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うた 宇宙(そら)のまにまに⑦

産声と闇

闇から生まれいでた瞬間

いきなり眩しい世界に押し出され

濃い酸素が肺の中に流れ込んできた途端

わたくしはこの世界に聲を発したのだった

それは驚きの発声だったのか、

なにかの宣誓だったのか、

憶えがないのだけれど

其の時から

それまでずっと共に在った闇は

わたくしからどんどん遠ざかっていった

「光こそ善である」と思い込むほどに

なのに今、

わたくしは凄絶に闇を乞い求めているのだ

闇が故郷だったこと

すべての音を包摂する闇こそが

わたくしの還る世界

ずっと忘れ果てていた大事なまことを

思い出せたから             

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「闇という漢字は音を門の中に大事に抱えている」インディアンサマーの昼下がりに降りてきた言葉。闇からすべてが生じているのに、闇を悪く言うのはおかしなことだ。闇は純粋に神の統べる場である

本来は闇の時間であるはずの時刻でさえも、人工光で必要以上に照らされる現代。モノがくっきりと見える時間が長くなり、必要以上に明るい場所に長く居るようになった人間は、視覚に極端に依存している。その結果、見た目重視という偏向を「善」とするおかしな世界が形成されている。

其処では見目形に過剰な価値を認め、見た目が内容よりも時には優先されることさえ出来する混乱も生じている。例えば、偽物の若さや美しさに振り回され、生命の循環の流れに逆らう悪足掻きに、わたくしは息苦しさを感じる。老いること、枯れることを否定し、狭い美の基準から外れる恐れに怯えている世界。華やかに楽し気にふるまいながら、その実ヒタヒタと忍び寄る衰えに、ピリピリと緊張する心理が溢れていないか。

わたくしは今、美しい人が多く行き交う街に暮らしている。美しい人を目にするのは素直に楽しい。美しい人々はその美しさに釣り合うファッションに身を包んでいる。楽しく生きているはずなのに、なぜだかさっきすれ違った美しい人の喜びと苦悩の気配を感じて、フッと息を吐き出してしまうことがあるのだ。

朽ちるからこそ美に愛おしさを感じることもある。命あるものの美しさは、その中に滅びが潜んでいる。その哀しみが、美に儚さを加えることで見る者の心に響きを与える。美は滅びる運命を抱えるからこそ完璧なのだった。

ある本で、一日の始まりは、日没からなのだと書いてあった。闇の時間が神の時間であるから。そして日の出から人の時間が始まるのだと。わたくしたちはもしかすると、さかさまの世界に居るのではないか。

もし、人の仔には見えない=闇だけの世界にわたくしたちが生きていたら、どうなるだろう。美しさは何を基準にして測られるのだろう。やはり、音だろうか?響きの中に美を求め、競うのだろうか?

闇は悪でもなく、光も善ではない。光と闇のバランスこそが重要であり、どちらかに余分な思い入れや意味づけをし、視覚情報で値踏みすることは、本来自由であった美を金で縛ることとなる。

もし、まことの世界をそのままに味わいたければ、見目形にも音にも値段を付けないことだ。

わたくしは、日没の時刻に生まれたそうだ。神の時間が始まる刻に闇から見える世界に移動した私は、そこで産声を発し、肺呼吸を始めたのだった。

過酷なイニシエーションを皆が通って此処(地球)に来る。競うためではなく、共に響き合うことを目指してきたのではなかったか?産声という曲を見つけた。

https://www.youtube.com/watch?v=22ywUUlLaJQ

忘れられた大事な約束は、産声の宣言の中にあったのかもしれない。闇の中の音は美しいか?それはどんな響きだろうか。

晩秋の夜闇に夢想したことだ。

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