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無法、死すべし #3(終)

<#1> <#2>

 荒野は夜を迎えていた。天にまたたく星々――それ一つ一つが、神々のおわすところとも言われている――が地上を照らし、隊商キャラバンは火を焚いて夜営の構えを取っている。光少なき夜の移動は、従来であれば危険極まりない行為だからだ。
 すでに旅程は残りおよそ一日となっていた。明日の昼過ぎから遅くとも夕刻には、隊商キャラバンはダンガリオの街に着くだろう。そうなれば、ガノンの仕事は終わりである。約定通りの金をせしめて、盛り場に繰り出すか装備の新調を試みるのみだ。事実、彼の簡素な靴はまたしても擦り切れつつあった。

「……」

 そんなガノンは闇の中、くすぶるような黄金色の目を遠くへと向けていた。夜営の群れには加わらず、見張り役を請け負っていたのである。蛇の如く蠢く火噴き山めいた赤髪は、夜闇の中でさえなお、よく目立った。
 
「……」

 そしてその赤を目印に、そっと近付いていく人影があった。例の娘である。此度は付け髭を外し、人目を憚りながら動いていた。さもありなん。男装を解いたことが知られれば、いかなる叱責が訪れることか。彼女には想像もつかなかった。

「誰だ」

 重く、低い声が彼女を穿つ。その場に押さえ付ける。ガノンのものだ。彼の鋭敏な感覚が、ほとんど後方でまだ離れていたはずの彼女さえも察知せしめたのだ。

「こ、こんばんは……」

 女は小さく震え、絞り出すように声を発した。そのため、朝は低く作っていた声が素のものとなってしまう。もっとも、彼女は最初からそうすると決めていたのだが。

「……もしや、息子どの。次男どのか?」

 だがガノンの鋭い聴覚は、声の質のみで正体を察知した。彼が最初から気付いていたのかはわからない。それでも誰何すいかの声が和らいだことは、彼女を落ち着かせるには十分だった。

「はい……」
「そうか。やけに美しき男子おのこかと思えば、女子おなごであったか……」

 続く声から、娘は己の偽装が上手く行っていたことを知る。だからこそ、今より語らんとすることに後ろめたさが生じるのだが。ともかく女は駆け寄り、ガノンの隆々とした身体に組み付いた。

「な……?」

 戦意を含まぬその行動に、男の反応は一手遅れた。闘気を含まぬ以上、戦神の導きはもたらされない。いかに強いガノンといえども、対処のしようはなかった。やすやすと、背中を許してしまう。
 女は背中を許されたことを許諾と受け取り、さらなる願いを打ち明けた。

「ガノン様、お願いがございます。このまま私を攫ってください」
「なんだと?」

 ガノンは思わず、声を荒らげた。それでも叫ばぬ辺りが、彼の判断力である。大きくなりかねない声を押し殺し、男は尋ねた。

「なにを言っているのだ、むす……めどの」
「お願いでございます。仮にこのままダンガリオに到着したとしても、私は顔も知らぬ男のもとへ嫁ぐだけでございます。それならば」
「おれにすがって、荒野を歩む方がマシ。そう言いたいのだな」
「……はい」

 女の手は、ガノンの背中を撫でていた。柔らかい手との邂逅は、ガノン自身にも不可思議な気持ち良さをもたらしている。
 しかしガノンは、そんな愛撫を振り切った。いかめしい、盾のような顔を女へと向けた。黄金色にくすぶる瞳に、怒りさえをも滲ませて。

「女。ナメるなよ」
「っ……」

 あまりにも荒々しい覇気が立ち上り、女の顔がひきつった。

「おれの旅路は甘くない。この擦り切れた靴のようにだ」

 引きつったままの女から目線を切り、ガノンは顔を後方へと向けた。戦神の加護がもたらした彼の鋭敏な感覚は、すでに戦の匂いを感知していた。
 大地の揺れ、馬のざわめき。どうやら、未だ距離はあるようだ。しかし。

「そして貴様は気付かぬだろうが、こうして戦の場に立つこともある」

 ガノンは手槍をしごいてこしらえを確認し、剣の抜き心地を確かめる。
 その行為は、女をしてもなにかが起こることを知るには十分に過ぎた。

「……」
「そこで見ていろ。これから始まるものを見て、なおその気なら考えてやる」

 そう言ってガノンは、大地を蹴った。

***

 結論から言えば、闇に呑まれた程度の賊に、ガノンが敗れる道理はなかった。彼は女の前で見事に躍動し、十数騎からなる軍勢を翻弄したのだ。

「オオオッッッ!!!」

 獣じみた声を上げて突進して来る賊徒に対し、ガノンは女が耳を塞ぐような蛮声をぶつけ、突進した。無論、突進と突進の衝突ではガノンに勝ち目は一切ない。女もその未来を思い、目を閉じた。しかし、現実は違った。

