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短編小説・サウンド

そのカフェは、キャットストリートと言う可愛くもかっこいい名前の通りにある。
たまたまこの通りにふらりと入りしばらく歩くと、店のテラス席を見つけ、その奥にあるアンテイーク調の椅子やテーブルに惹かれ、軽い気持ちで立ち寄ったのが最初だ。

止まり木形式の木製の椅子におそろいの小さなテーブル。
二人が向かい合って壁際に座れる席の真上に、淡いオレンジ色の間接照明があり、まるでドラマセットの一部のように客を利用している。

椅子は硬いが、なぜか居心地が抜群で、その後も私の中の一番のお気に入りのカフェの座は何年も揺るがない。
様々なカフェに行ってみて思うことは、店のレイアウトや家具、そして美味しいコーヒーだけでは私は満足しないらしい。
最も大事なのは、雰囲気、さらに言えばそこにやってくる客たちだ。
このカフェは表参道も近いという場所柄、外国人客が半数を占める。多い時には周囲には全く日本語が聞こえないほどだ。

白人、アジア人、ラテン系、なんでもあり、だ。
当然それぞれの言語で話し、一瞬ここが日本のど真ん中であることを忘れるが、おしゃれな街であることは忘れるどころか、さらに強く印象付けてくれる。
そのあらゆる言語をB G M代わりに聞きながら本を読むのが、至福の時間だ。

そんな時間が、突然破られた。
私の対の席は無人だが、その向こう側にもう二つのペア席があり、そのうちの一つにがっしりとした体格の男性が座り、まるで少し離れたところから、私と向かい合っているようになった。
どさっと大きなボストンタイプのバッグを向かい側の席に置いた音で、ふと顔を上げた。

短く刈り込んだ黒い頭。
日に焼けた肌に白いTシャツから、鍛えた筋肉がはみ出そうだ。
濃いブルーデニムに白のスタンスミスのスニーカー。
それだけを見てとると、本に目を戻した。

カフェオレを一口飲み、インド・デリーの話を再度読み始めると、一瞬で脳内にまだ行ったこともない国の景色が浮かび、再び至福の時が訪れる。
反対側のカウンター席の若いアジア人女性たちが大きな声で笑うと、ゆっくりとその方向に目線をやったのは私だけではなかった。
一席離れた男性も、頬杖をついている顔だけをそちらに向けていた。その手には文庫本があった。その表紙を見ると、ハッとしてしばらく見つめ続けていた。それに気づいた男性が私の手にある本の表紙を見ると、同じように驚きの表情を浮かべ、やがて真っ白な歯を見せ、手にしている本を少しだけ高く上げた。
こくんこくん、と2度うなづき私も自分の本を少しだけ高く上げた。
まるで外国人同士のように、ジェスチャーで私は自分の席の向かい側の空席を指差した。
彼はスッと立ち上がり、荷物を持ってやってきた。

