無法、死すべし #2
二日目の朝を迎えた。男――彼はその後、ラーカンツのガノンと名乗り、商人からの依頼を請け負った――は朝の日を受けて、その肉体を輝かせていた。背中、腕、そして脚。すべての筋肉は隆々としており、陽光と汗がそこに華を添えていた。
免疫のない女性が一目見れば、それだけで『ひと騒ぎ』が起きてもおかしくない。そう思わせるに足る姿であった。
「おはようございます、ガノンどの」
そしてその免疫のない女性が、隊商には一人いた。隊商の主が手塩にかけて育てた娘。蝶よ花よと育てた娘。今は婚姻における自衛のため、薄い髭をつけて男装をしている娘が、隊商にはいた。
「む。ああ、息子どのか」
ガノンは無防備に、己の肉体を彼女に向けて晒してしまう。さもありなん。南方蛮族において、男子が己の肉体を隠すのは恥である。肉体的欠損、あるいは精神的な障害を疑われる行為である。
南方蛮族の性質を記した書物には、『生来の病から肉付きが悪く、肉体を晒すのを固辞していた男が手酷く揶揄され、悲しみのあまりに谷底へ身を投げた』などという記事もある。ともかく、身体を隠すほうが異端なのだ。
「は、はい」
娘は一瞬付け髭の下で顔を赤らめ、直後平静を装った。彼女にとって男の半裸など、親兄弟のそれしか見たことがない。ましてやこのような筋骨隆々、『雄』を前面に押し出したような裸体など、ついぞ見たことがなかった。
「しょ、食事の時間とのことで」
「後にさせてくれ」
「え」
ガノンのくすぶるような黄金色の目が、未だに揺れる乙女を射抜く。彼女には、ガノンの放った言葉の意味がわからない。それを見て取ったガノンは、おもむろに説明を加えた。
「全員で飯を食らえば、張り番がいなくなる。まずは隊商が飯を食い、おれはその後に食らう。それならば」
「ああ、なるほど」
娘は得心がいったかのように手を打った。彼女はいそいそと隊列に戻っていき、しばらくしてから、彼の食料を持って再度現れた。
「なんだ」
「父上が『張り番のことは考えていなかった。見張りながらでも構わぬ』と」
「ふむ」
ガノンは、娘が持って来た朝食を手に取る。日持ちのする干し肉を、塩茹でにしたものだった。彼はそれを、ほとんど一掴みで、貪るように食べ終えてしまった。娘は必然、面食らうのだが。
「あ、あの……?」
「張り番を行う以上、一時たりとて油断はできん。そういうことだ」
それだけ言って、蛮人は皿を突き返した。彼女はそれを、ただ受け取ることしかできない。蛮人は目を合わせぬまま、低い声で言い切った。
「食事の恵み、感謝する。戦神に誓って、この依頼はやり切らせてもらおう」
彼はそのまま、再び視線を遠くに向けた。
***
さてはて。それでは逃げ帰った輩の者どもはどうなったのであろうか。彼らにとって幸いだったのは、首を刈られた二人が首領ではなかったことと、ガノンが彼らを追い掛けて来なかったことである。
少々情けないことではあるが、真の首領はガノンの一旋風の折、馬を操り切れずに落馬してしまったのだ。しかしながら彼とて、賊の頭領である。負傷だけは免れ、泡を食ったふりをして再起を目論んだのだ。
「……」
「…………」
しかしながら、己らの根拠地へ逃げ込んだ彼らの口は重い。首領自身も醜態を晒してしまった以上、配下に強く出られなかった。とはいえ。
「お前たち。俺らがナメられたままで終われるか? たかが少数の隊商に、腰が引けたまま終われるか?」
首領が報復の志を示すと、残りの面々もうなずいた。しかし彼らの生き残りは六人。馬は二騎。当時まったくの他所へ出ていた連中を含めても、揃えられて十と数名ほどでしかない。馬にいたっては、十にも満たない有様だ。手元の奴隷を動員したとて、鉄火場で使い物になるかどうか。つまり。
「ですがお頭。数だけ揃えても馬が足りやせん。後下手すりゃあの男が護衛に……」
「あり得るな。ああ、あり得る」
一人の男が疑問を提起すると、首領は大きく髭をしごいた。略奪失敗の折に乱入していた、己を転倒せしめたあの大男。ややもすれば、隊商側が護衛に雇い入れている可能性がある。
憎いことには憎い敵だが、首領には現状、あの男を倒せる想定が浮かばなかった。仮に全軍で囲ってさえも、薙ぎ倒される未来が見える。今はこうして手下を叱咤しているが、仮に一人であれば、とうに行方をくらましていたことだろう。
そんな首領の思考に、割り込む声が一つ。最近加入した、新入りのものだった。
「お頭。外に商人を名乗る男が」
「あぁ?」
