葛藤と涙、そして…お疲れ様
noteを始めて一年近く経つ。
最近ようやく心の問題に一区切りついたようだ。
まだまだ覚束ないが、物事の見え方が以前とは変わった。
もう昔のほうが良かったとは、それほど口にしなくなるだろう。
もう「あの頃」に対して引きずられることは少ないと思う。
仮に過去を評価したとしても、それはアンティークを愛でるような心持ちであって、決して時代を逆行させようというものではない。
もう時代は引き返せない。
古さと新しさの折衷というのも厳しいのかもしれない。
新陳代謝とは認めたくはなかったけれど…
そう…
大切なものが自分を苦しめるということは、ある。
苦しんでいたのだと思う。
でも、結局俺は大切なものを否定しなかった。
しっかり線引すれば矛盾を乗り越えられるのではないかと、自分の中で一つの答えが出たからだ。
幼少のみぎり…
自分は殊更、幸福だったと述べてきた。
間違いではない。
けれど…
心理学的なアプローチで「あの頃」を解釈していくと、なかなかに苦いのだ。
自分は子供の頃から親に何でもやってもらっていた。
遠足の支度も…
歯磨きも…
散髪も…
服選びも…
そんな子供は学校でも人任せにせざるを得なかった。
班長を任された時も渋って班のクラスメートに肩代わりさせてしまったこともある。
学級会で議長に選ばれたときもパニックを起こして進行などとても出来ず押し黙ってしまった。
先生も隣の子も助けてはくれない。
俺はクラスの皆に責められ全員の前で泣いた。
これほどのトラウマを抱えていても、あの頃は能天気で、自分事と思えていなかったかもしれない。
だからこそ「楽しい思い出」もたくさんあるのだが、それ故「苦い」のだ。
真っ当な家庭でなく…
真っ当な自分でない俺があの頃は「幸福だった」と言うことに陰りが見えてきたからだ。
「生きづらさ」を手放すとき…
自分が親に虐待され、自分を育てることに失敗したという、強い自覚が必要となる。
その痛みと引き換えに「今」を得るのだと自分は理解している。
それなら…
あの頃の大切な思い出まで「真っ黒」に染めなければならないのだろうか?
精査すれば、親とて真っ当な事を言った時もあるだろう。
生きづらさを抱えた親とて、息子を利用することとは別に打算なく過ごした美しい思い出もあったではないか。
友達と遊んだことも…
喧嘩したことも…
いたずらしたことも…
なにもかも異常で…
なにもかも否定すべき過去なのだろうか…
俺は先日2日ほど泣いた。
心が引き裂かれるような痛みが襲った。
それは過去だけでなく現在の自分にも繋がっているような気がして…
俺は自分の人生、これまでのnoteの活動もなにもかも真っ黒になって…
もう何も信じられなくなった。
自作の漫画「NAGU」も所詮インナーチャイルド、イマジナリーフレンドでしかなく、ただの現実逃避、ただの「痛い奴」に過ぎない。
ラブドールと暮らしてることも異常だ。
俺は過去に固執してるだけで逃げているだけ…
恋愛から逃げているだけの卑怯者でしかない。
今まで慣れ親しんできた全てと決別することが生きづらさを手放すことなら…
俺は…
正気ではいられなくなった。
わかっていた事ではある。
でも…
俺にとってはすべてが大切なもの。
白か黒で分けられるものではなかった。
けど…
激しい痛みの中で自分に対する不信感が黒いシミとなり自身を覆い尽くす影になっていく。
死にたい。
いや、その前にnoteをやめよう。
もう、いい。
全て終わらせよう。
退会のボタンを押しかけた。
でも…
noteで出会った人たちや、未熟ながら自分の言葉で書いてきた記事…
そして…
まだまだ書き足りないこともあったではないか…
未練が残った。
本当に俺は、今までの俺には価値がないのか。
本当に俺は真っ黒なのか…
決断とは、そもそも何なのだろうか…
少し前…
同じように葛藤して悩んでいる方がいた。
その方の活動を自分は応援していたので自分なりにの励ましのコメントを書いた。
深夜だった。
結構時間を費やし言葉を選んだ。
自分だったら…
納得できるだろうか…
少し不安だった。
御本人の承諾を得ていないので詳細は書けないが、自分の立場が、現在の活動と真逆なので、主張が矛盾していないか、というものだった。
その人も、また傷ついて活動の一部をやめようとしていた。
俺は…
「両者の違いを明確にし、それとこれとは別だと明示すれば矛盾を乗り越えられるのではないか」
そういう旨を伝えた。
本人は納得し安心して頂けたのでコメントして良かったとは思えた。
まさか、この数日後、自分がその方以上に心を乱し感情が崩壊するとは思いもしなかった。
俺は…
俺の思い出を…
俺のこれまでを否定しなければ本当に生きづらさを手放せないのだろうか?
