写真が切り取る5年前

5年前、フリーでカメラマンをやっている知り合いのおっちゃんに写真を撮ってもらったことがある。

京都の大原。バスがひっきりなしに行き交って観光客が絶えない街中から離れた山中だ。三千院などの観光スポットもあるけれど、京都市中心部ほど乱立していないので訪れる人もゆったりしている。

カメラマンのおっちゃんと、手伝いの友人が2人。その日のモデル、私。

変な4人組はごついカメラを2つとカメラバッグ、折り畳み式のレフ版を抱えて歩く。時期は8月。山のなかとはいえ汗がにじむ。

私は一番のお気に入りだった紺色のワンピースに、かかとの高いサンダルの組み合わせを着ていった。ワンピースは大き目の白い襟がアクセントになっている。汚れてもいい服装で行くのが正解の場所なのに、わざわざ可愛い服を着ている。モデルになるって大変だ。

一眼レフのレンズが私に向く。カメラマンが何かを調整している間、私はレンズに視線を送り続ける。「うわーー」と、口の中でつぶやいた。

軽い気持ちで被写体になったことを後悔した。

丸い顔、低い鼻、出っ歯ぎみの歯。運悪くニキビもできていた。自分の顔はコンプレックスだらけで、そのすべてをしっかりとレンズに見られている。

カメラを向けられたときの表情の作り方もよくわからなかった。目線のやり場を指示されて、とりあえずその方向に目を動かす。顔にはぎこちない笑顔が貼りついている。レンズに見られている側の身体全体がぱりぱりに乾いていくような感覚に陥った。

滝の横で、山道で、田んぼのあぜ道で。撮影スポットを探し歩いて、セッティングをする。「ここにもたれて」とか「猫じゃらしを持って歩いて」とか「もう少し身体を反らせて」とか、よくわからない指示がカメラマンから与えられる。カシャカシャと連続してシャッターを切られる。

慣れないことが数時間続いた。非日常を楽しむ余裕はなく、ただただ自意識にまみれて恥ずかしさに埋もれた時間だった。

今でもカメラマンのおっちゃんとは友だちだ。

「5年も前らしいぞ」。一昨日、送られてきたあの日の写真。
私は柔らかな緑の中で、にこりとカメラを見つめていた。

笑顔はやはりぎこちない。全体が硬くて笑ってしまうような写真もある。

だけど悪くないと思った。撮ってすぐに見せてもらったときには、自分の下手さにぐさっと落ち込んだのだけれど。

ぎこちなくっても、そのときにしかできない表情であり、身体の動きだ。
その瞬間を収める写真って素敵だと思った。

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