ベルボンといっても三脚じゃない

ベルボンで検索すると三脚の老舗がヒットするが、私がアルバイトしていたのはそこじゃなく、中島製パンである。おそらく長野市民ローカル過ぎる話題だと思うが、長野市に居を構える中島製パンのブランドがベルボンである。パンといえばベルボン。ベルボンといえばパン。

学生時代を小県郡(現上田市)で過ごした私は、住居地である菅平以外でもアルバイトをしていた。上田のケンタッキー・フライド・チキンと中島製パンだ。のちにスキー学校やペンション、旅館などアルバイト先が多岐に及ぶようになると通勤に30分掛かる下の町には出かけなくなったのでほんの少しの時間だったと思う。

その昔、姉から横浜の大手製パン工場でアルバイトした話を聞き、パン工場への興味があったのと、もともとのパン好きも相まって長野の有名なパン工場へ友人とバイトに出かけていた。小学校の文集へ書いた将来の夢はパン屋さんだったとおぼろげに記憶する。理由は早起きできることの尊敬からだったけれど。

食品工場だけあって、手洗いルールや手袋やら帽子やら、中々厳しいというかちゃんとしたルールが新鮮だった。トイレに行くたびに手袋は捨てることなども衝撃だった。最初は簡単な仕事を担当する。一日中巨大な缶詰を開け続ける仕事があるなんて、ここに来ないと知らない世界だった。機械であけるので一瞬である。コンビニスイーツみたいなものも作っていたので、最後のトッピングでひたすら缶詰のミカンを添えていくなど、大きな歯車の一部となって働くことは今まで体験したこのとない世界で、それはそれでワクワクしたものだ。小売店のパン屋さんと違って早起きの必要はまったくなく、日勤のみであった。

中島製パンではパンだけでなく、おやきなんかも作っていた。おやき工程ではひたすらナスビをひたして並べていくと、ベルトコンベヤーで焼きあがる。見ていてとても面白い。工場見学リアル体験のような感じである。発祥とされる丸ごとバナナ(名称はたぶん違うが)もあったが、やはりおやきが好きだった。野沢菜だったり芋だったり様々な素材に衣をつけるダイナミックさと、焼かれるまでが一瞥できることなどが理由だ。ただ、一通りの作業を経験すると次第に興味が薄れてしまう。飽きっぽい性格には不向きで次第にシフトアウトするようになり、最終的にはいかなくなってしまった。今振り返ると本当に適当にその場の気分で生きていたことを恥ずかしく思うが、懐かし思い出す。

今、仕事でカメラを扱うようになり「ベルボン」といえば、私の中でも三脚になってしまったが、心の奥底でベルボンと聞く響きがどことなくあの香ばしいおやきの香りがオーバーラップするのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?