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蛮人と女戦士 #1

 ヴァレチモア大陸の中央部には、国境をも知れぬ荒野が広がっている。街道はなく、わずかな草と山々、そして荒涼たる風と獰猛たる野獣どもが荒野に彩りを添えていた。
 そんな殺風景の中に、二人の人間がいた。一人は砂塵に叩かれつつも、豪壮な装備に身を包んでいた。豪奢な兜の下には、陽光に照らされた栗色の長い髪。壮健なる鎧の胸元には、胸を納めるためのわずかな隆起。有り体に言えば、女であった。

「貴様は、何故に鎧を付けぬのだ」

 吹き付ける風を長い薙刀で防御しながら、女が問うた。重く、厳しい口調であった。道をともにする者の姿勢が、信じられぬといった風情だ。

「男たる者、己が肉を鎧とし、四肢を剣とすれば十分だ。この剣とて、形ばかり。惰弱な守りに身を委ねるなど、愚の骨頂よ」

 問われた者は、低い声で応じた。男である。その肉体は壮健で、下穿きと、隆々たる筋肉を持つ背に括り付けた手頃な剣。それ以外のすべてを、荒野に野ざらしとしていた。小高い山を思わせるような巨体は背中以外にも類稀なる筋肉を備えており、異様なまでに盛り上がっていた。
 巨体の上には、当然頭部が乗っている。それもまた、五角形の盾を思わせるような、いかつい造形だった。目、耳、鼻、そして口。すべての構成要素が、大きかった。大きな目に備わった力強い瞳は、荒野の向こうを見つめている。その色は、くすぶるような黄金色だった。顔の上には、火吹き山を思わせるような赤毛があった。肩を越えて長く、風に晒され、蛇のようにうごめいている。それが彼ら――南方蛮族の風俗であることは、女も書物にて理解していた。

「それが、汝ら蛮族のしきたりか」
「いかにも。お前たち文明人は戦となれば必ず鎧兜に身を固めるが、それは戦神の御心に反する所業だ。己の肉体で戦ったればこそ、戦神はその神威をもたらすのだ。後、我らは蛮族にあらず。ラーカンツという、部族の名がある」
「そうか。いかんせん、汝らを目にするのは初めてのことなのだ。許せ」

 女が、謝罪の言葉を述べる。風と相対しているためであろうか。男の方へと顔を向けることはなかった。しかし男は、無言のままにうなずいた。許すか否かは別として、謝罪は受け入れる。そんな意志が、彼の仕草にはにじみ出ていた。
 さくりと言えば、二人は行きずりであった。たまたま女が危地にあったところを、男がその五体の暴力をもって救った。以来、数刻ばかりの仲である。未だ互いのことはよく知らぬ。知らぬが、男はラーカンツのガノン、女はローレンと名乗り合い、同行の約定をボメダ金貨五十枚で取り付けていた。

「……しかし行きずりの根無し草、それも蛮族に五十金貨とは破格だな」
「相応の理由というものがある。あの折、賊どもをなぎ倒しにした汝の腕前を見込んだことが一つ」

 ローレンは、臆面もなく応えた。彼女は数刻前、ホクソー馬に跨がりし賊徒おおよそ十騎に囲まれ、生死の危機、あるいは貞操を失う恐れに瀕していた。常ならば賊の四騎や五騎など一掃し得る能力を持つローレンだったが、荒野に出た真なる目的を思えばこそ、全力を振るうのは躊躇われた。
 そこに現れたのが、この上半身が裸の蛮族男だった。男は駿馬を謳われるホクソー馬に匹敵するほどの足の速さを持ち、手にしていた剣を振るって乗り手を一人叩き落とした。ついで彼は類稀なる跳躍力で空馬の鞍上を制し、馬をたちまちのうちに手懐けてしまった。
 ここに至って、賊徒は己らに闖入者がいることを知覚した。男は馬を操ってローレンの前に立ち、口を開いた。

『たとえ戦士の戦にせよ、多数で一人で囲うとは。ラーカンツの民にも、そのような卑劣漢はいないぞ』
『へっ! 俺たちゃ賊だ! 戦の作法なんぞ、関係ねえな!』
『そうか、ならば名乗りは要らんな』

 ラーカンツの民を名乗った男に、九騎の賊が一斉に襲い掛かる。ローレンは声を上げようとした。ひとたまりもないと、思ったからだ。しかし現実は違った。迫りくる騎馬を前にして、男は何事かをブツブツと唱えていた。それが南方蛮族の奉ずる戦神への祈りだったと気付くには、幾ばくかの時間が必要だった。

『ハッ!』

 蹂躙は、鐙を蹴ってからの跳躍に始まった。円月を描くほどに反りのきつい曲刀二つをかわした男は、そのまま高々と跳び上がり、ぐるぐると回って剣を振るい、最後尾の首を刈り取った。男は寸分のダメージもなく膝立ちに着地すると、馬の尻を叩いて他の騎馬にけしかけた。

『うわっ!』
『いつの間に!?』

 突然に起きた裸馬の突進に、他の賊徒が慌てふためく。それもそのはず。彼らは一瞬前には、男の首が飛ぶと確信していたのだ。あまりにもあり得ぬ、速さの動きだった。

『くそっ、これじゃ……ぐあっ!』
『ぬがっ!』

 態勢が整わぬ間に、二人、三人と馬から叩き落される。男の身体能力は、恐るべきものだった。馬上の敵を相手にしようが容易く地面から跳躍し、剣をもって叩き伏せる。人の領域にあるのか、疑わしいものだった。しかしただ一人だけ、その仕掛けを理解し得た者がいた。

『これは……まさか【使徒】』

 ローレンである。彼女はその美しい顔を、驚き一色に染めていた。彼女は、己が戦士であるがゆえに理解している。人の身で【使徒】に至ることが。己の身に神の加護を受けることが。いかほどの難行であることか。

『とすれば、先の祈りの文句か』

 女は薙刀を構え、己を守った。男が討ち漏らした賊が、こちらを標的に据える可能性が残っている。せめて威圧だけはと、女は気迫を込めた。

『ちくしょう、覚えてろっ!』

 しかし幸いなことにその危惧は外れた。六人ほどが倒されたところで彼らは攻勢を諦め、馬に鞭打って逃げ出したのだ。暴れた空馬もとうに走り去り、風の中に残されたのは二人のみとなった。

『文明人の戦士よ、怪我はないか』
『ない。そして、かたじけない』

 それが二人の、初めて交わした言葉だった。


#2へ続く

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