思考を遮られた首領の凄みに、新入りは一瞬たじろいでしまう。しかし新入りは、もう一度だけ気合を入れた。少々つっかえつつも、改めて首領に尋ねる。
「そ、外に、商人のような男が来ています。う、馬も連れています。と、通しますか?」
「ふむ……?」
首領はわずかに考え込んだ。彼らの拠点は、打ち捨てられた小さな砦にある。このような所に訪問する時点で、真っ当な商人ではないことは明白だ。同類に近いと見てもいいだろう。足元を見られる恐れはあるが、今は馬と武器が必要だ。そこまでたどり着いてしまえば、もはや言葉はいらなかった。
「通せ」
「へい」
いそいそと新入りが商人を迎えに行き、後には賊徒の面々だけが残された。
少しして新入りが、細目に細身、少々貧相と言っても差し支えない男を連れて来た。いかにもな揉み手をした男は、早速と言わんばかりに口上を並べ始めた。
「この度はお目通りいただけで誠に幸い。わたくし、少々表では」
「通り一遍の言葉はいらん。品はなんだ」
しかし首領はそれを遮る。さもありなん。彼は焦っていた。報復もさることながら、弱っていることを知られれた他の賊から攻め込まれる可能性さえもあった。なんなら奴隷――人的資源――ですら、今の彼は欲していた。
「そうですな。馬数頭と手頃な武器。それと……こちらを」
凄まれてもなお、商人は表情を崩さない。細目を笑顔にしたまま、とある壺を首領へと差し出した。首領は手に取り、手頃な大きさの壺を一通り見た後、問うた。
「中は真っ黒に見えるが……コイツは一体?」
「まあ……。端的に申せば、『祝福の水』といったところでしょうか」
「なんだと?」
商人の答えに、首領は声を荒らげた。『祝福の水』といえば、要は『なんらかの神々から祝福を受けた水』である。飲めば一時的にとはいえ、【使徒】にも準ずる力を得られるとまで言われている代物だ。必然。
「おい、俺たちが弱ってるからと言って足元見てんじゃねえぞ。どれだけむしり取る気だ」
「そんな悪どいことはいたしませんよ。此度はこちら、私からのご奉仕ということで」
「むむっ」
細目の商人の物言いに、首領もまた目を細めた。実際のところ、本来であれば喉から手が出るほどに欲しい物品である。それが無料とくれば。
「ええい、よこせ!」
もはや首領に止まる選択肢はなかった。素焼きの壺をひったくるように奪い、一息に飲んでいく。二回、三回と喉を鳴らすと、次は部下たちにも壺を突き付けた。
「飲め」
「え」
「飲めと言っているっ!」
三白眼を据わらせた男に要求されては、さしもの賊徒たちとて断れない。皆が皆、数口ずつ回し飲んだ。壺が回る度に一人、また一人と、酔いが回ったかの如く目が据わっていく。
やがて最後に壺が回ってきたのは、先ほど商人を迎え入れた、新入りだった。
「あっしも、ですか?」
「飲め」
先達の者に据わった目で要求されて、新入りが断れるわけがない。彼は半ば涙目で、壺に口をつけた。すると押し寄せたのは。
「ごぼっ!? っぐ! あべええええっ!?」
泥のような汚濁。吐瀉をももたらすような嫌悪感のある味。この世の不快な味をかき集めて煮詰めたとしたら、このような味になるのではないかとさえ、彼は思った。
事実吐き出した液体はどす黒く、目を背けたくなるような異臭を発している。なぜこのようなものを、首領たちは。
「おやおや。一人だけ光に恵まれていた者がいたようですねえ。闇の感情に、まみれていると思ったのですが」
彼にかかる、声があった。彼が連れて来た、商人の声だ。しかしその姿は、先の腰の低さとは全く異なっていた。よくよく見れば細目の奥、かすかに見える瞳は濁っていた。冷たく己を見つめていた。
「ゲボッ……ア、アンタ、何者、だ」
吐瀉をこぼしつつ、新入りは商人を見上げる。すると商人は己に顔を近付け、「にいいいっ」という擬音が聞こえそうなほどの嗤いを見せた。
「アタシ、ですかい? アタシはですねえ。闇の伝道師パラウスと申します」
「……」
新入りは絶句し、そして周りを見た。首領を含めた仲間の全員が、気をどす黒く立ち上らせ、こちらを見ていた。彼は己の末路を想像し、腰を抜かした。
「まあどうせアナタは死にますからね。せいぜい、冥界神相手に大騒ぎしてください」
「あ、ああああ……」
新入りを囲むように、闇の祝福を受けた賊徒が集う。即座に行われた血の宴に、闇の伝道師は満足げに目を細めた。
「言い忘れておりました。お代は、皆様方の正気でございます」
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