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安全な場所 #8月31日の夜に

私の住んでいる地域では、先週から学校が始まった。まだ暑い中を、子供たちはダラダラ汗を流しながら登校する。

夏休み最終日、二男が「もっと夏休みが長かったらいいのに」と言った。

「えー、春にあれだけ休んだのに!?」と呆れる私に、

「もう一回休校すればいいのになぁ」と言う。

ゲームとYouTubeがあれば何日でも部屋にこもれる二男は、夏休み中ほとんど外に出なかった。というか、部屋から出てこなかった。

昼まで寝て、朝昼を兼ねた食事を済ませると、さっさと部屋へ戻る。夕方、お風呂に入り夕食を済ませると、またさっさと自分の巣に帰っていく。

友達とはオンラインゲームとラインで繋がっているから、リアルに会わなくても何も不自由はない。むしろ共有する時間が長くなったようだ。

そんな自堕落的な生活を送る二男を、私はうらやましく思う。


私の両親は今でいう『毒親』という存在で、家は安らげる場所ではなかった。トラックの長距離運転手だった父は昼まで寝ており、午前中はその睡眠を邪魔しないように、神経を尖らせながら過ごさなければならない。

そして当時でいう『亭主関白』だった父は、女をこき使う。特に寝起きの機嫌が悪い父の身の回りの世話を、そこに居る女が行わなくてはいけない。学校が休みなのだから、子供であっても父の為に尽くす。でないと、「誰が食わせてやってるんだ!」と怒鳴られる。

学校も大して楽しくはなかったけど、張り詰めた空気の中で過ごすことを考えれば遥かにマシで、夏休みなんて嬉しくもなんともなかった。

私にとっては学校の方が、まだ安全な場所だった。


二男はここが安全であることに気付いていない。家で緊張した日々を送らなくていい生活が、どれほど幸せであるか知る由もないし、知らなくていいと思う。

学校が始まってからは、きちんと朝も起きるし、部活にも参加する。「暑いー、ダルイー」と文句を言いながらも、モリモリご飯を食べ、課題をこなす。

安らげる場所がある二男を、私はうらやましく思う。


8月31日の夜。もし、当時の自分に会えるなら伝えたい。

ここが世界のすべてではないんだよ、と。

疲れ切った心で、歩道橋の真ん中に立ち、足元を走る自動車を見ながら、

ここから落ちたら運転手さんに迷惑かかっちゃうかな

なんて、どこまでもバカみたいに相手の心配をする必要はない。


8月31日の夜。もし、当時の自分に会えるなら伝えたい。

安全な場所があるんだよ、と。

そして、歩道橋の真ん中で立ちすくむ彼女の手をとって、この家に連れてきてあげたい。


今見ている灰色の世界は、少し色を足すだけで色彩豊かな世界に変わる。そして、その色は自分で選ぶことができる。

そんな当たり前のことを、私は彼女に教えてあげたい。


「ただいまー!」

今日も元気に帰ってくる子供たちを、私は「おかえり」と言って出迎える。

この日々を、この場所を守るために。

私は今日も生きている。



#記憶の引出し


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