「日本人?」と一応聞くと、「そう」と日本語が返ってきた。
「同じ作家の本よね、すぐにわかったわ。まだ読んでないけど、一号線ってベトナムでしょ?有名な本だから。読んでるベトナムはどう?」
「ベトナムに行ったことはあるけど、もう一回旅してる気分だよ。それは、、、ああ、インドか」
「そう、デリーを旅してたわ」
「デリーはどう?」
「行ったこともないし、女一人ではさすがに怖くていけないから、せめて本の中で行ってみようと思って」
「俺もインドはまだ」
「旅が好きなの?」
「旅するために生きてる」
ふふっと思わず、笑い声が漏れた。
「私もよ。職業旅人」
ははっと、笑いが聞こえる。
「なぜ旅が好きなの?」
「そりゃ、人生は短いから。行きたいと思った時に行きたいと思ったところに行っとかなきゃ、いつか行けなくなるのは確実だから。まあそこまで生きてるかはわからないけど」
「合格」
「は?」
「世界中の旅好きの人たちに、同じ質問をするの。なんで旅をしてるの、って」
「へえー、面白いね」
「するとみんな言葉は違っても、と言っても私は英語しかわからないけど、みんな言うのよ。まるで合言葉のように」
「人生は短いって?」
「その通り」
「やっぱりそうだよな。それをわかってて生きてる奴は、ひたすら旅をする」
「その通り」
「じゃあ、、、えーっと」
「ミカよ」
「ミカさんも」
「ミカでいいわ」
「ミカも世界中を旅してるの?」
「まだ、30カ国くらいよ。まだまだ行ってない国もあるわ。ベトナムにもインドにも行ってないし」
「へー、じゃあヨーロッパとか、アメリカとか?」
「そうね。ヨーロッパ、オーストラリア、アメリカ、中東、英語が通じるところを選んでたかな」
「へー、どこが一番よかった?」
「来ると思ったわ、その質問。一番って言うのは本当に難しい。その時の自分の感性によるけど、今思うのはモルデイブね」
「おー、モルデイブ。ダイビングに行きてえ」
「私はシュノーケリングくらいしかできなかったけど、多くの富裕な人たち向けのリゾートで、そこで働く人たちは現地の普通の労働者たち。当たり前だけど。でも彼らが全くそれを不満に思うわけでもなく、自分たちの役割を楽しんでいる様子に驚いたし、彼らの方が私より豊かなんじゃないか、って感じたわ。彼らはインドくらいしか行ったことがないのにね」
「へー、そんな深い人生観を感じられるのか」
「富が大きくそこに横たわってるから、向こう側とこちら側の境界線を嫌でも意識させられるからでしょうね」
「おおー深い。俺、深い話好きなんだよね。でも俺ってこんな感じだし、仕事はスポーツトレーナーとかだから、案外体力バカって思われることが多くて。まあ、別にどう思われてもいいし、合わせるのは得意だけど」
「ああ、だからその立派な体なのね」
「まあ、ラグビーやってて、やめてからも体を鍛えるのは趣味なんで」
「すごくいいことね。体を鍛えると頭も良くなるって聞くわ」
「おー、俺の周りの奴らに聞かせてやりたいよ。あ、俺、洋平」
「海が似合う名前ね」
「ありがとう。親父が船持ってて、俺が生まれた瞬間、俺の顔を見て即決した名前らしい」
「いいお父様ね。ところでそろそろインドのデリーに戻りたいんだけど」
「あ、俺、席戻ろうか?」
「ううん。よかったらそこに座ってて。一緒に本を読んで読み終わったら感想を言い合わない?」
「いいね。俺多分30分くらいで終わる」
「私も。じゃあ、今から読書タイムね」
また憎らしいほど爽やかな白い歯を見せながら、洋平は笑った。
全ての音と光景が止まってしばらくすると、二人はほぼ同時に顔を上げた。
「どうだった?」
「ハノイもホーチミンも、俺が行ったことがあるベンタン市場とか決してすごく詳しく書いてないのに、もう一度旅をしているように感じられるのが、すげえっていつも思うよ」
「本当ね。私はデリーには行ってないけど、インドの持つ匂いとか空気まで感じる気がするわ。それはおそらく。。。」
「書きすぎてないからだろ?」
「そう!やっぱりそう思う?」
「俺たちの想像力を残してくれてるんだよな。だからきっと俺たちが同じ本を読んでも、頭の中にある景色は絶対に違うんだよ」
「じゃあ、試してみようか」
「え?」
「ベトナムはあなたにとってどんな色?」
「色か・・・赤、かな」
「そう、私はくすんだ青。ベトナム航空のカンパニーカラーっていうのもあるのかもしれないけど、空は青いけどやっぱりベトナム戦争の名残がありそうなのよね」
「そうか・・面白いね」
「でしょ?よかったらこの本を交換しない?」
「え?いいねー」
「そして2週間後にまたここで感想を言い合うの」
「OK。しばらく旅の予定は入ってないから、2週間後の日曜日って言うと、18日だね。同じ時間で」
「そう、一時にね」
「OK」
「来れなかったら来れなくてもいいわ。その時はまた2週間後。それまで本は大事にしておくこと」
「いいよ。楽しかった」
「私も」
洋平が立ち上がり、こちらへ近づく。求められていることがわかった気がして、私も高いスツールから降りて、両手を広げハグをする。
「またね」
「じゃまた」
片手を軽く上げて帰っていく。後ろから見る彼の体は、どこまでもアスリートのものだった。

