たまたま一緒の人に伝えたくない : そういえば、私は乳がんだった⑩
退院して2週間後ぐらいに、病理検査の結果を聞きに行くと、先生がメモを書きながら説明してくれました。
「まぁ、メジャーな乳がんです。」
何がメジャーで何がマイナーなんだと思いつつも、とりあえず大多数の方に入った様です。検査結果からホルモン療法ができるということで、今後はノルバデックスという薬を5年間飲むことに決まりました。もっと大変な治療になるかと思っていたので、1日1回の服薬で済むことにちょっと拍子抜けしましたが、仕事も含め今までと変わらない生活ができる事にほっとしました。
というのも、その年に限って、私は保育園・子供会・地域子供会の3つの役員を掛け持ちしていました。術後は夏休みで活動がなかったので病気のことは伝えていませんでしたが、2学期になると運動会や秋祭りなどで一気に忙しくなります。もし身体に負担がかかる治療になるなら、参加が難しい事を伝えなければいけないと思っていました。
できれば伝えたくない。
ずっとそう思っていました。
家族や職場に伝えるのとは訳が違います。たまたま近所で、たまたま子供が同じ学校で、たまたま役員が一緒になっただけの人たちに、乳がんであることを知られるのは嫌でした。
きっと可愛そうだと思われる。
そう思う自分も嫌でした。
乳がんが分かってから、何度も泣きました。来年、再来年が想像できない日々に落ち込むこともたくさんありました。
でも、納得している自分もいました。
だから毎日あれほど疲れていたんだ。だから、微熱が続いていたんだ。だから、心に余裕がなかったんだ。
それは決して病気のせいだけではないのでしょうが、でも病気のせいだと思うと全てが府に落ちる自分がいたのです。
自分の弱い部分を認めて助けを求める。そんな簡単なことが、私にはできなかった。いろんな事にグダグダと理由をつけ、いつも先延ばしにして逃げていました。
逃げて逃げて、でも不安でどうしようもなくなって、やっと行った病院で判った乳がん。もっと早く行っていれば、左胸を残せたかもしれないのに、行けなかった。
そんな臆病者の私を、家族は身近で、職場の人達は程よい距離感で、大切な友達は心の拠り所として支えてくれました。
それが嬉しかった。ただただ、嬉しかった。
役員が一緒のお母さんたちも、きっと心配してくれて、私の役割をみんなで分担してくれるでしょう。私が逆の立場ならそうします。
でも、どうしても『きっと可哀想だと思われる』と考えてしまう自分がいます。みんながそう思う訳でもないし、聞いた直後はそう思っても、すぐに忘れて以前と同じように接してくれるだろうと分かっていても、私自身が気になって仕方ないのです。
私にとってこの数ヶ月間は、自分を見つめ直す良い機会となりました。良いも悪いもひとつひとつ乗り越えて、これが私なんだと受け入れる事ができました。
なのに「可哀想ではないんだよ」と伝えたくても上手な言葉が見つからず、たとえ「可愛そう」と思われても、それを跳ね返す勇気が、その時の私にはありませんでした。
信頼関係ができていない人に伝えられるほど、私は強くありませんでした。
その後の役員の仕事は順調に行い、誰にも伝えることなくその年度の役目を終える事ができました。もうこれから役員の掛け持ちは二度としないと反省した反面、最後まで無事にやり遂げる事ができたことは大きな自信になりました。
何より子供たちを近くで見守れたことは楽しかった。今まで避けまくっていた役員の仕事も、案外悪くないなと思いました。
つづく。
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