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「あくタイプ」の呼び名は捨て去るべきである

(2022/9/1) タイトルを変えることにした。炎上商法を狙った過激なタイトルにしても、誰もこの深刻な動物虐待に気を留めないからだ。おそらくみんなタイトルだけでスルー確定しているのだろう。それよりも自分の意志を明確に表すべきだと思った。

TL; DR

  • 「あくタイプ」という呼称には人間の偏見が多分に詰まっている。

  • そう呼ぶことは人間の当該ポケモンに対する認知を著しく遅らせ、ポケモンをさらなる非行に駆り立てる。

  • このような差別的名称を有名シリーズが使うことで、現実世界のいじめや差別を助長しかねない。

  • 善悪は行動によってはかられるべきで、生まれつきの何かで断定すべきではない。

序文

初めに、筆者は田尻智さんをはじめとして、ゲームという閉じられた世界をオープンなフィールドにして、対戦RPGという新たな地平を作り上げたポケモン製作者を尊敬している。しかし筆者は「あくタイプ」が嫌いだ。あくタイプのポケモンがじゃない。何の理由も無しに特定の種類のポケモンを悪と断じる無邪気な無神経さがである。

これは本来自分みたいな理系崩れが指摘するようなことではない。社会派のリベラルがすべきことだ。しかしそのような人たちからこのような声が上がらないのは、ゲームを文化的に、あるいはゲームの影響力を見くびっているからだろうか。そう考えると残念至極である。

そもそも「あくタイプ」とは

ポケモンはそれが持つ耐性によりタイプ分けされる。その多くが見た目の形質や生態と結びついているが、例えば竜のように見えてドラゴンタイプでないリザードン(ただしメガリザードンXはひこうタイプの代わりにドラゴンタイプである)というのもいる。これはゲームデザイン的な部分があるが、ゲーム世界においてポケモンのタイプ同定は技(偶然にも? ポケモンのタイプと一致する)との相性からなされるはずだ

あくタイプはそんなポケモンの18種類あるタイプの1つである。第2世代「金」「銀」の発売ではがねタイプとともに追加された。ゲームデザイン的な観点から言えば実質弱点が無く(有効なむしタイプの技が貧弱だったため)猛威を振るったエスパーへの牽制という意味合いが強い。

あくタイプの一般的な形質は以下のとおりである。

  • 全体的に黒づくめである。

  • 気性の荒いポケモンが多い。

  • 技名も「ふいうち」などのいかにも悪そうな名前が多い。

これはキャラ付けじゃない。差別そのものである

だがちょっと待ってほしい。彼らが「あく」だというのは人間側の勝手な思い込みでは無いだろうか

他のタイプが御三家タイプのような見た目にもわかりやすいものや、かくとう(これも技の見た目からの誤解があるかもしれない)やエスパーなどの技の特徴であることを踏まえると、あくタイプだけ善悪に踏み込んでいるという点で異質なのだ

確かに気性が荒いかもしれない。しかしだからと言って悪と決めつけるのは研究者の姿勢として問題がある。思い込みのバイアスで物事を見ては大事なことを見落としてしまう。黒づくめなのも白黒のコントラストがあるアブソルみたいな例外がいる。むしろあれは神々しさすら感じないか。技名があくどくなるのも「あくタイプ」という思い込みが作用していないか。つまりこれは人間側の差別である。

レッテル張りが人間、ポケモン両者にもたらす悲劇

人間の冷ややかな視線がポケモンにも伝わり、非行に走らせているのでは、とも考えられるのだ。ポケモンとの意思疎通は限定的でしかないが、おそらく現実世界のペットのように白い目で見られていることは伝わっているはず。そして人間側もポケモンへ偏見を募らせることになる。「あくタイプ」だからあんなことをする、嫌っていい、というお墨付きをタイプ名で与えてしまっているはずだ。これは紛れもないポケモン虐待だ(この一文は2022/9/1に追加)。ポケモン社会を変えるためにも、両者にとって損しかない「あくタイプ」の名は捨てなければならない。

そして、この問題をおそらくゲームフリークをはじめとした製作者が自覚しているだろうというのが救えない。あくタイプをメインで使うジムリーダーが執筆時点の最新作である「ソード」「シールド」のネズまでいなかったというのは、やはり悪というレッテルの後ろめたさがあったのではないか。

英語版ではこの問題は無い。「Evil」ではなく「Dark」だからである。「やみ」というのはネガティブなイメージがあるが、少なくとも善悪の判断は中立である。日本版も「やみ」とすべきではなかろうか

なぜこの問題を放置してはならないのか?