「カアアアッ!」

 再び、蛮人の雄叫び。ガノンの投槍が、闇に呑まれた騎兵の一人を、いとも容易く貫き通した。必然落馬し、混乱が生まれる。

「――!」
「――! ――!」

 人の耳にはうめき声にしか聞こえないような言葉で、状況を伝え合う一党。しかしその時には、蛮人の旋風が彼らの元へと訪れていた。

「ハアッ!」

 凄まじい速さで高々と飛び上がった半裸の蛮人が、背から抜いた剣で馬群を一薙ぎする。それだけで回避行動が生じ、群れが乱れた。しかも一騎は手綱を誤り、自ら落馬する始末。その隙に男は死体から手槍を回収した。だが、状況はあくまで賊徒が有利。しかも、蛮人は包囲されていた。

「――!」

 やれ、と言わんばかりに、頭領らしきいかつい男が手にしている斧を振り下ろした。青白い肌の、光を失った目をした人形ヒトガタの群れが、ただ一人を打ち砕かんと蛮人に迫る。それに対し、蛮人は深く屈んで槍を回した。

「――!?」

 主同様に闇に呑まれた角馬といえども、その脚は細く脆い。引っ掛けるように薙ぎ回された槍の前に、見事に足並みが乱れ、暴れ出す。それを突く形で、蛮人は包囲から抜け出した。
 再び咆哮とともに槍を投げ、また一人を撃ち抜く。気が付けば賊徒は、残り三騎となっていた。他は落馬、もしくは傷によって死傷し、立ち上がれぬ身となっている。

「――――!」

 それでも首領は諦めなかった。せめて憎き男の首を取らんと、残りの部下をけしかける。だが、すでに彼らは気勢で負けていた。剣一本、半裸で防御も薄いはずの男に遅れを取り、一騎ずつしっかりと、馬から叩き落されてしまった。

「……」

 首領は、ここで初めて相手を直視した。暗闇にあってなおほの光る敵手は、夜闇さえもものともせずに己を見ていた。黄金色が眩しい。気に食わない。手下を屠られた。憎い。殺したい。

「お゛、お゛、お゛……」

 首領から、かすかに意味のある言葉が発せられた。闇に呑まれた者の中で、ごくわずかにのみ起こる現象。【眷属への進化】が起きつつあった。
見よ。彼が手にしている斧が、淀んだ空気を纏いつつある。斧を持つ腕の筋肉が、異様な発達を見せつつある。闇からの祝福を、その身に受けつつあるのだ。

「……」

 半裸の蛮人は腰を落とす。すでに彼の視界に女はいない。しかし寂しさはない。あの女に、かつてともに闇と渡り合った重装女戦士ほどの決意は見えなかった。あけすけな言い方をすれば、その程度の決意だったのだ。己とともに歩むこと。その意味を、理解していなかったのだ。

「フォウッ!」

 意味のない雄叫びを添えて、彼は大地を蹴った。同時に、角馬に乗った斧の持ち手も、斧を振りかざして己へと迫って来た。いかな戦神の加護といえども、まともに挑めば真っ二つにされるは必定だ。故にガノンは、三歩の距離で大きく跳ねた。

「う゛ぼおお……」

 首領の斧が、ガノンを撃ち落とさんとする。しかしガノンは、大きく身を捻った。斧の軌道を、大きくかわす。そのまま人の身ならざる滞空力で、大振りであらわとなった首領の首を狙い。

「ハッ!」

 ほのかに光る剣で、一刀のもとに裁ち落とした。彼がそのまま宙返りして大地に戻る頃には、首領の身体は馬より崩れ落ちていた。

***

 結局隊商キャラバンは無事に朝を迎え、日が傾く頃にはダンガリオの街へと到着した。

「今回はまこと助かりました……」

 街の手前、ガノンは隊商キャラバンの主と息子より報酬を受け取る。結局娘とは、夜以降は一度も顔を合わせなかった。

「なに。そちらこそ無事でなによりだ。ところで……次男どのは」
「アレは少々、気分が優れぬようでしてな。代わりに礼を伝えてくれとのことでした」
「なるほど」

 ガノンは思う。やはり年頃の乙女には、戦場は刺激が強すぎたのだと。己に顔を合わせまいとする理由も、微かにだが理解はできた。安易な心持ちで蛮人にすがった自身を、恥じている。彼はそう思うことで、なにもかもを夜闇に伏せた。

「それでは、さらば」

 ガノンは頭を下げ、荒野へと戻った。その腰には、ボメダ金貨三百金がぶら下がっている。賊を退治せしめたことで、追加の報酬を得ていた。これで暫くの間は、食い扶持にも困らない。近くの街で、今後の算段を立てる腹積もりだった。

「お達者で……」

 そんなガノンの背を、遠く、荷駄の隙間から見つめる視線があった。娘だった。付け髭こそはしているものの、その視線は女のものだった。彼と同じ道を歩むことは難しくとも、その無事だけは祈りたい。思いのこもった、視線だった。

「私も、私の人生を全うしますので……」

 彼女はガノンの背が見えなくなるまで彼を見送り、そして、あるべき人生へと戻って行った。

無法、死すべし・完

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