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いじめ自慢と鬼畜系と音楽メディア

もう当人が辞任を発表した後なんで、えらいタイミング悪いですが。
小山田圭吾氏いじめ問題と、90年代サブカル界隈の話でもしようかと思います。

彼を擁護する言説として、90年代には「鬼畜系」と言われるムーブメントがあり、その流れに乗って彼も雑誌内でそういう発言をした。故に水に流してほしい、みたいなのがありますが(爆笑太田が言いたいのはそれであると思う)。
当時のサブカル界や鬼畜系の世界観をある程度覚えてる立場としては、それはあまりにも無理筋と言うか、そもそも認識が雑すぎ。

鬼畜系はサブカル界でも隅っこの方にひっそり存在する時代の徒花であり、決して「猫も杓子も鬼畜だウェイ」みたいな雰囲気ではありませんでした。
そしてその鬼畜系、例えば月刊GON!だのBURSTだの、そしてそれに近い人々が集まるトークショーやクラブイベントを見ても。
あくまで世間の価値観から切り捨てられた弱者が、それでも生きていることを証明するような儀式、ある種の人間賛歌に近いノリを感じました。
つまりいじめる側でなく、いじめられる側が主体な文化なわけですね。
人間綺麗ごとだけでは生きていけない、どんなに醜くてもいいんだ、的な価値観。
そして、当時サブカルライターやサブカル系タレントに多く接しましたが、少なくとも私の知る限りでは、学生時代のいじめ体験を誇らしげに語る人間は誰一人としていませんでした。

そもそも小山田氏のインタビューが載ってたロッキングオンは音楽誌。月刊カドカワもそれに近いし。クイックジャパンはサブカル誌ですが、サブカルはサブカルでも「オシャレな方のサブカル」。装丁からして露悪趣味を売りとしたGON!あたりとは世界観が違うわけです。
私はその手の雑誌の読者でもあったんで、そっちの話をしますね。

私自身は小山田氏の狼藉は、当時の音楽業界に原因があると思うんですよ。

80年代90年代において、音楽人、つまり歌手、演奏家、パフォーマーには二種類の属性がありました。
「アイドル」と「アーティスト」です。

アイドルとは。
若くてビジュアルがよく、音楽だけでなく役者やモデルもやってて、ドラマにも映画にもバラエティーにもグラビアにもCMにも出る、一般的な知名度が高い芸能人。

アーティストとは。
一部例外はあるけど、多くの場合ビジュアルはアイドルに劣る。基本音楽関係の媒体(音楽番組や音楽雑誌など)にしか露出せず、一般的な知名度はない芸能人。

普通の人なら「若くて美しくて歌だけでなくいろいろな才能があるんなら、アーティストよりもアイドルの方が全然上じゃん」と思うかもしれません。

ところが。
80年代90年代の芸能界においては、アーティストはアイドルよりも絶対的に立場が上だったのです。
それどころか芸能界全ジャンルの中でもアーティストだけは特別。
スキャンダルもバッシングも無縁でカリスマ性だけはある、治外法権的な存在でありました。

まあ確固たる実績があってアーティスト然としたアーティストは黙ってても世間はそう見てくれるでしょう。

問題は、若くて顔がよく、アイドル的なファンがついてるアーティストの場合。
「自分はアイドルじゃないですよ」と逐一証明して回る必要が出てくるのです。

ここでアイドル枠に入れられちゃったら、事務所に自分が望まぬ仕事を入れられちゃうかもしれない、という危機感もあるし。
ファンからしても、自分の好きなアーティストが俗世間の手垢にまみれたアイドルなどに堕ちてほしくはない。
なんせアーティストは若くて音楽的感性が鋭い人しか知らない存在。アイドルはそのへんのジジババも知ってるような存在。
若くて音楽的感性が鋭い私はあくまでアーティストのファンでありたい、みたいな自意識が当時の音楽ファンにはあったわけです。
「ロックフェスにアイドル出すな」問題も、そのへんの価値観の残滓なんでしょう。

で、アイドル扱いされないための自衛手段として、音楽誌や音楽番組で、アイドルには似つかわしくない奇行をひけらかす、というのがアーティストしぐさとして看過されてた気がするんです。

福山雅治氏のラジオでの下ネタ、椎名林檎氏のデビュー当時のとんがったビジュアルもその一環であると考えます。
中には音楽番組で万引き自慢をした歌手もいましたが、「アーティストだからしょうがない」みたいな空気でした。

当然彼らのインタビューを掲載する音楽雑誌としても、できるだけアーティスト本人の意向に沿う形になるでしょうから。
どんなに変なこと言ってても編集段階で推敲しない。そういうのが当たり前だった気がします。

要するに、「鬼畜系しぐさ」というより「アーティストしぐさ」と言った方が正確かも。

そして。
自分がどう見られたいか、どういう立ち位置の人間になりたいか、逆に何をされたら嫌なのか。
そこはアーティストに限らず千差万別なはずなので、そこをきちんと捉えたうえでしかるべき提案をする。
これは人間関係の基本であると思うのです。
相手が嫌がることをわざとするのがいじめであるわけで、いじめは本当にカッコ悪い。

いじめ告白でキャラ立てしようとしてる若きアーティストがいるのなら。
その真意を問いただしたうえで、よりブラッシュアップされた不快感のないアイデアを提示する。
雑誌制作なんてそういう形でよかった気はするんですよ。

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