命拾いの西瓜 ヌチグスイ*㉒
数十年ぶりの夏の実家で、スイカを堪能する日々。
母が「一番暑いお盆と、一番寒い年末年始は交通も混雑するし、避けて気候のよい時においで」と言ってくれて、春秋の彼岸や法事に帰省するのが恒例だった。そのために、わたくしが実家で夏を過ごすことは長い間なかった。今夏から老親サポートで実家にしばらく同居となった。数十年ぶりの実家の夏、まさかのスイカ漬けの日々である。
7月のひと月で多分、これまでの人生の夏で口にしたスイカの自己レコードを更新しただろう。田舎のコミュニティでは、時期の野菜がグルグル地域中を回ってくるのは既知だけれど、想定以上に彼方此方からスイカが届いた。「しこたま食べる」という言葉がぴったりだと思い浮かぶ。いろんな形・種類の大変甘くよく熟れた果実が名産地でもないのに、途切れることなくやってくる。なぜだか飽きもせず、猛暑のせいか?はたまた体調に合うのか?とにかく美味しく頂く。
夏がめっぽう苦手で、元々食が細いわたくしがこの夏は大丈夫だ、今のところ。古家の片づけと老親の食事の用意などを担っている気負いが、わたくしを夏バテから遠ざけている?人間それなりのプレッシャーを背負っていると、元気が出るのか?いや、すこし緊張が緩むと、ドッとなにかやって来そうな気もする。さて、どうなるやら、虚弱に油断は禁物だ。
でも、普段にはない自分のこの体調の安定は、もしかするとこのスイカ三昧のおかげかもしれないと、その栄養の豊かさを知って改めて感謝している。↓「旬の果物百科」より
まるでベルトコンベヤーに乗っているようにやってくる様々なスイカたち。迎え立つわたくしは、その甘いところを均等に振り分けるように包丁でさばき、皮も除き密封容器にいれて冷蔵庫に収める。父が「うまい、うまい。」と水分補給に喜んで食べてくれるように。スイカの切り方は、手を汚さない方法と、甘さが均一になる方法、種が少ない方法があることを知った時は、なんて素敵な知恵♪と素直に↓感心させられた。
先日の昼下がり、父にスイカを勧めていると、唐突に「スイカは身体にとてもいい。子どもの頃、死にかけた時に西瓜糖で助かった。」と話が始まった。初めて聞く、父の幼い時の命拾いの話だった。
しつこく発熱する幼い父を心配した祖母が、面倒くさがる祖父に「お願いだから、この子をもう一度薬屋に連れて行って」と泣くように頼んでくれたおかげで、自転車の後ろにグッタリとした身体を乗せて運んでもらい、西瓜糖を処方されて助かったそうだ。
父は実は次男で、長男である兄は跡継ぎのいない本家の養子に出されたけれど、その先で病気で亡くなったということもポツポツとスイカを食べながら語ってくれた。祖母は自分の子どもを既に亡くしていたから、また息子を失うのがとても怖かったのだろう。昔は子沢山でもあるが、栄養状態や病気などできょうだいのうち誰かを亡くすことはそれほど珍しいことではなかった。としても、幼い家族を失うことはやるせない出来事だ。
昭和一桁生まれの父は、幼児期はかなり裕福な生活を送れていたようだけれど、戦争とその後の世情の混乱で物心着いた頃からいろいろと辛い思い出も多い高齢者の一人である。
ひもじい体験のほかに、子どもながらに教員の横暴ぶりに反発してついたあだ名が「ごて牛」(ごてる=強情、歯向かう)だったなど、スイカの味が父の記憶を再現するスイッチとなって、わたくしは父のこれまで語られなかった生い立ち話も聞けた。
さて、父の言う、「命拾いの西瓜糖」なるものの販売と、その効用について説明されている良品の通販サイトも見つけた。↓ナルホド、滋養が豊富なヌチグスイである。スイカ侮るべからず。
殊更に暑いこの夏に、滋養食であるスイカがたくさん届けられるのは、わたくしにとってもご褒美のような賜りものである。西瓜糖も素晴らしいのに、「インド産の西瓜の種」も見つけたので、今時のヘルシーなナッツスナッキングのメンバーに加えたい。↓
わたくしはスイカそのままで美味しくいくらでもいただけるけれど、皮も含めていろんな食べ方を紹介するスイカレシピもある。↓
そう言えば、わたくしの大好きな木皿泉さん脚本のテレビドラマの「すいか」もあったなあと、ふと思い出した。これまたお気に入りの女優、小林聡美さんが主演するこのドラマ、本当に良質な、人の心の機微をこまやかに表す、まさに日本でしか作られない珠玉の作品だと思う。
このドラマのテーマのように、普段の生活の中に宝物がたくさん隠れていると本当の意味で理解できたのは、年齢を重ねたおかげかもしれない。老いた家族との会話の中に、自分がまだこの世に存在していなかった頃の、彼らの人生や感情を五十路を越えて受け止められる自分にやっとこさなれたのか?自分のことだけで精一杯だった若い時に見えず、聴けずだった事柄に、アレコレ逆らわずに耳目や心が向けられる自分を見つける。これこそが若さや溌溂さの代わりに得る受容や見直しの値打ちなのだろう。年齢を重ね、出来事に少し距離を取って眺められるように少しはなったのか?そうであるなら幸いである。
祖母が泣いて頼んで、父が西瓜糖で助かったからこそ今わたくしは虚弱ながらもここに生きている不思議。実は西瓜糖で命拾いしたのは、わたくしやわたくしのきょうだい、そしてその子どもたちなのだとはたと気がつく。
その驚きと共に、年を取ることは本当にありがたいギフトだと実感しながら、今日も甘いけれどサッパリとする、ひんやりとしたスイカ(しかも無料)をほおばるわたくしである。
最後までお読みくださり、ありがとうございます。和風慶雲。
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