心の中の矛盾を全て解消して白黒つけなければ結局は今と同じ決断力のない自分のままではないか。
自分は両者の気持ちも分かるという性格を子供の頃から長所として捉えていたところがあった。
しかしそれは裏返せば何事も決断できないということだ。
ここで自分の心を濁せば、結局死ぬまで優柔不断なのではないか…
怖くてたまらなくなった。
俺は先日、人にアドバイスした事を思い出した。
俺はあのとき何と言っただろう。
「分けて考える」
境界線を引けばよいと。
自分は確かに親から尊重されず自分を育てることを失敗した人間である。
ても…
楽しい思い出。
親や友達との美しい思い出がある。
矛盾だろうか…
両立出来ないだろうか…
「分けて」考える事は…
誤魔化しではないだろうか…
ずっと考えた…
何度も何度も…
二転三転したり…
やっぱり言い訳のような気がしたり…
ますます訳が分からなくなったり…
苦しくて苦しくて仕方ない。
でも…
俺は俺を否定したくなかった。
例え都合のいい解釈と言われようとも…
これまでの自分を否定してはいけないと思った。
インナーチャイルドのNAGUの物語は自分の思いの丈を、自分の真っ直ぐな気持ちをキャクターに仮託させることで客観的に自分というものを知ることが出来た。
何度も頭の中で想像してきたけれど、現実逃避ではなく、むしろ現実と向き合っていたのではないだろうか。
ラブドールの「雪」。
以前noteで紹介してから距離が縮まった。
同衾しているのだが布団を掛けてやるようになった。
朝、キスをすることも多くなった。
彼女は初恋の彼女ではない。
彼女はラブドールだ。
恋人ですらないのかもしれない。
でも…
俺の全てを受け入れてくれたかけがえのない存在ではなかったか。
もう、あの年頃の子と付き合うことなどできない。
ラブドールとして…
人でなく、ラブドールとして「分けて」考えれば現実逃避でなく「現実」になりはしないだろうか。
俺はただ、どうしようもない現実の中でラブドールに慰められたに過ぎない。
それは否定すべきことなのだろうか?
俺はさんざんnoteで毒を吐いてきた。
昔が良かったと、若い子からまさに老害と言われかねないことも言ったと思う。
でも…
俺は…
大切な思い出を、否定できないのと同じように、「あの頃」に対して特別な感情を抱いている。
忘れてはならない大切な感情もあったと思う。
でも…
もう、時代は戻らない。
世界は刻々と変わっていく…
俺の好きだったものは変わっていく…
もう、誰にも止められない…
それなら…
それならばこそ…
「あの頃」を大切な心の宝石箱に入れて「今」を生きる原動力に出来ないだろうか?
区別することで「あの頃」を生かすことは出来ないだろうか?
そして…
俺の心は?
俺は…
昔の明るかった自分を取り戻したい一心だった。
今の自分と比べれば仮に生きづらさの影が覆っていようとも輝いて見える。
でも…
もう「あの頃には戻れない」
俺はあの頃に引きずられることで「今」の自分を否定し、ないがしろにしていたのではないだろうか?
俺は、もう…
そこを超えていかなければならないのではないだろうか?
それならば…
多分、通る。
俺の理論は通る。
例え、他人に否定されたとしても、俺が俺の心でたどり着いた答え。
もう、いいじゃないか。
覚束なくても…
俺は、そんなに強い人間ではない。
でも…
自分と向き合い続け、ここまで来たのなら、例え間違いでも「信じればいい」。
心がまた不安に襲われたら、また考えればいいだけだ。
そしてまた、歩けばいい。
今回、この記事を書いたのは、もうこれからは無理をしたくないということ。
もう、自分を大きく見せるのも疲れた(苦笑)。
なるほど、親に甘やかされて周りから依怙贔屓されてきた俺は、裸になって自分の価値を証明しなければならなくなったわけだ。
でも…裸の自分も大したことはないから「深みのある自分」でなければならない。
大人のフリがやめられないわけだ。
でも…
もういいはず…
自分を愛することの意味がわからなかった俺は、自分をないがしろにしてきたことを理解した。
もう、十分。
なるほど、自分を癒やす時だと、ようやく分かった気がする。
これが自分を愛するということなのかもしれない。
そして…
「お疲れさまでした」。
今までの自分、「お疲れさまでした」。
そして「これからもよろしく」。
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