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甘塩っぱいケーキ

ある夜、中3次男が真っ白いリビングの壁にピッタリと額と鼻先をくっつけて独りごちた。

「はぁ、勉強したくない…」

それは冬期講習と正月講座で冬休みの大半をテキストに埋もれて過ごし、ようやく幾許かの休息を取ったあとの午後11時過ぎ、「早く終わってくれんかな…」と壁に向かって呟くまぁまぁヤバイ次男を、私は真横から眺めながらどうしても、

『反省ザルにしか見えん』

と思ってしまって、なんならウキャウキャと笑ってしまって、親としては非常に最低だなと今となっては思うのだけど、

「あんた、めっちゃおもろいな!!」

と素直に感想を述べてしまった。

ごめん、次男。でも直立不動で額と鼻先を壁にくっつけて呟いてたらお母さんはわろてまう。そういうの好きだから。

そんな私に次男はチラリと視線を向けて、怒るでもなく「明日の模試、怖いな」と不安を口にする。

「最後の模試やからね」

私の住んでいる県では今年度から、私立高校の一般入試が1月下旬、公立高校が2月下旬となり、長男の時より半月ほど早くなった。それに伴って、学校や塾のスケジュールも今までより早く組まれているのだけれど、初年度ということもあってか、どうにも慌ただしさが否めない。

「今年は早いから」

冬休みを走りきった後にひと息吐く間もなく最後の模試、三者面談、私立高校の一般入試、学年末テストと続く1月は、身体も精神的にもキツい時期だろう。しかも彼は12月中旬に例のアイツに感染して4日間も熱が下がらず、その分を取り戻すのに必死だったから疲れも相当溜まっているに違いない。

「私立が終われば、かなり楽になるよ」

本命は公立だが、実はちょっと厳しい。だからある意味この1月が勝負だと思っている。

夏の時点で学校見学にも行かず、将来のこともさっぱりで、とにかく「近くて同じ中学出身の子がたくさんいる高校」のみを希望していた次男。その軸は今も変わってはいないものの、成績が伸び悩んだ秋、このままじゃ第一志望の公立が難しいかもしれないと危機感を持った彼は、彼なりに第二志望をどうしようかと真剣に向き合った。そして12月の三者面談でなんとなく2校受ける(この地域では最大公立2校、私立3校まで受験が可能)つもりだった公立を1校に絞り、

「こっち(私立)でも後悔しない」

と自ら宣言をした。

それは去年まで外出するのは家と学校の往復のみ、部活にも行かなくなり、部屋からもほとんど出ずに守られた世界で生きていた次男が、第一志望校を変えることなく、自分で納得して決めた第二志望校を伝えた瞬間で、4月から塾に通い始めて少しずつ、本当に少しずつ、心も身体も外気にさらされて強くなった結果だと思う。

しかし、だからといって急に芯まで強くなる訳ではなく、今は目の前に吹き荒れる不安をどうにかやり過ごそうと、額と鼻先を壁にくっつけてじっと耐えているその姿に親である私は、「あんたなら大丈夫や」と伝えることしかできなかった。

不安に立ち向かったり、無理に一歩を踏み出さなくてもいい。ただ飛ばされないように、心がその場に止まっていられるように「大丈夫」という言葉で包む。正直、今はそれしかできない。

「あー!もう早く終われー!!!」

そう叫んで壁から離れた次男は風呂へ向かっていった。そしてさっぱりした身体で翌日の模試に挑み、あーだこーだと言いながら受験までの日々を机に向かって過ごした。



私立の合格発表は早い。

受験した翌々日には合格発表という早さにも関わらず、やっぱり結果が出るまでは落ち着かないもので、前日には弾けもしないエレキギターを引っ張り出してきてジャンジャン鳴らしながら時間を潰し、しかも合格発表当日は三男の10歳の誕生日でもあったから、

「あんた、落ちてもケーキやで」

と場合によっては地獄の夜を覚悟しつつ、6時間授業を終えてダッシュで帰ってきて鞄を放り投げ、手だけ洗うとパソコンに前に座って受験番号を入力したものの、自分の生年月日を入力し間違えてチッと舌打ちしながらもう一回やり直して、ようやく画面に映し出された、

合格

という文字を見て、「やったー!!!」と本当に嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。

「ようやったな!」

私は次男が自分で確認するまで無表情を貫いていた表情筋を緩め、「ようやった!ようやった!」と次男の背中をバンバン叩いて喜びを伝えると、ちょっと痛そうな顔をした彼は「えへへっ」と笑って、そっと吐き出すように「よかった」と言った。

その「よかった」は私の中にじわじわと沁み込んでいって、まだ公立受験があるから終わってはいないのだけど、大きな山をひとつ越えた次男が自分で自分を信じることができて、私が「大丈夫」という言葉で守らなくても『大丈夫』なんじゃないかなと感じられて、なんだかふっと肩の力が抜けた。

「公立も合格したい」

「応援してる」

だから私は残りの1ヶ月を応援しようと思う。
また壁に額と鼻先をくっつけて呟いていたらウキャウキャと笑ってしまうかもしれないけれど、その時は「大丈夫」じゃなくて「頑張れ!」と応援しようと思う。今の次男にはきっとそれが一番いい。



その夜、10本のロウソクを一息で消した三男はニコニコしながら「今年はいいことあるね!」と言った。私は「そうだね」とケーキを切り分けた際に指についたクリームをペロリと舐めると、少しだけ鼻の奥がツーンとなって、なんだかチョコクリームが甘塩っぱく感じた。


今年はどんな桜が咲くのだろうか。
春が待ち遠しい。





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