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うた そら(宇宙)のまにまに18

山の神に問いかけられて

わたくしは 確かに眠っているのだけれど 
山の神のことばが 脳内に ダイレクトに 届いてしまった

「わたしが 女を 疎んずるはずが ない」

その瞬間 反射的に ご尤も と思ったことだ。

さらに 続けて
「わたしが 醜いから、美女を 嫌うなどと?」
と シニカルな感じで 問いかけられた。

ほんとうは "見えにくい(可視化できない)世界" の書き換え
だから
女の美醜を はかるなんぞに 頓着されようはずもない

そんなことを稽えていると、
 また
「そのとおり わたしと巫女の交信を 都合が悪いと思う輩が 
稚拙な戯言を弄して 妨げてきたのだよ」
と ご満悦な 答え合わせを されたのだった

やれ 何とか合格できたかな、と安堵して 神様問答を終えたのだ

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これは磐座に出向いた日の夜に生じた、夢か脳内問答か判別しがたいモノの記録。

身体は横たわり、目を閉じているのだけれど、クリアな覚醒感覚がある。

映像が浮かぶのでもなく、 聴こえるのでもなく 
思念のやり取りのような問答がただ淡々と進む。

単なる自問自答といえなくもない
だからこそ
わたくしは「忘れずに ちゃんと 書き記さねばならない」と 
強く思ったのだ。

詣でた神社の社務所には 親切な女性方がおられ、
丁寧な対応をしていただいた。
そのお社の背後の磐座は、五月の明るい陽射しに照らされて、
悠然と波動を響かせていた。


祭壇のような空間に スポットライトが

其処に暫く佇んでいると、
人々の切実な願い(たいていは雨乞い)を天に届けるヒメ巫女の姿が 
ホノグラムのように立ち上った気がした。

女性性が本来持つ 受動的な性質が、
ご神意を受け止め、人々の思いを受け止め 
自身の中でつなぐ(くくる)のに 
最適であるのは 当然のことであった。
ククリヒメの名の意味するところは、其処に在る。

それを善しとしない者たちが
女はケガレているから、山に入れない
美女を嫌う、醜い山の神
などという出鱈目を流布したのだろう。

そもそも山の神とは?と思い調べれば、問答通りの民俗学的な解説があった。

わたくしが出会った磐座の、更に奥宮への道に建つ鳥居の脇には水分神社と標があった。その先には、山の神のうちの、命養う水を与えてくださる水神様(龍神)がおいでである。つまりは、雨乞いの対象である龍神の祀り場がこの磐座なのだろう。

磐座奥のさらに山頂の奥宮への鳥居

嘘で固めたことは、どうしても行き詰まってしまうものだ。今時のワクチンの効能などもその一例に過ぎない。いい加減、くだらない作りごとに付き合うのはやめて、本当の世界で生きていこう。お金と魂を交換しようなどとする邪な誘惑に誑かされることなく。

清くケガレなく、   直くズレることなく、美しくトトのった魂を振り、和やかに共生(ともいき)する道を歩みたい。

山の神さまに思いを馳せて、そう願った皐月の夜半だった。

甘やかなカルミラの花 咲き初めて

最後までお読みくださり、ありがとうございます。和風慶雲。




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