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友達のナミダの理由 : そういえば、私は乳がんだった⑥

入院日が近づいてきたある日、私は友達をモーニングに誘いました。

彼女は子供同士の習い事が同じことがきっかけで仲良くなったのですが、今では子供抜きで食事に行く仲になっていました。

私は人との距離感にとても気を遣うタイプですが、彼女も同じタイプのようで、仲良くなるまでに時間がかかりました。最初は子供を交えて遊んでいたのですが、お互い雑貨やカフェが好きなことが分かり、2ヶ月に1回くらいのペースで2人であちこちのお店に行くようになりました。

子供の小学校も同じなので、共通の話題で盛り上がりながらも、家族や家庭のことなどは、決して好奇心で踏み込んでこない彼女と話すのはすごく楽で、私にとっては、この土地にきてから初めて、ママ友ではなく『友達』と呼べる存在となっていました。

そんな彼女に、乳がんのことを伝えるためにモーニングに誘いました。

私の入院期間中は、夫がなるべく休みを取り、義両親にもサポートしてもらいながら、子供達の面倒をみる手筈にはなっていましたが、それでも何かトラブルがあった時、子供同士も仲が良い彼女にお願いしたい。それに、自分の病気のことを話すなら彼女以外には考えられない、そういう思いもありました。

どうやって切り出そうかと緊張しながらも、いつものようにいろんな話をし、注文したフレンチトーストの大半を食べたところで、私はポツリと言いました。

「実は、、乳がんになっちゃって、今度、手術するんだよねぇ。」

すると彼女は、えっという顔で私の目を見て、それからすぐにフォークを置き、何も言わず下を向きました。

そして下を向いた彼女の頬には大粒の涙がこぼれ落ち、「ごめん。」と一言だけ言うと、カバンからハンドタオルを取り出してぎゅっと目に押しあて、しばらく動かなくなりました。

まさか彼女が泣くとは思っていなかった私は、どうしたらいいか分からずオロオロしながら、

「大丈夫だよ。手術して治すから。今も元気だし、死ぬとかじゃないから。」

と、自分でもなんて適当なこと言ってるんだろうと思いながらも、どうにか泣き止んでくれないかと、必死で言葉をかけていました。

彼女は私の言葉を、うんうんと頷きながら聞いていましたが、涙が落ち着いてくると「ごめん、違うの。」と言いました。

「友達が病気で亡くなって。」そう話始めました。

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彼女の友人は、まだ小さいお子さんを2人残して、病気で亡くなったそうです。その子供たちと一緒に、夏休みに遊びに行く予定をしていて、私の話を聞いて色々思い出してしまったようでした。

「友達は、最後、諦めちゃったから、、」

そう言って、また涙を浮かべました。


私も乳がんになって自分の『死』を考えるようになっていました。それは、死ぬのが怖いのではなく、残された人たち、特に子供たちがどうやって生活していくかという心配でした。

ご飯は作れるだろうか、洗濯や掃除はできるだろうか、多忙な夫は部署移動の希望が通るだろうか、三男は添い寝なしで寝れるだろうか、高齢の義両親に同居してもらった方がいいだろうか、それとも家政婦さんにお願いした方が安心か。

とにかく、心配はつきません。

でも、そうやって考えれば考える程、自分の存在の価値を確認し、最終的には『今、死ねないし!』という結論に達するのでした。

彼女の友達の最期がどんな状態だったのかは分かりません。でも、辛い治療よりも、自分の役割を果たせないことの方が辛かったんじゃないかと、今は思います。


彼女の話を聞きながら、私も少し泣き、「何かあったときは、よろしくね。」とお願いしました。

「もちろん。」

そう答える彼女に、「それはそうと、私が先に泣く予定だったんだけど!」と軽口を叩き、次はランチに行こうねと約束しました。

彼女とおいしいものを食べること。そこにも私の生きる意味を見つけた気がしました。

つづく。



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