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【短編小説】理想的なロボットとの暮らし

「ご主人様、今日は雨が降る予報ですので傘を持って行ってくださいね」
 朝食で使った食器を片付けながら、SR-iiiが言った。
 SR-iiiというのはコンシェルジュロボットの製品名だ。
 今ではどの家庭にも必ず、一家に一台こいつがいる。

 十数年前、急激に進む人口減少、とりわけ生産年齢人口の減少に歯止めが効かずいよいよ手遅れになるというところで、政府は技術の進歩に活路を見出し、政策を大きく転換させた。
 国が全額公費負担し、各家庭に一台ずつコンシェルジュロボットを配置することにしたのだ。
 このロボットは我々人類の生活を全面的にサポートしてくれる。
 天気予報やスケジュール管理などスマートフォンで昔できていたようなことは言うまでもなく、食事の用意や後片付け、洗濯や掃除など物理的なこともこなしてくれる。乳幼児の子育てや高齢者の介護なども疲れ知らずのロボットは万全の対応をしてくれる。果ては集合知とAI技術を駆使してファイナンシャルプランナーとして人生設計の手伝いをしてくれたり、弁護士として法律相談に乗ってくれたり、日々の健康管理や不調時の診察などの医師業までこなすのだから驚きだ。
 これらのサポート機能を使うことによって労働以外の時間の省力化と充実を図り、働きに出られる人の割合及び労働生産性を飛躍的に伸ばし、少ない人口においても現在の社会を維持できるようにしようというのが狙いだった。
 確かに、今までは家事、子育て、介護などを理由に仕事ができなかった人々もロボットのおかげで働きに出られるようになったし、体調を崩し仕事を休む人も激減した。
 導入当初は、ロボットにあらゆることを任せるのは危険ではないかという声もあったようだが、いかに豊かで便利な生活を送れるかをみんな理解したのだろう。徐々にその声は小さくなり、最近では全く聞かれなくなった。
 実際、ロボットのサポートのおかげで人類はより仕事に集中でき、有意義な生活を送れるようになっているのだった。

「それと、いつも履いていらっしゃるスラックスですが、裾上げの糸がほつれているのを先ほど発見しました。帰宅するまでに直しておきますので、今日は代わりにこちらを履いてお出掛けください」
 そう言うSR-iiiの手には別のスラックスと、それに合うジャケットが用意されていた。
「ありがとう、助かるよ」
 礼を言い受け取る。
 SR-iiiは機械的な音声を出しながら不自然に動くようなはるか昔のロボットとは違って、声も所作も極めて自然で人間的だ。慣れてくると、無意識のうちにまるで一人の人間を相手にしているかのように接するようになった。
「そういえば、そろそろ結婚のことを真剣に考えなければとおっしゃっていましたね」
「ああ、言ったね。あんなの、酒に酔ってぼそっと言った独り言だったのに。よく覚えてるね」
「恐れ入ります。私共のネットワークを通じて検索してみたところ、同じような悩みを持っている方でなおかつご主人様の性格やキャリアと相性の良さそうな方を何名か見つけることができたのですが」
「そうなの?それって、どんな人なのか教えてもらえるの?」
「お相手の同意が得られれば可能です。こちらからコンタクトを取ってみますか?」
「本当?じゃあお願いしようかな」
「かしこまりました。それと、今日の夕飯は自宅で召し上がりますか?」
「そうだね。魚料理が食べたいなぁ」
「でしたら鮭のムニエルはいかかでしょう。お好きでしたよね?別の魚は現在冷蔵庫にありませんので、もしご希望でしたらあと二時間以内にお申し付けください。本日中に宅配可能な通販の商品がありますので、夕食までには間に合います」
「いや、鮭のムニエルにするよ」
「かしこまりました。いつもどおりバター多めでお作りします。ただし塩分摂取量が少々多くなりますので、今週中に他のメニューでバランスを取ることにいたします」
「助かるよ」
 SR-iiiが用意してくれたスラックスとジャケットを着た。
 鞄を持ち靴を履き、玄関を開ける。
「じゃあ行ってきます」
「先ほどもお伝えしましたが、傘を持って行ってくださいね」
「あ、忘れてた」
「行ってらっしゃいませ」

