ホピ族の預言とインターネット
{2023.08.31の記事}
今日の話は【都市伝説】っぽい内容になりますので、苦手な方はお気を付けくださいね☆
くどいですが、改めて注意点から入ります。
本日のお話に違和感を感じたらすぐにブラウザバックするか、一旦最後まで読んでも必要な部分だけをお受け取りください *⌒艸⌒
私の考えが全てではありません。
ということは念押しさせて頂きます。
このようにネット上のブログという形でお伝えしているので、説得力が一切無いように感じるかもしれませんが、
〖インターネット時代の終わり〗が始まっている
ことをひしひしと感じています。
この、〖インターネットの終焉〗と〖ホピ族の預言の話〗に強い関連性があるように思えて仕方ないので、今日はそのお話を書きます。
まず、私がネットにオワコン感を強く感じた原因の話から入りますが、YouTubeがきっかけです。
私は元々
『YouTubeのコメ欄にコメントする人の気が知れない…。』というタイプだったのですが、この2~3年の間で自分の価値観が変わったという経緯があります。
更に、YouTubeの運営等からの【評価基準】の中に
[動画へのコメントの数が多い]
という部分も含まれるということを知ってから、動画投稿主への応援の一環としてコメントを残す機会が増えていました。
そうして私はYouTubeのコメ欄によくコメントを書くようになっていたのです。
ところが、YouTubeのコメ欄には、荒らそうとする人や、他人のコメントにいちいちつっかかったり反論したりする人も沢山います。
私は滅多にタゲられることもありませんでしたが、たまにダル絡みしてくる人は確かにいました。
チャンネルによっても多少コメ欄の民度の低さは変わりますし、私のコメントの言い方や内容次第で、全く絡まれないこともあります。
私が動画にコメントをするようになってから、[コメ欄を読んで色んな人の色んな意見を見ること]も含めて動画を楽しんでいました。
ちょっと変わった人に対しても
『面白い人がいるもんだなー。』と、他人事として眺めていられたのです。
それが最近、
『YouTubeのコメ欄って、メンヘラとかまちょの巣窟やん…。』と、ふと感じてしまってから、妙に気持ち悪さしかなくなってしまいました。
正に蛙化状態みたいな感覚で、こうなってしまうと
『動画の投稿主もかまちょばっかやん、え…キモい…。』と、なってしまい、私のYouTube離れが始まっています。
YouTubeがつまらなく感じるようになったのには他にも理由があって、明らかなお金儲け目的なチャンネルが増えた点も大きな要因の1つです。
これはYouTubeに限らず、最近の様々なブログもそうで、広告ばかり、ポップアップばかり、それらを我慢して読んでみても内容がペラっペラなものほど検索のトップに上がっているので、手間だけが増えて得られるものが非常に減りました。
動画にしろ文章にしろ、[広告料をせしめること]ばかりに集中して肝心の内容は【全く中身の無い作品】ばかりが物凄く増えてしまったように感じます。
私個人的にずっと意味が分からないのが、YouTubeのコメ欄のシステムです。
・動画に対するコメント
・引いては投稿主に対するコメント
を書く場のはずなのに、
[コメントを書いた人にレスポンスできる]という仕組みが、本当に嫌でした。
私個人的にも嫌ですが、
『日本人に向いてない仕組みだな?』って風にもずっと思ってたんですよね。
案の定、ネット弁慶にとって居心地の良い空間が出来上がってるように見えてしまいます。
蛙化状態の私は文句が続きますよ、ごめんなさい。
更に、
・投稿された動画の再生数
・再生数に対する高評価、コメントの数
がその動画の評価に繋がるので、投稿主はよく
「高評価・コメントお願いします。」
などと言っていますよね。
そこまでなら良いのですが、最近ではコメント数を稼ぐ為に[付いたコメント全てに返信する]投稿主さんも多く、見ていて窮屈です。
視聴者、登録者に媚を売りながら動画投稿する投稿主が増えた点も、つまらない動画が多くなった原因の1つでしょう。
これら、YouTubeのシステムがどうも日本人の国民性と不和を起こして、気持ち悪い世界観が出来上がっているように私には見えてきてしまっているのです。
