無法、死すべし #1
ヴァレチモア大陸の中央部には、国境をも知れぬ荒野が広がっている。街道はなく、わずかな草と山々、そして荒涼たる風と獰猛たる野獣どもが荒野に彩りを添えていた。加えて。
「ホッホー!」
「追い回せーッ!」
「おい、そこだ。囲ってしまえ!」
荒野のそこかしこに、輸送の物品や行商を狙う賊が潜んでいる。彼らは防御の硬い豪商や国の荷駄ではなく、個人や少数の旅人、小さな隊商を狙う。身軽な兵装で追い回し、囲み、武器で威圧して物品を奪い、時には女をさらっていく。荒野における、最悪の害の一つだった。
「クソッ、囲まれた!」
「もうダメだ! ホクソーの脚に、ダブじゃ勝てっこない!」
銅鑼をかき鳴らして行われる賊徒の卑劣極まりない追い回しに、隊商の面々が音を上げ始める。おそらくは略奪で得たのであろうホクソー馬の十数騎に対して、隊商の擁するダブ馬は三騎。しかも荷物を抱えていては急な機動にも打って出られない。
護衛を抱えているのならともかく、少数たる彼らには防備に回せる金子も少ない。つまるところ、目をつけられたことこそが失策であった。
「ハッハー!」
「荷物と有り金を全部置いて行け!」
「そしたら、生命だけは許してやんよ!」
「女はいないのか! シケてやがる!」
勝利を確信した無法者どもが、隊商に対して矢継ぎ早に要求を突き付ける。なんたること。荷と有り金を奪われてしまっては、今後の商売も成り立たない。生命を許されたところで、荒野の真ん中では街にたどり着けるかさえもわからない。結局のところ、死ねと同等の発言にすぎないのだ。
「うぐうう……」
「父さん、逆らったところで殺されるだけだよ」
「わかっとる。だがな……」
隊商を構成する首班の親子が、顔を見合わせて話し合う。しかし父は、未だ年若い息子とは目を合わせることもなく、苦悶するばかりだ。その視線の先には、三人目の構成員が。女性が見ればたちまち見惚れるような、目鼻立ちの透き通った眼差し。そして鼻下には少量の髭。悪目立ちすることもなく、彼の美しさを引き立てている。まさに眉目秀麗といったところである。が。
「ああ、『姉さん』か……」
直視させられた現実に、息子も頭を抱えた。そう。この眉目秀麗の三人目、実のところは髭を付け、男装をしただけの女性である。この度縁あって行く先の街に嫁ぐこととなり、身を護るために男装させて隊商の一員としたのだ。
無論、男装させてあるからには簡単には発覚すまい。しかし、仮に賊の中に正しい審美眼を持つ者がいた場合。彼女がどうなるかは明白だった。そうなった場合の結末が、どうなるのかも。
「じゃあどうするんだ父さん。このまま死ぬわけには」
「交易神の加護を願う他あるまい」
「つまり交渉……」
父が、己の金子袋に触れる。そこには交渉事に力を発揮するとされる、交易神を称える紋様が織り込まれていた。他の刺繍に紛れ込まされているそれは、密かに輝いて父を護るだろう。
「ご無事で」
「ああ」
息子と娘の不安げな顔に見送られながら、父が敵手に向かって降伏を告げようとした。まさにその時だった。横合いから、投槍が空気を両断したのだ。それは手頃なものでありながら砂煙を巻き起こし、地面にヒビをこじ開けるほどの威力を持っていた。無論、場の全員が顔を伏せるには十分だった。そして砂煙が晴れる頃。
「少数を多数で押し包み、荷を奪うような怯懦の者。ラーカンツでは死に値する」
一人の男が槍を提げ、両者の中央に立っていた。肉体は壮健で、類稀にして隆々たる筋肉を備えていた。背には剣を括り付け、下穿きと簡素な靴以外は、すべて風にさらしていた。身体は小高い山を思わせるほどに大きく、五角形をした盾のような、いかつい顔がその上に乗っていた。大きな瞳はくすぶるような黄金色をし、火噴き山を思わせる赤の長髪が、風に揺れて蛇の如く蠢いていた。
「なっ……」
