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先生からもらった言葉の宝物

小学校の時の恩師が亡くなった。

***

先生の左胸のポケットには、いつも「わかば」が入っていた。

映画俳優のように目鼻立ちがはっきりして、体格も良く朗らかな先生だったので、生徒だけではなくお母さんたちからも人気があった。
私のお母さんは「デレデレして先生らしくない」とあまり好きではない風だったけれど、なぜか先生に「わかば」を1カートンプレゼント(?)したことがある。
贈った理由は分からない。
私が何か先生に特別お世話になったことがあったのか、その記憶すらない。

***

「なごみさんがお掃除している姿は、まるでお母さんのようだね」

放課後、教室のはき掃除をしていたら先生がそう褒めてくれた。
間髪を入れずに「お母さーん! おこずかいちょうだい」と、同じ班の男子がふざけて私に両手を差し出してきた。
「お母さんと聞いて、○○君は真っ先におこずかいと言うのかい」と、その男子は先生に怒られた。

自分から見た自分と、他人から見た自分の違いを初めて知った瞬間だった。
内気で大人しくて、友だちに嫌われるのがイヤだった私は、当たり障りなくいつもニコニコしていた。
「こんなこと言ったら変だって思われるかな」って、自分の意見を言う学級会なんて憂鬱でたまらなかった。
そんな自分が、ずっとずっと年上の先生に「お母さんみたい」と言われたのが、自分の意外な一面を教えてもらったようで嬉しかった。

***

五年生はクラス替えの学年だった。
このクラスとも先生ともお別れだという四年生最後の日、先生はクラスの42人全員に色紙を用意してくれた。
その色紙には、四つの二字熟語が書かれている。
一行目の二つは生徒それぞれの良いところ。
二行目の二つは努力して目指すところ。

私の色紙には
「有情 温和」
「強健 闊達」

と書かれていた。


私の良いところ

【有情/うじょう】人間としての感情があること。また、それを理解できること。
【温和/おんわ】性質などが、落ち着いていて、優しく 穏やかなこと。また、そのさま。

私が努力して目指すところ

【強健/きょうけん】からだが強くて丈夫であること。 また、そのさま。
【闊達/かったつ】度量が広く、小事に こだわらないさま。


直筆だった。
どれほどの労力と時間をかけたのだろう。
先生が好かれる理由はこれだと思う。
生徒一人一人、気にかけてよく見てくださっていたのだ。

***

先生の訃報は、仕事上で知り得たことだった。
亡くなって、すでに一年が経とうとしている。
たまたま担当者が休みだったので、私が先生のお宅に訪問することになった。
トンネルを二つ抜けて、阿賀野川に合流する川の上流へと向かって走る。
片道40分ほど走った。
カーナビは、先生の家の付近を案内してナビゲーションを終えてしまった。
先生の家が特定できない。
さて、困った。

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ちょうどいいところへ、ご近所さんらしき方の姿を見つけた。
つかまえて地図を片手に尋ねた。

「この砂利道を上ったあの家だがね」

ありがたや。

車で行くのが不安な狭い道だったので、歩いて上った。
インターフォンを押すと、先生の息子さんが出てこられた。
体格はよく似ていたけれど、先生よりソフトな顔立ちだった。

「おふくろ、来られたよ」
「耳が悪くてわからなかったわ。ごめんなさいね」

襖の奥から顔を出したのは、上品でお話し好きそうな奥様だった。

玄関には額に飾られた絵がズラリと並び、ちょっとしたギャラリーになっている。
どなたが描かれたのだろう。

「私、先生の教え子だったんです」とは言えなかった。
あくまで仕事で訪問しているので、プライベートな話は失礼になるかもしれない。
喉まで出かかった言葉を呑み込んだ。
本当は、先生からもらった色紙の話もしたかった。
とても優しい先生だったとも話したかった。

***

「家、わかったかね」
「はい、ありがとうございました」

さっき道を教えてくれた方が、私が降りてくるのを待って声をかけてくださった。
私は深々と頭を下げた。

もう来ることはないだろう。
亡くなった後ではあるけれど、最後に先生の面影に再会できたことは一生忘れない。
先生のご家族を目の前にしながら思い出話もできなかったことは、ずっと心残りに思うだろう。

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