また、再生数を稼ぐことや注目を集めるために著作権を侵害していたり、撮影許可を取っていないのに投稿している…
↑そういうチャンネルを見て
『この人がルール破ってるなら自分も破ろう。』
『許可とか要らないんだー。』
などと考える人も増えるので、なかなかカオスな状態が広がっているのも、見ていて不快に感じるようになってしまいました。
少し前までは
『まぁ、ルール守れない人は何しても守れないからある程度は仕方ないよね…。』とあまり気にならなかったのですが、最近は気持ち悪くて仕方ありません。
蛙化ってヤバいですね。
少し似たような話で、インスタ映えのためだけに食べ物を買って、食べずに帰る…
のような節度の無い行為がネット厨の中では問題に感じない程の倫理観として広がっていることに対しても、かなりの気持ち悪さを感じ始めてしまいました。
蛙化ってy………
ここで、ホピ族の預言にまつわる話を書きます。
ホピ族とは、ネイティブアメリカンの部族の1つで
【平和の民】
と呼ばれています。
ホピ族の暮らす土地に、ホピの預言を示す岩絵があるのですが、この岩絵の解釈として
①大地と共に謙虚さも神への感謝も忘れることなく生きることで、平和に年を重ね、魂になった後も穏やかにいられる
②私利私欲に走り、頭でっかちなまま生きることで、争いを繰り返す
それらの道の分岐点に我々は立っていて、我々の選択によって、訪れる未来が変わるのです
と、いうことを表しています。
はしょりにはしょりましたので、気になる人は是非是非調べてみてくださいね◎
それで、この②を示す岩絵に描かれている人物画は、
[がに股の人間が手を繋いでいる]
様に描かれているのですが、私には
[PCのモニターに向かう人々と(ネットで)繋がり合っている]
様子を示しているように見えるのです。
これは即ち、
「インターネットを使ってお金儲けをしながら生きることは、争いの中に身を置くことである。」
ということを示唆しているように感じるのです。
※個人の感想です。
私は普段から、
「頭の良い人と悪い人がいる訳ではない!」
と訴え続けておりますが、あえて言いますと、ネットの世界を頭の悪い人たちが荒らし続けることは止まないんだろうと感じています。
頭が悪いという表現では語弊があるかもしれません。
[配慮の足らない人間の寄せ集め]
がインターネットの世界になることが、想像に容易い状態になっています。
この節度の無い世界観と、ホピの預言の岩絵のイメージがリンクして仕方ないのです。
再びYouTubeの話に戻るのですが、私は動画で何かを学ぶことも可能だとは思っています。
私自身、多くの動画から私の為になる情報を教えて貰いましたし、動画を活用する以前よりも知識量は増えた自信はあります。
ただし、それは私自身が動画を見ながら
・分かった気になっただけで終わらせなかったから
・都度、自分の頭の中でも考えながら動画を見ていたから
など、私が『学ぼう』と意欲的に見ていた部分にも由来していると思っています。
動画というコンテンツは、本と比べると頭を使わずに理解しやすく、
[分かった気になりやすい]
という面も大きいです。
このことから、
・頭を使っていないのに賢くなった気になりやすい
・理解できていないのに理解した気になりやすい
・考える力は延びにくい…
などなど、
【賢いつもりのおバカさん】
という厄介な人種が増えやすいのです。
勿論、私だってその1人とも言えますし、あんなに必死に歴史系の動画を見ていたのに、やっぱり年表は頭に入っていないので、そういう点では何も成長していないとも言えますよね。
こんな風に、(一概に本を読んでさえいれば良いとも思いませんが、)
[動画を見ただけで賢くはなれないのが現実]
だと皆様も想像しやすいと思います。
そんな、
【頭を使えていないのに賢いつもりの人間】
が沢山沢山集まっている環境が……
平和で済むはずがないんですよね。
ましてや、匿名性の高さを利用して好き放題暴言を吐いたり、日頃の鬱憤を晴らそうとしたり、[心に歪みが生じている人にとっては絶好の環境である]という点が狂気を増幅させてしまうことも何ら不思議ではありません。
そういう環境で、いくらお金儲けをしやすいからと言っても、果たして幸せを見出せるでしょうか?
