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真似


霊長類の脳には、ミラーニューロンという神経細胞があるそうです。

サルで実験を行った際、
・自分が特定の行動しているとき
・他者が同様の行動しているとき
どちらであっても同じ反応を示す神経細胞だそうです。

他者の行動を見て、自分が行っているときと同じ反応が現れる、この反応を利用して我々人間も赤ちゃんなど、一部では成長に大きく役立っているらしいです。

自閉症の人にはこのミラーニューロンの反応があまり見られないなどの意見もあり、私たち全ての人間がこの神経細胞に大きな影響を受けているかどうかという部分は明確ではありません。

ただ、私たち人間にとっては、成長したり、日々の生活を向上させる上では[真似をすること]が大きな役割を果たしているのは確かなので、大事な細胞でもあるのかもしれませんね。



心理学において、ミラーリング効果と呼ばれるものもあります。

人間は好意を抱いている人の行動を真似してしまうことが多く、逆に、その性質を利用してあえて相手の真似をすることで相手から好かれようとするテクニックとしておすすめされていたりと、真似と好意の親密な関係性を示唆する効果のことです。

人間にとって【真似】は、なかなか重要な行為のようですね。



ですが、
『真似されて、気持ち悪い!』
と感じる経験をしたことがある人も少なくないはずです。一概には言えませんが、女性に多い印象があります。

自分の持ち物や服装をいちいち真似されて
「真似するの、止めてくれない?」
と咎めても、
「真似してないよ?たまたまだよ?」
などと、一向に止めて貰えずに不快になるようなケース、耳にしたことありませんか?

私も、アパレルの販売員をしていて、私が着ている服を必ず買うお客様がいたこともあって、嬉しいような怖いような、複雑な気持ちになった経験があります。



私は喋り方が特徴的な上に、声も通るからか、私の話し口調はしょっちゅう周りに伝染します。

それが何とも気持ち悪いというか、
『まぁ…仕方ないんだろうな?』
と思うというか…。

伝染している周りの人間を見てると、
『話し方を真似しよう!』
としている訳ではなく、無意識に私の話し口調が伝染している様子で、何だかその"無意識"に動いてるところに気持ち悪さを感じてしまうのです。

まぁでもやっぱり、あくびがうつってしまうのと同じような、身体の反応による部分が大きそうなことも何となく感じているので、いちいち気にしないように努めています。

そんな感じで、私個人は[真似されること]に不快感を覚えるタイプなのです。



先程書いた、ミラーリング効果なんかは、
『止めてくれー!使うなー!』
って、思ってます。と、いうか、
『いや、真似されて好意感じる、なんてあり得ないって…。』
位に思う程に、真似されるのが好きではありません。

人間の身体的反応の一種でもありそうだから…咎められないんですけどね。

気付いた人から
『あ、無意識に過ごしてると人の真似をしてしまう!気を付けよう!』
と、自分の行動を気にできる人が増えていって欲しいものです。



さて、先日書いた記事の中で私は
「そうか!私は無意識の内に、『誰かの真似をして幸せにならなければいけない。』という感覚があったせいで、真似することへの嫌悪感を抱いていた節もあったのか!」
と気付いたということを少し書きました。

件の記事ではあっさりとしか書きませんでしたが、今日はこの辺の説明をもう少し詳しく書いておきます。

私は、私自身自覚が無いレベルで
『私は、自分のお手本になるような生き方をしている人を見付けて、"真似した上で"幸せにならなければいけない。』
と、感じていたことに気が付きました。

この意識がうっすらと自分に宿っていたのは、恐らく習慣による無意識だったのだと、後になって判りました。



私たちは子供の頃から、
「憧れの人は誰ですか?」
「尊敬している人は誰ですか?」
「誰を目標にしていますか?」
などなど、質問される機会は多いです。就活においても質問されることも多い位なので、子供、大人、関係無く
『"お手本"を設けていることは至極当然。』
のような無言の圧を体感させられる機会が多いのです。

恐ろしいもので、この

『[【既出の存在】の真似をして目指す]のが当たり前だよね?』

といった体で応対されることを繰り返す内に、無意識の内に
『私も、誰かに憧れなければいけない。』
『私も、誰かを尊敬しなければいけない。』
『私も、誰かを目標にしなければいけない。』
と、いう焦燥感を抱えたままずっと生きていました。

