「匿名性」という社会的浸透度を測る指標
日本だけに限らず、世界的にワインの社会的浸透度が高まっています。最近まではワインを造っていなかった国や地域でもブドウの栽培やワインの醸造を手がけるようになり、その存在感を増してきてもいます。
ワインの世界ではオールドワールドとニューワールドといった括りが使われてきていますが、これまでにニューワールドと呼ばれていた国や地域を「ニューワールド」と呼ぶにはすでに違和感を覚えるほどのニューワールドが台頭してきています。
あるコミュニティー内におけるワインの浸透度とそのコミュニティー内におけるワイン造りの活発度、この両者の関係は鶏と卵の関係のようにも思えます。その一方で、浸透度の測定には経済学的な視点が利用できるように思います。
現在読んでいる本にとても面白い記述がありました。
これらの引用からは、先進国の経済が安定している理由は商品の製造者と消費者を切り離し、商品の匿名化を達成した巨大企業の提供する産物に触れる機会が多いためである、という点が読み取れます。ここで「経済の安定性」を「その社会におけるワインの浸透度」、「巨大企業」を「ワイナリー」と読み替えてみたらどうでしょうか。
ここで重要になるのが、「商品の匿名化」という点です。
ワインが生活に浸透している地域では往々にして、「どの個人」が「どうやって造っているのか」わからないワインの販売比率が圧倒的に高くなります。一方でワインの浸透度が低いコミュニティーでは「誰が」「どうやって」造ったワインなのか、というタグが各ボトルに紐づけられていることが多くなります。少し違った見方をするのであれば、ストーリーテリングによって売られるワインの存在比率がより高くなるのが浸透度の低いコミュニティー、とも言えます。
日本でも輸入される大量の量産品ワインがありますし、サントリーやメルシャンなどの大手メーカーがこうした匿名性の高いワインを製造、販売しています。一方で日本の造り手も売り手もまだまだ匿名ではないワインに強いこだわりを持っているとも思えます。特にワインをもっと社会に広めていきたいとおっしゃる方の中にこうした傾向が強いようにも感じます。
ワインは嗜好品であり、趣味であるのでこだわりは重要です。その点から有名性を重要視することは間違っていませんし、否定もしません。自分の「好き」を推していこうとすれば、それは当然のことながら「匿名性」は持ち得ません。そうしたこだわりを持ちつつ、そこと並行して「匿名性」という視点にもっと注目してもいいのではないか、という話です。
ワインが人々の日常生活にどれだけ馴染んでいるのかを測る際にも、もしくは今後、ワインをあるコミュニティーに馴染ませていきたいと考える際にどういうアプローチが必要になるのかを考える際にも、きっとこの「匿名性」の達成度を意識することが有効になると思います。もしくはいわゆる識者の方のお話を評価する際にもどれだけこうした「匿名性」に意識を向けられているのかに注目することにも意味があるでしょう。
考えてみれば当たり前、と思われるかもしれませんが、改めて意識を向けてみる価値がある視点と思いましたのでこちらでシェアさせていただきます。
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