あくまで私の推論に過ぎませんが、そろそろ
「写真及び動画撮影の一切を禁止させていただきます!」
と公言するお店や施設が増え始め、何ならその様に公言しているお店や施設への信頼感を強く感じられるようになる日もそう遠くないのではないかと思います。
また、現実世界とネット世界はしっかり分離していく流れになる可能性があります。
ネット弁慶と呼ばれるようなタイプや、お金・損得勘定でしか物事を量れないようなタイプは、ネット世界で飄々と生き続け、沢山お金を集めることに喜びを覚えながら暮らしていくでしょう、
しかし、お金で買えない幸せに目を向ける人々はネットの世界から離れ、地に足の付いた生活に戻っていく人が増えるはずです。
どちらを選ぶのも人それぞれの自由であり、誰も他人の選択に対して言及する権利は持ち得ません。
ただ、今、この現代こそ、その分岐点であり、
『自分がどのような選択をしていくのか?』
しっかり吟味することが大切な時期なのではないでしょうか。
焦って決める必要も無いですが、早い内からじっくり吟味して、少しずつ少しずつ自分の選択肢を固めていくのも1つの方法だと思うので、必要な人に必要なメッセージが届いたら良いなって思います。
冒頭で
「インターネット時代の終焉…」
という書き方をしましたが、
"ほとんど全ての人が"ネットに関わる時代の終焉
と言った方が良いのかもしれませんね。
ただ、私の目から見るとどうもネット世界はもう、毒され過ぎたように見えている、という風にも書いておきます。
また、
「インターネットを使わない世界がお金を稼げない世界になる訳でもない!」
ということも念のために書いておきます。
あくまで
【お金や物質に固執しすぎない価値観で生きやすいのがネットを離れた世界】
というだけで、ネットを使わなくても生活費や+αを稼ぐための市場が無くなる訳ではないでしょう。
偏った思い込みで不安を抱く必要はありませんのでご安心くださいね。
こうしてネットに書き込んでいる私が言及するのもおかしな話なのですが、
[ネットに書かれていることは話半分で読んだり聞いたりすること]
が大切です。
特に
「俺は」「私は」など一人称による発言ではなく
「若者は」「中年は」「年寄りは」「○○県民は」「日本人は」
などなどなど主語を大きな一括りにして語ろうとする発言には要注意です。
自分が属しているからといって、その団体全員が同じ考え・同じ行動を取る訳がありませんので、
『そうかもなぁ???』程度の感覚で受け取るのが良いでしょう。
他人の発言・意見を見て鵜呑みにし、一喜一憂しながら振り回されるのではなく、
自分が望む生き方を見付け、穏やかに豊かに生きられる人が1人でも多く増えることを祈っています。
常に、
「自分の意見が一番重要である!」
と立ち返ることのできる人が増えますように。
【我が道を堂々と進んでいける人】
が増えますように。
おわり
ちょっと追記
今日の内容は、もしかしたらホピ族の預言についてある程度把握した上で読まないと私が言いたいことの本質が伝わりにくいかもしれません。
もし、
「ん?」
ってなったら、
【ホピ族の預言】について軽く調べた後に、このブログを読み直してみて貰うと何となく私が言いたいニュアンスが伝わりやすくなる可能性はあります。
と、一応書いておきます。
毎度のことながら、私は決してお金儲けを悪いことだと訴えているのではなく、
「お金を追いかけるような生き方で、自分や他人をおざなりにしてしまうような息苦しい価値観は一度見直してみてはいかがでしょう?」
と、提案の1つとして書いております。
結局、私利私欲に走る人が集まってしまうと、争いは必ず生まれてしまいますからね。
そういった、
[私利私欲にまみれた人間が
ネット世界の中にホイホイされた…]
なんて見方もできるんですよ。
利益を奪い合ったり、お互いの足を引っ張り合ったり、細かい紛争を続けたい人間には、ちゃんとそういうことを続けられる場が与えられている分、現実世界は穏やかな世界として運営していくこともできる可能性が生まれている…
っていうね。
ちょっとシニカルが過ぎたかもしれませんが、必要な人に上手くメッセージが届きますように。
豊かで穏やかな世界を築く人の一助になることを願っています。
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