***

朝からしとしと、とスローモーションのような雨が降り続いていた。
お気に入りのフューシャピンクの傘を右手に、左手で白のロングフレアスカートの裾をつまんでキャットストリートを歩く。水たまりを避けていると、小学生の頃を思い出し、声を出さずに笑っていた。すると向こう側から傘もささずに走ってくるブルーデニムに白いスタンスミスが目に入った。
ニヤッと白い歯で笑うと、手を振っている。

「きたね。久しぶり」
「久しぶり。傘もささないんだ」
「めんどうじゃん」
「わかるー。私もさしたくないけど、メイクが崩れるから」
「へー、そんなこと気にするんだ」
「一応、ね」
同じ種類のコーヒーを注文し、こないだと同じ席が空いていたのでそこに二人で歩いていく。

「持ってきた?」
「もちろん」
「どうだった?」
「ちょっと待って」
コーヒーを受け取る順番が来て、彼は二人分のコーヒーを持ってきてくれた。
「ありがとう。気が利くんだねー」
「一応、客商売ですから。そういえば、ミカさんは何やってんの?いや、ミカは」
ふふっと笑いが漏れる。
「スクール」
「英語?」
「そう。これでも子供から大人まで教えてるのよ」
「へー、先生か。人気ありそう」
「愛想はないのにね。でも少し生徒さんを減らしてるわ。自由な時間が欲しいから」
「ふーん。いいな」
「で、どうだった?インド」
「いやー、俺はめっちゃくちゃ行きたくなった。人生観変わりそう」
「ガンジス川の夕陽は見てみたいわね」
「でしょ?」
私は、次の言葉を言いかけてやめた。
「じゃあ、私の感想ね」
「うん」
「ベトナム、つまりホーチミンもハノイも行きたくなった」
「でしょ?絶対面白いよ。何かが起きる。いいことも悪いことも。でも日本にいたら絶対に出会わないことばっかり」
「あなたもそうだったの?」
「そりゃそうだよ。フォーの店に行っても、店によって値段が違うし、下手すると客によって値段が違うんだぜ」
「日本じゃありえないわね」
「そう、でも困ってると声をかけてくれるし、お互いに言葉は通じないんだけどね」
「そっか、英語が通じないのよね」
「そう。まあ通じるやつもいるけど、基本的にはベトナム語ができたほうがいいよな」
「すでにベトナムに行った気分になってるけど、私の想像通りなのか、この本にあるベトナムと今がどう変化してるのか見てみたくなったわ」
「じゃあ、俺案内しようか?」
「え、いいの?」
「今度1ヶ月くらい休みをとって旅しようって思ってたんだよね。基本は一人旅なんだけど、旅慣れてる人なら、別行動でも多分大丈夫だろうし」
「大丈夫よ、全然」
「じゃあ、インドも一緒に行く?」
「ベトナムからインドね・・」
「そう、だってインドは女ひとりでは無理って諦めてたんだよね?だったら、俺が一緒に行けばインドも行けるよ」
頭の中に行ったことのない、さまざまなインドの光景が浮かぶ。そこに哲学が横たわる。ガンジス川が、見える気がした。
「いいわ。連れて行って」
「よっしゃー。じゃあ旅のプラン考えようよ」

それぞれのスマホで同じアプリを開き、まずは航空券、そしてホテルを調べ始めた。


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