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コロナ5年。アラフォーの5年と子供たちの5年

コロナの夏が終わろうとしとる。今年も夏祭りもなかったし花火もなかった。帰省もしなかったし、一番のイベントっていったら東京にワクチン打ちにいったこと。ハトバス乗ったんですよ。私以外3人しかいなかった。ぜいたくぅぅ!フゥ~~!

最近、コロナになってから有名な西浦先生の、コロナが落ち着くには5年くらい長くてかかるかな、みたいな記事を読んだ。

ワクチン打った人がちょっと重症化しにくくなって、打っていない人で流行したりらじばんだり、医療を整えたりしたりしてるうちに5年くらいあれば落ち着くんやないの?という記事で、正直(んなこと誰でもわかっとるわい)と思ってしまった。そこをなんとか人類の知恵を絞って明日にでも終わらせたいんやないの?というんだけど、この5年。5年くらいで終わるのかとも思った。意外と早いな、と。私自身の過去の5年は恐ろしいほどアッという間だった。5年前はちょうど上の子を妊娠していて、今は2人目が生まれている。そこでコロナが始まって既に1年経っているので、ちょっとずるいけど後4年とする。きっとあっという間に過ぎてしまうだろう。子供たちはあっという間に大きくなるし、子育ての毎日は一瞬で過ぎてしまうのだ。

子供たちの機会損失を考えておりますか?

でもな。でもや。その一瞬ともいえる時間は一瞬ゆえに二度と戻ってこない。上の子は花火が好きで、この前も「花火見たーい」と言われた。花火はこのご時世、ラッキースケベではなくラッキー花火となり、誰かのご厚意によりほんの5分ほどの時間をエンカウントすることでしか見られなくなった。「あーあーあー、花火の音聞こえる!どこや!ああああ終わったぁぁぁ」なんて3回ほどあった。お祭りもないから、パックで食べる焼きそばやイカ焼きが懐かしい。子供たちの甚平姿が見たい。寝るときやないんや。夜の祭りで見たいんや。

運動会も当然ない。保育園の行事がさっぱりないし、保育士さんとのやり取りは最低限に限られるので子供の情報が得られなくなった。連絡帳で書くほどじゃない。その日の子供の様子が少しだけ知りたい。親戚の小6の子は秋に修学旅行に行くって言ってたけど、どうなったのか。挙げだしらキリがない。

我慢のときだとは思う。けど子供たちの制限と大人たちの制限は明らかに非対称だと思う。この非対称はいつか大きな歪みになる。これは絶対。人生は喜びの一瞬が積み重なったものだと思うのに、その喜びの量が圧倒的に違う。高齢のじーさんばーさんが「今は我慢のとき」って言うのが一番うんちだ。世の中の良いところも悪いところも吸い尽くした大人が絶対言うべきじゃない。

コロナが子供の病気になったとき

最近これも考える。素人の愚かな考えだけど、ワクチンを打った人や実際に感染した人は身体に小さな免疫を抱えて、日常生活でちょろちょろウィルスに触れるうちにコロナに耐えられる身体を手に入れていくんじゃないかと思っている。これはこれまでの原則「少しずつ汚いものに触れて身体を強くしていこう」の理念による。更に「子供のうちにかかろう。子供のころにかからないで大人になってからかかるやつはヤバいぞ」の不文律に従うと予測している。いつかは子供の感染症になるだろう、RSのように。ではそのとき、今年のRSウィルスの大流行のようにコロナが子供たちの間で流行して大人はへっちゃらピン子となったとき、今の世の中のように扱ってくれるだろうか。きっとそれはないだろう。それは子供がこの世の中で優先順位の低いものだから?と思ってしまう。いつか戦争が起きて食料が足りなくなったとき、この国は老人に優先的に食料を配ったりしやせんか。それが少し、不安に感じる。

いや、知らんけど

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