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鳥居(門) イイ・ヤシロ・チ⑨

神社の入口に必ず有る鳥居。鳥居の形が、祀られる神様を表すことなどを教えてくれたのは、タクシードライバーさん達だった。

遠くから見ても、どんな神様が祀られているのかわかリます、鳥居が船の形のように反っているのは、海から来た神様のお社です、横から見ると五角形になっている部分があるでしょう、などなど。

ベテランのタクシードライバーさんには、寺社の歴史や古墳、古地図などについて造詣の深い方々も多くて、わたくしは、この身を運んで頂きながら、様々なことがらを教わった。

熊野、出雲、伊勢、諏訪、淡路島、宇佐、壱岐、那覇などなど、何処に行っても親切で智慧深いタクシードライバーさんとのご縁に恵まれた。おかげで、現地でなければ分からない歴史や言い伝えを楽しく教わることが出来た。本当に感謝申し上げるばかりである。

共通するのは、どなたも車が大好きで、ホスピタリティに優れ、ドライバーのお仕事に自信と誇りを持っておられることだった。「この仕事を続けて来られて、幸せな人生です。」このキッパリとした、清々しい言葉をその方の笑顔とともに忘れることはできないだろう。

さて、本題に戻ろう。鳥居である。それを鳥居と呼ぶのは、神話において、吉祥の鳥のとまり木だったから、または「通り入る」からくるとの説もある。

大変分かりやすくまとまった良記事があった。

https://jpnculture.net/torii/

形からしても、他国の建造物を見ても、これは、門である。だから、ひとまず門としての機能に注目して、イヤシロ的な考察を試みたい。

1.ランドマークとしての機能

他所から詣でる者にとっては、大きな鳥居は其処を目指して行くことができる。そして近隣の住民には、地域のシンボルとしての役割も果たす。わたくしが訪れた平安神宮、大神神社、出雲大社、熊野の大斎原、淡路島のおのころ島神社などなど。どこも素晴らしく立派な大鳥居が参拝者たちを招き、堂々と立っていた。

2.主祭神を表す表札的な機能

様々な形や素材、色、しめ縄の有無などによって、そのお社がどんな神様をお祀りしているかを示す。参拝者へのインフォメーション、そして、かつてだれの所領(テリトリー)であるかを示すこともあっただろう。

3.回廊を形成する機能

スタンダードには数本の鳥居が、崇敬者から数多く寄進され、参道をカバーして、アーケードのように続く美景も現れるようになった。伏見稲荷大社や元乃隅稲成神社などのお社も最近は評判である。

そういえば、岡山の吉備津神社の回廊は鳥居ではないが、とても美しく、奈良の長谷寺の回廊も素晴らしい。参拝者の感動を深める建築技術であった。遠景で眺めると、まるで大きな龍蛇のように観える、と感じるのは、わたくしだけであろうか。

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4.神様が境内へ出入りする場所を示す装置?機能

門は、外界との仕切りであり、入退場の管理を行うところである。通常は、そこに戸が在り、門番が張り付いている。

そのどちらもない鳥居は、本来人の仔のための設備ではないのかもしれない。確かに、鳥居の中に続く参道の歩き方のマナーは、中央は神の通る場所だから、人は端をと決められている。

見えない存在の出入りのための門とするなら、門に一をいれると、閂(かんぬき)になることもナルホドである。鳥居の構造には、「貫」(ぬき)がある。見えない存在のためのストッパーは、それで施されているのかもしれない。

こうして取り留めもない思考をつなげているうちに、ふと思いついたことがある。「見えない存在のための鳥居は、其処を通るモノによってさらに機能は細分化されるのかもしれない」と。

つまり、鳥居は人の仔が建てるのだから、最初の作業は、其処を誰が通るのかを想定することだろう。

龍神のような、外界から自在に出入りされてよいモノとの交信場所のためであると、設置場所は、水辺や山頂になり、社殿もそれほど大掛かりに設えていないこともあるだろう。琵琶湖の白髭神社、天橋立神社、壱岐の龍蛇神神社など。きっと、古からこの国で人の仔が心を寄せた存在である。龍宮か天から勧請し恵みの雨を頼み、風水害を鎮めることを願う龍が対象である。しめ縄に蛇や龍を思わせる撚り方が在ったり、紙垂が雨や雷土を表すようになっているのもその由。

農耕が普及するにつれて、山からの豊穣神を人里に迎え、農閑期に帰還されるまでの滞在場所としての社の機能も重要になった。しばらく滞在されるモノのための門である。祭礼は豊穣神の送迎行事であり、その出入り口が鳥居となる。もちろん、農繁期に豊穣神に勝手に出ていかれると大変困るので、滞在中はしっかりとおもてなしをするだろう。

最後は、畏れ多い神。社域の中に能う限りお鎮まり頂き、やたら人里にお出ましになられると困るモノ。社外にお出ましになられる祭礼は、神についたケガレを最寄りの水辺で祓い清め、軽く高い波動に調整されてのち、また社殿で静かに鎮座願う。疫病や飢饉など人の手に負えない災厄をもたらすだろうモノを丁重に扱い、年に数度は神輿に乗っていただいてのお渡りと神楽などでご機嫌をうかがう。その場合は、閂の機能は大変重要であり、しめ縄も強く太くなるのかもしれない。

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このようなことを思いつくのも、これまでいくつもの鳥居をくぐってきたおかげかもしれない。門構えに人と書いて、閃く(ひらめく)と。イヤシロチの門の中に入った人間は、神託か天啓のような大げさなものではなくても、なにかしら宇宙の知恵のようなものにアクセスしやすくなるのかもしれない。

元はきっと二本の大樹の間を通るシンプルな門だったろう。幾度か、その名残を見つけるお社に出会い、鳥居よりもずっと心地よい波動の空間を通ってイヤシロチに入ることができた。そのような機会に、與えられる閃きは、数段力強く浄いもののように感じる。

雷のようなまさに電光石火の速さであり、それがもし目に見えるならば、「光の道」としてつとに有名な宮地嶽神社の夕日や、伊勢神宮内宮の冬至の朝日のようであろうと、わたくしは楽しく想像するのである。

https://hanahana01.com/travel/roadofhikari/

神ならぬ身のわたくしは、鳥居を頭を垂れて通らせて頂き、イヤシロチの波動に心身を癒し、再生する。本来、此処は神のために選ばれ、整えられた場所である。そのことを忘れずに、なおもその恩恵に與ることを感謝しながら。

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