憧れも尊敬も目標になる人物も、いるはずなんてないのに。



以前別の記事でも
「なるほど!『憧れとは理解から最も遠い感情である。』から、色々なことに理解を感じてしまいやすい私には、憧れの存在がいないのか!」
と理解できたという話を書きましたが、正にそれで、私は歴史上の人物や著名人、雲の上の存在のような人たちであっても、彼、彼女らの気持ちを想像して、理解を示し、共感することで、その人たちの美学に感動することを好みます。

だから、私にとって、どんな人物も"憧れ"の対象にはならないのです。

『凄いなぁ。』
とは思っても、
私だったら○○しちゃうなぁ。』
私は△△したいなぁ。』
という風に"自分だったら"どうするか、あくまで別個体の行動として捉え、私自身は違う行動を取ろうとするので、
『私もこの人みたいになりたい!』
という感情が湧かないのです。



私がかつて、就活に向けて"用意した"憧れの人物はレオナルド・ダ・ヴィンチなのですが、私は彼のことを本当に『凄い!』と感じています。

ですがやはり、彼のデスク周りは散乱していたとか、仕事の納期を平気ですっぽかしていた、などのエピソードがあるので、私は
『彼のようになりたい!』
とは到底思えないのです。

定かではありませんが、私はレオナルド・ダヴィンチこそ、歴史上最もIQの高い人間だったのではないかと考えています。彼の残した作品を視たり感じたりするだけで、彼が常人の域を遥かに超えていたであろう知能が視えてきて、人間という小さい世界に留まる必要性の無さを伝えてくれてきているかのような解放感を与えてくれるのです。

そんな賢かったはずの彼が、"現実的に使い物にならなさそうな"ヘリコプター(の原型)を図案しているという点に、私は強い興味をそそられます。

レオナルド・ダ・ヴィンチは、その天才性により、軍から
「兵器を開発してくれ!」
と、依頼を受け、例のヘリコプター(の原型)を提案しています。一説によれば生活費を稼ぐために依頼を受けざるを得なかった、などの話もあります。

私はこれらのエピソードから、
『レオナルド・ダ・ヴィンチはきっと、"兵器"なんて出来上がって欲しくなかったから、それっぽい図案を提出して、『兵器を開発してみました!』という体で兵器の開発を阻止したんだろうなぁ…。』
と、推測しています。あくまで推測ではあるのですが、私にはどうも
『きっとそうに違いない!』
と妙に確信染みたものを感じており、それを信じています。

いかにも本当の天才だからこそできた、やりかねない所業だと感じられるのですが、私がレオナルド・ダ・ヴィンチと同じ立場であったとしても決して真似のできない所業だとも強く思うのです。

依頼された物を
[一生懸命開発した体で]
且つ
【現実的に実現すれば凄いであろう物】なのに【実用性は乏しそうな物】

[提案する]
という荒業で、
[依頼された物の開発を食い止める]

なんて、やり口がかっこよすぎるし、彼の
『"兵器"なんて作るべきじゃない!』
という思想に対する、彼の信条の貫き方に彼の気概までもが激しく感じられて、私は圧倒されるばかりです。

私には到底真似のできない所業をやってのける彼だからこそ、凄いと思うし、感銘を受けるし、好きなのです。

でも、別に私はレオナルド・ダ・ヴィンチのようになりたいとは思いません。

他にも、凄いと感じたところで
『この人のようになりたい!』
と思うような人などは一切いないのです。



私にとっては、
[憧れ、お手本にしたいと思う存在なんてあり得ないのが事実]
だったにも拘わらず、
『憧れ、お手本を探さなければいけない。』
とほんのり思い込んでいたことで、またアクセルとブレーキを同時に踏んでいるような状態を引き起こしていた訳です。

それが先日、
『憧れ、お手本なんて探さなくて良いんだ!』
と確信を得られたことで、とっても晴れやかな気分になりましたよ、という話でした。

ところで、冒頭に書いたミラーニューロンですが、この神経細胞は私たち人間が他者の気持ちに共感する際にも強く反応を示すそうです。

と、いうことは、多くの人の感情などに強く共感しやすいエンパス体質の私は、このミラーニューロンの反応も強い可能性が高い訳です。HSPの人たちも同様、その可能性は高いですよね。

ですが、私個人的には
[他者に共感]
した後に
[『自分はどうだろう?』と、他者と自分の差を比較する]
ことがほとんどなんです。

[他者に共感]
した後に
『自分も真似しよう!』
とは、ならない場合がほとんどです。

皆さんはどうでしょうか?