突然の闖入者に、隊商側は呆気にとられる。しかし次の瞬間には、悪党側からの罵声が荒野を覆い尽くした。
「な、なんだテメエは!」
「死にたくなけりゃあそこをどきな!」
「ヒッヒー! 離れるなら有り金は置いて行けよ!」
口々に騒ぎ立て、大きな音をかき鳴らして侵入者を威圧する悪党の面々。しかし男は、動ずるでもなく悪党どもへと殺気を向けた。天をも恐れぬと豪語するが如き、鋭い視線だ。
「っ」
隊商の面々ですら息を呑むような、恐るべき殺気。直に向けられたものではないというのに、なんたることか。
ならば、直接に向けられた者どもの結果は? 明らかなことは、全員が一瞬心を穿たれたこと。そして、一部の馬上から微かに水の音が響いたことだ。動揺をかき消すためだろう。悪党どもの一人が叫んだ。
「え、ええい! 一人になにを震えてやがる! やっちまえ!」
「お、おおう!」
自分が震えていたことを隠すためだろう。連中の反応は素早いものだった。たちまちのうちに十騎のうち八騎が我に返り、荷駄や商人を無視して八方から長髪の男へと襲い掛かる。しかし。
「フン」
男は鼻を鳴らし、口をモゴモゴと動かした。次の瞬間、男の身体がかすかに光る。そのまま一息に、提げていた槍を一回旋した。
「うおあっ」
「きゃあっ!」
男装の乙女が地声を漏らすほどの突風が生まれ、隊商の面々はたちまちその場にうずくまる。一方、突っ込んでいた悪党の面々は急には止まれなかった。突風を喰らった馬が暴れ出し、操り切れずに六騎が落馬の憂き目に遭った。残りの二騎も、常人ならざる技の前に足が止まってしまう。
「首領はどっちだ」
槍を手にした男から、声が上がった。残党たる二騎は、慌てて互いを指さし、罵り合う痴態を晒した。
「こ、コイツが! コイツがやろうって!」
「俺は付き合わされただけだ! ソイツが指示を出した!」
聞くに堪えない罵倒合戦に、男は槍を剣へと持ち替える。そして、いとも軽々と地を蹴った。次の瞬間。
「ぐおっ」
「あがっ」
回転するような横薙ぎで、罵倒を続ける両者の首を払ってしまう。しかし男は、それらを一瞥とてもせず。
「まだやるか?」
刺すような視線とともに、悪党どもへと殺気をぶつける。すると生き残りの賊どもはたちまち総毛立ち。
「に、逃げろ!」
「俺たちじゃ勝てっこねえ!」
「覚えてろ!」
這々の体で荒野を逆に駆け出してしまった。後に残されたのは、呆気にとられたままの隊商の面々と、ダブ馬、そして一部が散乱した荷駄だけである。
「あ、あの……助かりました……」
隊商の主である父が、恐る恐る男に声をかけた。彼は交易商であるが故に、男が南方蛮人の出であろうことを察していた。そして、南方蛮人の戦における強さ、恐ろしさも知っていた。知ってはいたが、それを恩人に声をかけぬ道理とするのはより不義理である。故に、彼は声をかけた。
「……たまたまおれの視界に入っただけだ。気にするな。報酬も要らぬ」
しかし男の返事は、商人からすれば想定外のものであった。荒野には、賊に襲われた者を助太刀し、その代わりに多額の金品をせしめる性質の悪い輩も少なからずいる。商人は、この男もその類かと踏んでいたのだが。
「では、なぜ我々を」
「ラーカンツの者は戦を尊ぶ。だが非道はいない。非道を見て救わぬは、戦神の教えにもとる」
「はあ」
商人は口をあんぐりと開ける。文明人である彼には、およそ理解し難い言い分だった。少なくとも、多数に向けて戦を仕掛ける理由としては弱かった。しかしながら、彼は考える。これは、好機の一つではないか。
「ではばんぞ……ラーカンツの方。その腕前を見込んで、お願いがございます」
「む?」
「この先おおよそ三日、ダンガリオの街まで。貴方に護衛を願いたいのです」
商人は男に、深々と頭を下げた。
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