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それ、病気じゃないよね?

喋らなくても学校生活が送れていたのは
必ず助けてくれる友だちがいたから。

例えば国語の授業で
先生の「主人公はどういう気持ちだったと思いますか?」という質問に
全員が自分の考えを発表する。

私の順番が回って来る。
どうしよう、、、困った顔で友だちを見ると友だちは私の席に来てくれる。
私は小声で友だちに耳打ちするんだ。
「先生、なぎちゃんの考えは〇〇だそうです」
友だちは私の考えを代弁してくれるから私は必要以上に喋らなくていい。

自分から友だちに話しかけることもしない。
誰かが声をかけてくれるのをじっと待っている。
自分から動かない。

喋らない、動かない、他人まかせ、のんびり屋が揃った
努力をしない怠け者だったのね。。。
ほんと、とんでもない子どもだったな。。。

でも、6年生のある日を境に
どうしても喋らなくてはいけない状況になった。

いつも助けてくれた友だちと喧嘩をしてしまったからだ。
喧嘩の理由は忘れてしまったけれど
たぶん思い違いとか些細なことだった気がする。

もう、友だちは助けてくれない。
自分で何とかしなくちゃいけない。。。

少しずつ喋るようになった。
ほんとに一言二言から・・・
ほら、その気になれば喋れる。
場面寡黙症なんて
自分に都合の良い病名をつけている場合じゃない。
本当は喋れるのだから。。。
ただ、怠けていただけ。

友だちに、素直に謝れなかった。
恩を仇で返すなんて、ほんと、最低だ。
ごめんなさいを素直に言えないことは
結局、大人になっても出来ないままだった。

大切な人との約束を破ったことも
素直にごめんなさいと謝ればよかったのに。。。

子どもの頃からの癖って
持って生まれた性格も相まって直すのは容易じゃないのかな?
ううん、そんなことない。
人間は日々の積み重ねが今を作っている。
気付いたら、変わろうとするのが人間だ。
私は人生全てにおいて努力しないで怠けていただけ。

ほんと、、、最低だな。。。






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