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或る男と不倫について、そしてその後

一人の男がいた。
年齢は35歳前後。
身長は170センチ程度。
痩せ型。
既婚。

どこにでもいるごくごく標準的な男。

しかしこの男には不倫の癖があった。
本人には全くその意識がないが、
女好きだったのであろう、
それは紛れもなく不倫であり、
癖であった。 

ある時、男の不倫がバレてしまった。
会社の同僚A子に見られてしまったのである。
A子はおしゃべり好きの噂好きな質だったために絵に書いたように「あっ」と言う間に広まってしまい、もはやどうすることもできなかった。

男は、勤め先はもちろん、
妻にもその事を知られてしまい
しかるべき罰を受けた。

勤め先では処罰、
家庭では不仲が続き、
誰の目から見ても男は疲弊したように見えた。
実際そうだったと思う。
標準的な男性の体形であったが
次第にやつれていき、
目の下は暗く滲み、
日に日に口数も減っていった。

ついには日常の中で男の声を聞くことはなくなり、やつれてしまった不健康な見た目では誰も寄り付きたがらず、男は会社の中でも何をやっているのか分からない人物となっていった。
いるのかいないのかを気にかける人も日に日に減ってしまったのである。

変貌

そんなある日、男は昼食を食べに喫茶店に入った。
男はこれを境に変貌を遂げていく。いや、何か思いついたとでも言えばいいのだろうか。
閃きと執念、この2つが男を変えていったのである。

喫茶店の中に入るとすぐに店員がやってきた。
馴染みの店というわけではない。
店の中はどちらかといえば狭く、清潔感はあるが少し古めかしい内装だった。
男は二人がけの席に一人で座っていた。

そこまで空腹感もなかったため、軽食にでもしようと店員の顔を見た瞬間忘れていた感覚が蘇ってきた。

目には生気が宿り、
その態度はみるみるうちに自信を取り戻してゆき、
たったの数分で以前の男へと変貌を遂げた。

その店員に男は見とれてしまったのだ。
スラリと高い背丈、
髪型は清潔感のあるショートカット、
クッキリとした目鼻立ち。
ピッタリの好みのタイプだったのだ。

男は、初めて入った店ということもあり
自分の事を知らない人間に対して警戒心を抱く必要もなかった。
そのせいか、ええい、と大胆積極的になれた。

男は注文を頼むフリをしつつ世間話などを織り交ぜ、店員の情報を手に入れた。
そして、その後も通い続け、
数週間後には不倫をする仲になっていった。

懲りていたのかどうなのか、
元にも戻ったのである。
恐らく、これが元来の男の性質なのだろう。

さて、
ここまではよくあるダメ人間の典型例だと思う。
しかし男は違った。
厳密に言うと変わったのである。
さらに言うと内面に秘めていた真の姿が目を醒ましたのである。

「何故俺が噂話で痛い目を見ないといけないのか。俺は誰も傷つけることなく個人的な時間を過ごしていただけに過ぎない。それを下世話な噂話のせいでこの先の人生まで棒に振る必要があるのか!!それはどう考えてもおかしい!!俺には復讐する権利がある!!」

自分がやったことは棚の上、
今を取り巻く状況は全て不運とA子が招いた事だ、
と開き直ったのだ。

こうなると質が悪い。
しかし男は止まるつもりはなかった。
以来、白昼堂々と不倫を繰り返した。
それも、A子にバレるように。
そう。わざと繰り返しているのである。

当然噂は再び広まっていく。
しかし今度はなかなかバレないのである。
何故か。

男は自分に不利になる証拠は残さなかったのである。そして事あるごとにA子に目撃されるように淡々と実行していった。

1回、2回、3回と目撃が増えていくがA子はその現場を噂以上にすることができない。
決定的な証拠がないためだ。

そしてある日、A子は自分の目を疑う事になる。

なんと、
自分の妹が男と一緒に歩いているのである!
一瞬動きが止まって目を見開いてしまった。
心臓がバクバクと音をたて、口の中が乾いていくのが分かる。
自分が見ているものを信じたくない、
と初めて思った。

何故あんな男と一緒に自分の妹が!
すぐにでも教えてやりたいが声をかけるのをためらってしまった。
知り合いだと思われたくないのと、どうか人違いであってほしいという思いが邪魔をしたのである。

そして男と妹とおぼしき人物はどんどん自分に近づいてくる。

そしてすれ違いざま、男は自信たっぷりの眼差しをA子へ向け、とうとうその場を去ってしまった。
それは僅か数秒の出来事だったがずっと続くように思えた瞬間だった。

A子は呆然としてしまい、その日起こった出来事を全て忘れてしまった。

逆転

男の計画は順調だった。
思惑通りに事が進んでいる。
いつかあいつに復讐をしてやる、
その思いだけが日に日に強くなっていった。

依然として不倫の噂は残ったままだったが、
近頃の男は妙に堂々としているし、
仕事も順調に進み始めたようで、
次第に信頼は戻りつつあるように見えた。

なにより、
A子のあの驚いた表情が脳裏に焼き付き、
計画が上手く進み始めた事に自信を持った。

一方のA子は何もかもが全く手につかない。
あの日なんてものを見てしまったんだ、と後悔が募るばかりで他の事を考えることができない。

妹本人に聞くこともできず、ただただ時間が過ぎていった。

もしもまた見かけてしまったらどうしよう、
と動揺してしまい、
仕事では精細を欠き、眠れない日々が続き、
心なしか食べ物も喉を通らなくなっていった。
それほどにショックだったのである。

そんなある日、ついに恐れていた事態が起こる。
またしても男と妹が一緒に歩いているのである!