私個人の感覚としては【共感】という反応を示した後、【自分との比較】という思考に切り替わるので、
ミラーニューロン=真似する遺伝子 ではない
と、感じています。



絶妙な感覚ですが、
[他者と共感]
した後に
『私も同じだ!』
などと、あくまで自分と他者が別個体として共鳴することはあるので、[他者と感覚を共有すること]ができない訳でもないんです。あくまで、共鳴するかしないかの決定権は自分の意識にある感覚なのです。



憶測でしかないのですが、このミラーニューロンが反応しただけで真似をしてしまう、自分と他者の境界線があやふやになってしまうような感覚になる人もいるんだと思うんですよ。

だから、他人の真似をしてるのに真似をしてる自覚が持てない人もちらほらいるのかな、などと思ったりもします。

ただ、私個人の感覚では、【共感】という反応が起きた後故意に
『自分はどうかな?』
と、他者と自分を切り離すよう意識を繰り返すことで
[無意識に真似してしまう]
という反応を減らすことが可能なんじゃないかと思うんです。むしろ、そうやって、

[自分は自分の意思によってしか動かない]

という場面をより多く増やすことに、自分の幸福を見出す鍵が眠っている気がしてなりません。

なので、この話にピンときてる人は、他者との関わりの中で、ちょっと意識してみるタイミングを増やしてみても面白いのではないかと思うのです。



一昨日の記事にて、
「スピリチュアリスト"っぽい"行動を取って満足してる人が苦手だ。」
と書きましたが、この辺の内容も今日の話の根幹と繋がっているのだと思います。

恐らく、スピリチュアリストに無意識的に共鳴してしまって、同じような行動を取ってしまっている人も、一部いるのでしょう。そういう人たちは、他者の真似をしてる自覚も無く、自分自身が満足しているかのような感覚で、満足していられるのかと推測できます。

ただ、そんな中で、
『何か、違うんだよなぁ…。』
と、違和感やモヤモヤしたものを何となく感じている人だっていると思っていて、私はそっち側の人を後押しするヒントをあげたいんですよね。

「真似しなくて良いんだよ!」
「自由に、自分のオリジナリティ発揮して良いんだよ!」

って伝えたいんです。



私の同志たちは(同志と言っても、現実世界で出会うかどうかは知りませんが)、わざわざ地球という星に来て【分離感】を楽しみに来てる側面もあるはずなんですよ。

その、【分離感】をも存分に味わうなら、他の人間を真似しなければいけない空気感や世界観に負けてる場合ではないんです。

でも、私たちは社会の中で育つ上で、誰かの真似をしたり、周りと同じようなことをするよう強いられたりして、他者と同じように振る舞うことが癖付けられているので、自分だけが違うことをするのに強い恐怖心を持ってしまってる人も少なくないじゃないですか。

そうやって、魂はそれを望んでないのに、周りに馴染まざるを得なくて燻ってしまってる人を1人でも解放するお手伝いができる話を書いておきたいんですよ。



すっげぇ表現に悩むけどね!!!



この前、私が気付きを得た経験から、
『そうか。私たちは、"無意識の内に"他者を真似させられるような空気感に染められているせいで、余計な思い込みを抱えてる部分もあるのか…。これは、解消するの難しいなぁ。』
って、実感したんです。

それで、できるだけ色んな人が、各々の"無意識"に潜んでる思い込みに気付くきっかけになる話を書こうとすると…難しいんですよね、これが笑

具体的な悩みと違って、漠然とした悩みだったり、モヤモヤだったり、生きづらさを解消させるには、それこそ各々の盲点に入ってしまっている部分をほじくらないといけないから、それらを触発させる内容を書こうとするなんて、無謀に近い気もして、我ながら
『何しとんねん。』
って思ったりもするんですよ。

けど、望まない世界観に囚われてしまってる人は1人でも救われるべきだと私は思うんです。

何より、私が早く解放されたいですし。



前々から何度も書いてますが、意識体としての私たち(魂)は、人間の肉体(遺伝子)の反応に縛られてる部分も多いから、それらから解放される話は多いに超したことがないと、私は考えてます。

【真似】という反応も、人類の誕生から今日に到るまで積み上げてきた成功データに基づくものでもあるので、抜け出すのは容易ではないかもしれませんが、解放された方が幸せになれる可能性も高いのです。

必要な人に届くと良いなって思います。


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