見出し画像

みんなやってそうな些細な習慣

習慣にしていることを訊かれたとき、ぱっと出てこなかった。なにか意識して、毎日これやってます! と堂々と言えるものがあればよかったのだが、そんなものはなかなかない。そうして頭を悩ませて夜の散歩に出かけたらすぐに閃いた。習慣はわざわざ見つけるのも大変らしい。

チャリン。それは小銭を指先から落としたときの音だった。僕の習慣は、コンビニで会計して受け取った数十円にも満たない端金を募金箱に入れることだ。

本当に独自性のない些細な習慣だと思う。しかし同時に、これをやるかやらないかでどれだけの命が救えるか考えるだけでも怖ろしくなる。僕たちにとっての取るに足りないお金は、見知らぬ地ではまったくそうでないのだ。


習慣にする、その意味を考えたことはあまりなかった。習慣は、生活を変え、時には人生まで変える。自分の人生だけかもしれないし、そうでないかもしれない。その意義はなんだろうか。

色んな習慣が、意義があると思う。とりわけ募金という習慣に関して考えれば、その意義は尊いようにも思う。僕はなにか深い理由をつけて募金してきたわけじゃない。お金が余った、募金箱がある、募金しようという単純なプロセスのもと小銭を投げる。だから、決してマウントをとりたいわけじゃない。募金という習慣の意義が尊いことを今さら肌で感じているだけだ。

僕は、無意識に募金を続けているうちに時が流れ、考えている以上に施しを必要としている人がいるのだと知ってしまった。順序が逆なのだ。だから、習慣というものは末恐ろしいと思う。自分が思っている以上にたくさんの人々を救っていると気づいたのはまさしく、この瞬間なのだ。それまでは何も考えずにこなしていて、習慣になっていることすら忘れていた。しかし実は、僕がこの些細な習慣でよりの多くの人の人生を変えているのだった! 間違いなく僕の習慣は尊い! 

些細で、誰もがやっていそうな習慣を誇って生きていけるのはうれしいと思う今日この頃である。

あとnoteもやっていてよかった!






この記事が参加している募集

#習慣にしていること

131,143件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?