海から山へ森の血管をたどる。
「ここから山をみて風の流れをみてください」
屋久島でモスオーシャンハウスという宿から海岸に歩いて行ったところで、今村さんに言われた。
岩がゴロゴロしている海岸には藪の中からチョロチョロと水が流れてきているのが見える。山から流れる大きな川とは別に、小さな河川が無数とあるという。
流れが止まっているところ、淀んでいるところの岩をどけ、たまった泥をスコップでかくようにと教わり、夢中で水が流れるように道を作った。
しばらくかき続け、山への入り口を見てみると、藪には笹が混み合っていた。藪をかき分け、同じように今度は、水の流れを見て自然ではないところを観察するように言われる。
自然ではないところ?
初めてそんな視点で川を見た。川の流れが淀んでいるところ、葉っぱや枝が詰まっているところ、そういうところは少し腐ったような匂いがした。そして、蚊が多かった。
枯れなくても良いはずの木が枯れ、必要以上に葉っぱが落ちると流れるはずの道が止まってしまう。そんな道を通すために今度は淀みの葉っぱや枝、泥をスコップでかいていく。
川は風を運んでいるのがよくわかった。淀んでいる場所は空気が流れていない。風が止まり、呼吸が止まっているようだった。なんか気持ちがよくない。
どのくらい流れる水の道を作れば良いのか?川の枝分かれはどちらに多く水が流れるようにすれば良いのか?
「少し離れたところから川を眺め、自然な流れを作ること。川の表面がキラキラと輝くような流れを作るように。」
なんとも曖昧なアドバイス。笑
だけど、自然な流れを想像して見てみると、自然と見えてくるから不思議。あ、水が気持ちさそうだな。気持ちが良いな。って。
どんどんと泥をかきながら上流に向かう。葉っぱや枝、泥をとると水が勢いよく流れてくる。
海岸から藪を抜け、岩を登り、川を進むとだんだんと景色が森っぽくなってくる。だいぶ上がってきたなぁと、上を見上げてみると、大きなアコウの巨木が森の主のように岩にのし上がり、我々を見下ろしていた。
海からの風を受け、山からの水を吸い、この森を守ってきたような木。
海岸のあの小さな水の道が詰まると、このアコウに清い水が届かなくなる。藪が混雑してくると、このアコウに気持ちの良い海の風が届かなくなる。
そう思った瞬間、山と海がつながった。川は水が流れる道ではなくて、水と風とたくさんの養分を運ぶ森の血管だとわかった。
自然と共に生きるということは、私たちが自然に恩恵を受けているのと同じように、自然に手を貸すことも必要。そして、それは人間という自然の生き物として自然に必要とされていること、自然の痛み具合を感じとれるという、感性が必要なんだ。
機械で測っても、この塩梅はわからないんだろうと思う。
自然が自然である様子がわかるのは、人間が自然の一部だからなのかもしれないね。