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意味のある退屈

適応障害になり、仕事を休職し、復職して、違う部署に配属されて3週間(実際は10日間程度の勤務)。
私の体調を考慮して、部署では仕事の割り振りはかなり慎重にしていただいています。

そのため、きっちりと仕事や時間割が決まっていなく、毎日私には「待ち」の時間があります。

そう。
言っちゃえば「暇」なんです。
暇な時間が毎日結構な割合であります。

その間は、新しい部署の規則や業務フローなどのルールを読んだり、今後業務で関わるであろうシステムの使い方やマニュアルを読んだりとしていますが、そろそろ2週目も終わりそうです。


働くことと退屈

そんな時、今読んでいる本にこんな言葉が紹介されていました。

働くことは、私たちを三つの大きな不幸から遠ざけてくれます。
三つの不幸とは、退屈と堕落と貧乏です。

哲学者 ヴォルテール『カンディード』(光文社古典新訳文庫)
戸田智弘『新!働く理由』(ディスカヴァートゥエンティワン)

書籍はこちらから引用しました。

つまり、仕事においての「退屈」は常日ごろ使うような「退屈」という意味とはまた違う「退屈」なのでしょう。
意味のある退屈という風に捉えるべきでしょうか。

さらに本書の中で、ラッセルの『幸福論』(岩波文庫)からこのようなことも引用しています。

仕事するときに感じる退屈はその日にやらねばならないことがなにもない時に感じる退屈と比べるなら、ゼロに等しい

戸田智弘『新!働く理由』(ディスカヴァートゥエンティワン)

仕事の退屈は退屈ではないということをストレートに言っています。

退屈の意味

「退屈」に意味を付けるとすればどのようなことでしょうか。

・準備期間の意味

何かをする前には準備が必要です。運動にせよ、勉強にせよ、仕事にせよ。
退屈は一種の準備でしょうか。

実際、休職期間に感じていた退屈も、同じような感じなのではとちょっと思えてきました。

復職をするための準備。
自分の身体を休める時期。

退屈という中に、休養という意味を持たせていたのかもしれません。

同じように捉えるなら、今感じている仕事の退屈も、これから本格的に働くための準備であると言えるかもしれませんね。

・慣れるための意味

復職して、いきなり違う部署に異動させられ、違うオフィスに席を設けられ周りは業務で関わったことのない人に囲まれている。
そんな環境下に「居る」だけでも十分緊張と不安があります。

退屈という手を動かさずじっとする時間を使って、環境下に馴染むようにしているかもしれません。

その場に「居る」だけで、私の心と身体は新しい環境に適応しようとしている気がします。
常温でちょっとずつ溶けていく氷のように。

これが、退屈なく忙しい最中で行うことは、難しいのかもしれません。
周りの人との関係の構築が雑になったり、新しい部署のルール違反をいつの間にかしてしまったり、そんなことが起こっていたかもしれません。

徐々に、環境に慣れるための、退屈だと思いました。


退屈は良いことか

仕事においての退屈は、良い退屈だと思います。
決して、無意味という意味の退屈ではないはずです。

現に、実際「退屈」と思う時、
仕事の時間で感じる「退屈」と日常で感じる「退屈」は、ちょっと味が違います。
(味ってなんだ)

仕事の「退屈」は、なんとなく胸を張っていられるのですが、日常の「退屈」はなんとなく申し訳なく感じるような、そんな風に思います。

焦りがあるか、ないかでも判断ができます。


先ほど味と表現しましたが、退屈を味わってみて、今の退屈は意味のある退屈か、そうでないかを感じることができれば、もう少し生きることも楽になるかもしれないなと思いました。

悪いと思われがちなことも、きっといい意味を持たすことができます。

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