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「私は障がい者だ」

私は、お日様の光を浴びられない。犯罪者だから。 

お日様、見たいな。今の私にとってお日様は、高級贅沢品だ。

だって私の部屋、まっ暗。ずっとまっ暗なんだもん。

電気が点いてたって、それでどれだけ明るく照らされたって、まっ暗なもんは、まっ暗なんだよ。なんにも見えないんだよ。まっ暗じゃないか。なんも見えないじゃないか。これやあ もう字だって書けません。書きたくありません。あぁ。これは、お日様が私の目の前にあらわれてくれたって、私は まっ暗なのかもしれないな。今日の私はそうなの。今日だけの私はそうなの。 



そういえば、検事さんの取り調べに行くときは、お日様、見してもらえました。刑事さんの取り調べと違って、検事さんの取り調べは、「検察庁」っていう、めちゃでか建物(お城みたい!)の中で行われるんです。だから、そこへ行くために、留置所から手錠してもらって、めちゃでかバスに乗せてもらい、むかいます。 



めちゃでかバスの窓は、外から私(犯罪者)が見えないように、一面黒いシールが貼ってあります。でも、私側かはら、シールの色で黒みがかっては、いるものの、自由にお外の世界を見してもらえました。 



お外の世界を見してもらえると、うれしいこと たくさんあります。 



お空がとっても大きいこと。お日様がこの世界を明るく照らしてくれていること。人が今日という1日を時間と共に生きて暮らしていること。 そして、それが全部全部 当たり前じゃないってことに気づけた自分のこと。 



それはとってもうれしいことです。 



でも、私がお外を見してもらって1番うれしかったことは、通り道に、めちゃでかペットショップが見れたことです。 


うそです うそです そんなの 全部 うれしくなんてなかった です 

どうでもよかった どうでもいい作り話うそつき 


わたしが忘れられないのは わたしが忘れられないのは 

ペットショップ で わんわんが 毛を きってもらってたこと。

ニコニコで。きってるお姉さんも にこにこで。


わたしは それが 忘れられなくって うれしくなんて ないです 

悲しい、悲しかった 

わたしと、あのお姉さん なにが ちがいますか 

私は、なんで こうですか 


人間って本当に怖いなって思います。

幼少期においての親との関わり方で人生のほとんどが決まってしまうのだから。


地球はそういう所だって分かった今でも、怖いなって思うのです。


私は、幼い頃の記憶がほとんど無いんですが、

その中でも、1つだけよーく覚えている事があるのです。



それは、

昔、小学校低学年の頃に、知的障がいだったり、

発達障がいの子供達が通う作業所での事です。



毎年1回、バザーがあって、祖母と母と一緒に行っていました。



障がいのある子供達は、お母さんと一緒に車いすに乗って、

色々なものを売っています。



その姿が私には、羨ましく感じたのです。

だって、お母さんが子供達に笑顔で接していたからです。



車いすに乗っていて、障がいもあるというのに、

お母さんに温かい笑顔を向けられているその子たちは、

とても幸せそうで、キラキラした世界で、

私にとっては羨ましい存在に映ったのでした。



そして、私は思ったのです。



「私は障がい者だ」



ハッキリと思った記憶があるのです。



、じゃなくて、

、です。


あの子たちは、私の基準から言えば、障がい者ではない。

お母さんに笑顔をもらっている子は障がい者にはなれないのだから。


でも私の基準では、

お母さんに笑顔をもらった事が無いから、私は障がい者なのでした。




身体の障がいがあるならば、心の障がいもきっとあるはずで。

私は、心の障がい者だって、思ったのでした。



その記憶があるという事は、

いくら記憶が無いからと言っても、

やっぱり私は寂しいって感じていた証拠だよなって、

時々、思い出す事があるのです。



りりちゃんのごくちゅう日記を読んでいて、

その事を久しぶりに思い出しました。


わたしが忘れられないのは わたしが忘れられないのは 
ペットショップ で わんわんが 毛を きってもらってたこと。ニコニコで。きってるお姉さんも にこにこで。わたしは それが 忘れられなくって うれしくなんて ないです 悲しい、悲しかった わたしと、あのお姉さん なにが ちがいますか 私は、なんで こうですか 



私も、幼い頃思った事があったのです。


「あの車いすに乗って、お母さんから笑顔を向けられているあの子達と私、同じ人間なのに、なにが違うの?」


「誰か教えて欲しい。どうして私はこんなになってしまったの?」

「でも、母にも父にも、祖母にも、祖父にも、誰も分からないだろう」

「これは誰にも分からないことなんだ」


それもちゃんと分かっていたのです

だから、聞きませんでした。誰にも

どんなに寂しくても、誰にも聞かなかったんです

だって、この世界に答えを知ってる人は居ない



りりちゃんと同じ事を、私も過去に思っていたな。

記憶って、一瞬で蘇るから面白い。



大人になった今、このブログを書いていますが。


このブログは、

小さな頃、お母さんに笑顔を向けてもらえなくて寂しかった頃の自分へと、

こうしたら寂しくならなくなったよ!という報告書を、

宇宙にいる自分に向けて、同時に書いているものなのです。


私の過去と未来に、同時に出している手紙なのです。

今の私が、同時に存在している自分へ書いているのです。


自分のためだけの、ブログなのです。


これに気付いたのは、

この間、出版社的な人と話した時で。



「どうしてそんなに毎日、何千文字も書けるんですか?」

「普通じゃないよ」

と言われた時に、初めて考えた事なのでした。



考えた結果、

「自分が自分に書いているブログなのだから、情熱しかこもらなくて当然でしょ?」って思ってる自分に気づいたのです。



私は本当に寂しかった。

寂しくて寂しくて寂しくて、たまらなかったんです。


でも、だから頑張れた。

心に障がいを持ってしまった自分を治してあげたくて、ここまで頑張ったのです。


それが、文字数となっているだけです。


でも、この手紙も最近は、寂しい自分がほとんど居なくなってしまったので、

書けなくなってきていて、それはそれで寂しく感じています。



寂しい自分を無くそうと思ってやってきたのに、

実際に寂しい自分が居なくなってきてしまうと、

それはそれで寂しいなって思うのです。



寂しい自分が可哀想で嫌いだと思ったけれど、

振り返ってみれば、大切にしていた自分だったんだなって思うのです。



面白いもんで、人間を長くやってると、

寂しい自分が居なくなっていくと、

そういう自分に不安になったりします。



幸せになりたいって思ってるのに、

寂しい自分が減ってくると不安になってるんだから、

そんな自分って、アホだなーって思いながら、

そんな人間である自分を楽しんで生きていくしかないなって思う今日この頃です。



寂しいが全部無くなってしまうと、人間としての自分が消滅してしまう事を、

どこかでしっかりと分かってるんですね。



あの時思った様に、

幸せは人の心で決まるのだと、私は思うのです。


あの頃私は、お母さんが笑いかけてくれないから幸せが無いって思っていたけれど、そうじゃなくて、無かったのは自分そのものだったんだよね。


やっとやっと、答えが分かる大人になった!


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