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不登校体験談

こんにちは、Nagiです。
今回は不登校になった中学一年のことを、書いていこうと思います。
よかったら最後まで見てってください。

この錆だらけで埃を被った記憶を復元できる自信がありません(笑)


中学入学式

制服に袖を通し、初めてくぐる学校の門。
この胸を埋め尽くしたのは期待ではなく、不安だけだった。

門をくぐれば、入学式へ向かう人の流れに流されるだけ。ここでどう動けばいいのか、わからないのは自分だけなんじゃないかと、妄想に近い恐れを抱いた。

入学式が終わり、教室に入れば息が詰まるほどの緊張と静寂が待っていた。
控えめに言っても、ここは地獄だ。

椅子を引くだけ、消しゴムを落とすだけ、隣の人に話しかけるだけ。
そんなことですら、魔女狩りされそうなくらい張り詰めた空気。

その環境で生きるために、なるべく人に合わせて、合わせて、合わせて、合わせた。気付けば私は入学前と別人になっていた。

ー6月


この頃、学校をちらほら休み始めていた。

私の学校生活は周りに合わせて、ルールを守って、そこにある道から1mmもはみ出さないようにする生活。

そんな学校に行こうとすると、不安が遠慮なく体にまとわりついて、足を止めようとして、玄関でうずくまることしかできなくなる。もう、疲れた。

親は私が休んだ日には、学校と同じように6時間の勉強をさせた。そこで自分の無力さを突きつけられて、胸が苦しくなった。

規範から逃げた先で待っていたのは、自由ではなく、また別の規範だった。嫌いだった勉強は、その苦痛を加速させ続けた。

おまけに先生も大ハズレだった。すぐ怒るし、「字が小さい」だなんてどうでもいいことに文句を言ってくる。

でもまぁ、確かに字は小さかった。今は正直、5mm方眼ノートの1マスに7文字くらいは書けそうなのはやばいと思ってる(笑)

ー7,8月


本格的に、不登校というものに染まり始めていた。

罪悪感と何も先の見えない絶望で、毎晩布団で泣いていた。とにかく死にたい気持ちだった。この自己嫌悪から逃げたかった。

最も辛かったのはこの時期だろう。誰からのサポートも受けられない時期。これでもかってくらい孤独の味を嚙み締めた。

夏休み前の三者面談で、夏休明けは別室登校にすることが決まった。

これから始まるのは告げられた環境の変化に怯える夏だろう。

『モナ・リザ』のように繊細で絶妙なバランスで成り立っている生活に、ほんの少しでも絵の具が垂れれば、台無しになってしまうかもしれないと恐れていた。

夏休み明け、別室登校をする前の面談をするらしい。

当日、あまりに重い体をなんとか布団から起こし、玄関を出る。

今にも重力に負けてしまいそうな体を引きずって、学校の門までたどり着く。

息が詰まりそうになって、心臓がいやな音をたてて、頭が真っ白になって、面談の部屋に入る。

面談は私のことを知るためだと知り、私は、あっけにとられた。かなり久しぶりに触れた優しさに、涙が出そうになった。本当に、本当に今までずっと、苦しかった。

ー9,10月


夏が終わった。

そして、親は私の頑なに勉強を拒む姿勢に耐えかねて、勉強を強制しなくなった。遂に、自由を手に入れた。規範に自分を変形させる生活が、終わった。

でもゲームに依存して、家に籠りきりの生活を、自由と言えるのか。薄暗い部屋に、青白く光る画面の前に縛り付けられる生活は、自由と呼べるのか。本当の自由とは、なんだろう。

「このままじゃだめだ」そう思えば思うほど焦燥感に駆られて、不安が溢れて、死にたくなる。私は迫りくる不安から逃げるように、青白い光を放つ画面に沈んでいく。

この頃、不安を免罪符に、家族や物に八つ当たりしていた。申し訳ない。だけどその時、そんなことを考える余裕は、微塵もなかった。

この時期も、また地獄の日々だったといえるだろう。私は、生きているので精一杯だった。周りのことなんて、何も見ていなかった。

でもこれから私の生活は目も眩むほどの成長を見せ、激動の日々を送ることになる。

と、思っていたが、現実は非情。
ゲームで埋め尽くされた、代わり映えしない生活が続く。


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