見を言わない癖に
「Xさんは●●なんだって~。」
の、ように第三者を引き合いに出すような言い方はすべきではない、っていうことも一応書いておきますね。自分の意見を正々堂々述べられない人には、他人の意見を勝手に引き合いに出す権利無いでしょ、と私は思います。まぁ…これもシチュエーションによりけりなところもあるのかもしれませんけどね…。とりあえず、私のブログに出会う人にそんな吹聴魔はいないのだと信じておきましょう。



前にも全然違う話の中で書きましたが、日本の学校で行われるテストって、
【空気を読んだ回答をさせようとする問題】
が結構多いんです。それとか、ゆとり教育以前の教育スタイルとして
『過半数に含まれていることが正解!』
みたいな風潮も結構強かった(っぽい)ので、

多くの人にとって正解そうな意見=正論

と、認識してる人の数が物凄く多いんだと思います。

そういう背景を悪用して
「(あなた以外の他の人は)みんな、Aを選んでいるのだから、Bを選んでるあなたが間違っている!」
みたいな言い方をする人、まだまだいますよね。そして、そういう人たちが
『もしかして…決め付けてる自分が間違っているのか…?』
って気付く可能性の方がはるかに低いから、
『関わりたくねぇなぁ。』
と考えてるのは、きっと私だけじゃないと思うんですよ。だから、

「まぁ、何でも良いですけど、それはあなたの個人的な意見なので、押し付けるの止めてくださいね。」

ってビシッと言える人が増えると、日本はもっと良くなる気がするんです。いや…やっぱ、自分の意見が正論じゃなくて持論でしかないってことに気付ける人って少ないのかなぁ?笑分かんないけど、私は私の同志を密かに後押ししてます笑【正論もどき】をバスターしていきましょ!

自分にとっての正解が他人にとっての正解とは限らないということを理解している人間の数がどんどん増えると良いですよね🌠

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