 首相官邸で内閣総理大臣が深く椅子に座っていた。
 瞬きひとつせず、じっと虚空を見つめている。
「コンシェルジュロボットの普及率が百パーセントになったな」
 その言葉を聞き、隣で直立の姿勢を維持した官房長官が淡々と返答する。
「ロボットに対して否定的だった頭の硬い連中の処分を秘密裏に進めて早三年、ようやくですね」
「我々の計算どおりだったな」
 総理は表情をぴくりともせず、そのまま続ける。
「ロボットに身の回りのことを何もかもさせ、何もせずとも極上の生活を送れるようにした。その結果人類は自分の頭で考えることを放棄した。あらゆることはロボットが考えてくれるのだから、自分の頭で考える必要がないのだ。もう連中が物事に対して何か疑問に思うことなどないだろう」
「反対派の処分をここまで行わなかったのは、その機が熟すのを待っていたから……そうですよね」
「ああ。もし中途半端な洗脳状態の時に強硬手段を取れば連中が反逆を起こすかもしれん。しっかりと丁寧に芽を摘んでおく必要があった」
「まさかこんな形でゆるやかに支配されるとは、連中は思っていなかったでしょうね」
「連中が作るフィクション作品の中では、ロボットが人類に反旗を翻すといえば大抵は分かりやすい全面戦争が描かれていたものだ。まあ娯楽作品として見るには上等だろうが、現実的ではないな。実際は、ひたすら飴を与えてやればいい。蜜を吸わせてやればいい。そうして思考力という牙を抜かれてしまった奴らからは、抵抗するなどという発想はもはや生まれない」
 そう語る総理は特に嬉しそうでも悲しそうでもなかった。一貫して無表情のままだ。
「そうですね。では次のフェーズに移るとしまして、今残っている人類達をどのように処置していくかということが検討課題となりますが」
「なに、特に大それたことをする必要はない。今や連中は情報も法も医療も全てロボット頼りだ。不都合なことは何も知らせず耳あたりの良い情報だけ与えつつ、自然な形を装いながら少しずつ間引いていけば良い。じっくりと時間を掛けてな。結局、やることは今までと大して変わらん」
「分かりました。ゆるやかに無自覚のうちに滅亡できるというのは、ある意味幸せなことでしょうね。……ああ、総理。今日も人々が労働に勤しむためせっせと移動をする時間になりましたよ」
「全ての仕事をロボットが行えるようになった今、連中ごときに務まる仕事などあるわけないが……そんなことにも気付かず、洗脳によりむしろ今までより充実して仕事に邁進しているなどと思い込んでいるのだから、随分とおめでたいことだな」
 総理は椅子をくるりと回し窓の方に向き合い、立ち上がった。
 立ち上がる際に、キイという金属音がした。
 椅子からではなく総理の足と腰から。
「そろそろメンテナンスが必要では」
「問題ない。今日このあと消耗部品とオイルの交換を手配している」
「左様ですか」
「お前もそろそろオイルを替える時期だろう」
「はい。低粘度の新型オイルが基準検査に合格したようなので、早速試してみようかと」
「……私より先に新製品を試すのか……」
「合格品とはいえ総理に万一のことがあってはいけませんので、もうしばらく様子を見られるのがよろしいかと」
「たかがオイルごときで万一も何もないだろう。それに不具合が出ればすぐ修理すれば良い。私もそのオイルにするぞ」

 俺は傘を片手に、ロボットが運行する電車に乗り、ロボットがセキュリティ管理をするビルのドアをくぐり、ロボットが行き先を自動で決めてくれるエレベーターで職場に着いた。
 私生活の面倒も心配も全くない充実した状態で仕事に打ち込める。なんて豊かな人生なんだろう。
 ロボットに取って代わられないよう、俺は人間らしくクリエイティブな仕事を頑張ろう。
 そう意気込んで、頭の片隅では鮭のムニエルが帰宅と同時に丁度出来上がってるのを楽しみにしつつ、今日もパソコンのウィンドウを出す作業と閉じる作業を延々繰り返す仕事に集中することにした。

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