A子は目を疑った。
どうか自分の妹ではありませんように。
他人の空似でありますように。

少しずつ近づくその人物を見ると、
もうどうしようもなかった。
紛れもなく自分の妹だった。

「あら、姉さん。こんなところで偶然ね」

と向こうから声がかかり、
驚きのあまり口から心臓が飛び出しそうになってしまったが冷静を装った。

「B子、久しぶりね。まさかこんなところで会うなんて」

「やぁ、お姉さんなのかい?せっかくだから今日はこの辺にしようか?」

男はわざとらしく別れを切り出したがB子はそれを遮った。

「いいの。次のお店にいきましょう。姉さん、また連絡するわ。少し調子悪そう。大丈夫?」

と一言残し去っていった。
しかし男の視線はその場に残ったままだった。
去り際にまたしてもA子を自信たっぷりの目線で見つめ、その場を後にした。

噂話

翌日、A子は一人で昼食を食べていた。
そこに現れたのは男である。

「今日は一人ですか?」

椅子に腰掛けながら放った一言にA子は驚きを隠せなかったが、次の瞬間には怒りの眼差しで男を睨みつけていた。

「そんなに怒らなくても。僕が何かやりましたか?」

A子はその言葉に冷静さを失いかけていた。

「どの口からそんな言葉が!あなた、私の妹だと知っててやってるでしょ!」

すると男は

「何を、ですか?」

A子は言葉に詰まった。
こんな所で大声で話す訳にはいかない。
誰の噂のタネになるか分かったもんじゃない。

「最近、調子悪そうですね。僕で良ければ相談に乗りますよ」

何でこんな男に相談を、そもそもお前さえいなければこんなことは起こらなかったのに!

「ほっといてもらえない?一人になりたいの」

A子は突き放したが男は立ち去る気配がない。

「そういえば妹さん、お姉さんが大好きみたいですね。いつもそのことばかり話してますよ。僕はずっと聞いてるだけなんですが。」

怒りですべての行動が止まってしまった。
一体何を話しているのか、どんなことを知っているのか、それを考えただけで全身が震えてしまった。

「妹に近寄るのはやめて」

男はひと呼吸おいて

「そうですね、そうしましょう」

すんなりと引き下がってしまいA子は呆気にとられた。

「でも、タダで、という訳にはいきませんね」

男は少し考えた素振りを見せた。

「あなたの噂話には少し困らされました。実際僕は誰にも迷惑かけていなかったはずなのに、長い時間辛い思いをすることになった。」

男は続けた。

「僕はそこで考えたんです。是非A子さんにも同じ思いをしていただけないだろうか、と」

A子はどんな表情をしていいのか分からなかった。

「難しい話ではありません。妹さんとの付き合いも出来たおかげで色々と知ることができました。少しばかり知られたくないような事も中にはあるみたいですね」

「何が言いたいの?」

「僕がA子さんの噂話を社内に広めていきます。いつもA子さんがつるんでるグループの皆さんと一緒に。」

A子は急激に食欲を失くしていった。
それまで他人事だった噂話、しかも自分の事をどこかで話されるかもしれないのだ。

「心配しないでください。いくつかはもう広めてあります。数日前から始めてますので」

男はニコッと笑いその場を去ろうとした。

「そうそう、言い忘れてましたが妹さんとはもう会いません。いい情報源になってくれましたよ。お礼を言っておいてください」

A子にまた怒りがこみ上げてきた。
同時に男は別のテーブルへと目をやった。
いつものA子のグループだ。
A子はとっさに視線をずらした。

男が何を話したのかは分からない。
だけど今までの私を見る目とは明らかに空気が違う。
そして自分が歓迎されていない事も分かる。

引き止める間もなく男は去っていった。
私の秘密は男によってバラされてしまった。
そしてそれは全てなのか分からない。
男が一体どこまで知っているのかも分からない。

A子は混乱し始めた。
これから社内でどう過ごしていけばいいのか。
全身の血の気が引いていくようだった。

この日を境に、A子に気軽に接する社員は少なくなっていった。
みんな遠慮がちになってしまったのだ。
ある者はA子を見るとわざとらしくその場を離れ、
ある者はA子とは目を合わさずに話し、
ある者はA子の事を知らないふりをした。

次第にA子は活気を失っていき、やがて異動することとなった。

その先でも同じような出来事に参ってしまい、ついには退職を決意したそうだ。

結末

さて、男はどんな噂を広めたのか。
実のところ何も広めていないのである。
ただの一つも。
そもそもそんな噂のタネなど全く仕入れておらず、男はそんな事に全く興味がなかった。
唯一本当の事は男がB子と歩いていた事だけだ。
そう、ただ一緒に歩いていただけ。

社内でもA子の噂なんてものは一切広がっておらず、
実際はA子の人を見る目が変わってしまったのが全ての原因だったのである。

いつも他人の噂話ばかりしている故に自分も同じようにされていると錯覚してしまい、自分から他人と距離をとってしまった。
他人からするといつも通りに接しているつもりでも、A子の方から勝手に離れていくので次第にみんなも同じように離れていったのである。

ついにはその場にいられず退職に至ってしまった。
次の勤め先では噂話をやめ、うまく人付き合いができるだろうか。

そして肝心の男はというと相変わらずどこかの誰かと不倫を続けていた。
果たしてまた制裁を受ける日は来るのだろうか。

人間とは、簡単には変われない生き物である。

【終】

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