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大正オトメおとぎ話

純愛 OF 純愛
これぞ純愛。そんな作品でした。


舞台は大正時代、当時は親の借金を返すために「奉公」という名の身売りがあった時代。
主人公の夕月は親の借金を返すために主人公である珠彦の元へ嫁ぐことになる。

人間不信の珠彦、常に死にたいと思っていた。そこに一筋の光が差し込む。

それが夕月だ。
夕月はそこにいるだけで人を幸せにする力があるのかもしれない。
姿形とは裏腹に親のような懐の深さをもつ夕月に多くの人が惹かれていった。

1番大切な人に見せたいアニメ。

恋は愚か、生まれてこの方愛されるということを知らなかった主人公。
夕月によって「生きていることが罪である」と思い込んでいた主人公が段々と自分は生きていていい、存在意義というものを見つけてくる。
話数を追うごとに主人公の表情が朗らかになってくるのがみてとれる。(アニメーターさんホントしゅごい)
無表情、無口キャラの彼だが話数を追うごとに笑うようになるし、自分の本心をさらけ出せるようになってくる。彼は変わった。
いや、ちがう。変わったのではなく
「本来の彼を取り戻した」

と言えるだろう。
そして彼が抑圧された心を解放し本来の自分を取り戻した時に本心の言葉を素直に言えるようになる。
すると心を閉ざしていた珠子や綾の心をも連鎖的に解いていく。


☆個人的、大正オトメおとぎ話
名言だと思うところ☆

「あんな兄さんでいいの???」

その珠子からの問いに夕月はこう答える。
「私は信じてます。珠彦様が自ら光を見つけてくれることを」
(セリフは合ってるか知らん)

①人は変えることができない。
でも信じて待つことは出来る。

そんなメッセージが込められているのかなと思う。
だからこそ私はパートナーにこの作品を見てほしいと思った。

終盤にかけて関東大震災により珠彦と夕月は引き裂かれてしまう。
そこでよくでてきた夕月のセリフ。

「好きだって気持ちを恥ずかしがらずちゃんと伝えておけばよかった」

ほんとそれなんですよ。
人間いつ何があるか分からない。
思ったことはきちんと伝えようねって、後悔する前に。

③誰かを救いたいと思うならば身近な大切な人を幸せに出来なければ救うことは出来ない

よく勘違いしてる人を見る。
「誰かを救いたい!」と張り切ってる人。
いちばん身近な人を大切にできてるか?って。
これはもちろん恋人とか親とかもそうなんだけども1番は自分だよね。
自分への愛し方を知らない人が他人を愛することなんてできないと私は思います。


と、まぁ思ったことをつらつらと。
大正の恋愛っていいなあああああって思いました。
美しいよね。
現代みたいに本心じゃないものが沢山渦巻いてる世界、とても生きづらいね。息、辛いね。

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白鳥ことりちゃんの「戀の歌」めっちゃ大好き

最後にでてきた珠彦がトラウマの根源である父親の安否を気遣うシーンありましたよね。
あれって多分
珠彦が自分を許せるようになった=完全にとは言えないけど父親を許せるようになった。
だと思うんですよね。
多分前までの珠彦だったら無視された時点でパニックに陥ってたでしょうから…


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