と、ここで終わればいい。問題はポケモンというフランチャイズが子どもから大人まで万人に人気だということである。つまりあくタイプの存在が子どもにレッテル張り、要するにいじめや差別をしていいというお墨付きを与えているからだ。

要するにポケモンがあくタイプというからお前も悪だと言っていいという論理武装に使われかねないのだ。流石にそんな話は聞いたことが無いから筆者の杞憂であってほしいとは思うが、それでも何の気なしに悪と呼ばれるものがいるという状況は子どもが中立にあるがままを見るという姿勢を削ぎかねない

レッテル張りと勧善懲悪は似て非なるものである

どんな漫画だって、アニメだって、特撮だって、映画だって悪は最初から悪ではない。勧善懲悪における悪の多くは、自分の目指す道が周りの善いと感じることと相いれない存在だ。ムサシは極貧生活から、コジロウはお坊ちゃま暮らしから離れたかっただけだ。そのはけ口がロケット団という活動だったのだ。

そして、悪が断罪されるのはその行いによってである。ムサシとコジロウ、そしてニャースは存在しているから断罪されるわけではない。サトシのピカチュウなどのポケモンを奪うなどの悪だくみをしているからこっぴどい鉄槌を受けるのだ。

悪であるという決めつけはロケット団トリオの社会復帰(作品としてありえない話であるが)を阻害することになる。偏見によって醸成された社会観念は差別の発端だ。フランスの反セクト法も特定団体の存在自体を否定するのではない。問題行動を法律で定義して、それを行う団体をしょっ引くのだ。

つまり「あくタイプ」という呼び名は「罪を憎んで人を憎まず」という社会原則に反している。そしてポケモンの子どもに対する影響力を考えると計り知れない問題でもある。株式会社ポケモンはこの問題に早急に取り組む必要がある。次回作の「スカーレット」「バイオレット」では「あくタイプ」という呼び名が無くなってほしいが、厳しいだろう。

最後に、筆者はあくタイプあくタイプ自体やそれに属するポケモン(説明不足のため2022/9/1に追記)が無くなればいいというわけではない。ポケモンの種別に善悪をつけるなという話であり、タイプ名を変えるべきだと考えているだけだ(タイプが抜けることでバランス調整がおかしくなるし)。ワルっぽいのは個性であって、レッテル張りではいけない

(2022/9/1追記)どくタイプは差別に当たるか

結論から言うと、差別というには少々弱いと思う。確かに多くのポケモンや人間に対して有害などくタイプ。毒を毒と呼ぶことで人間がポケモンと適切な距離を置けるというのは間違いない。これを「酸」や「薬」と言い換えても適切では無いだろう。しかし、毒は(現実の生物同様)ポケモンの身を守るために大事な役割を果たしている。そして、パラセクトの毒を漢方に転用するなど、人間は毒を薬に変えてきた歴史がある。

キョウやアンズなどのどくタイプトレーナーはむしろ「徳」と読み替えて大事にしていたのではないか。彼らは忍者だ。いろいろな方法で毒を有効活用していたわけだから。

おそらくどう考えても、どくタイプはどくタイプと呼ぶしかないだろう。しかし、あくタイプという分類は近年になって見出された概念である。人を不要に遠ざけているとしか言いようが無いのだ。

(2022/9/1追記)私はポケモンに関わる企業に何を求めるか

株式会社ポケモンをはじめとする、ポケモンを産み出す企業の皆様には次のことをお願い申し上げます。

  1. 「あくタイプ」という差別的名称の撤廃

  2. 反動物虐待、反差別、反いじめをはじめとした社会問題への積極的なコミット

1番に関しましては上記申し上げた通りですので、2番を説明いたします。ポケモンというシリーズは、「スカーレット」「バイオレット」で1000種を超えるだろうし、メガシンカなどのバリエーションを含めればさらにその数を増すという大変多様な生きものです。どのポケモンにもたくさんのファンがいます。これほど現代社会に必要な多様性を語るのに適したコンテンツはありません。

そして、ポケモンの存在を通して生きものの尊さを学んだ人も多いはずです。ポケモンのバリエーション、ダイバーシティを受け入れることは、差別やいじめを容認しないという選択への懸け橋となりましょう。まず特定種類のポケモンをさげすむような言い方をやめることで、ポケモン(そして現実世界の生きとし生けるもの)の尊厳を守ることの大事さを社会に示すことができます。ゲームフリークをはじめとしたスタッフの皆様もあらゆるポケモンに愛情をこめて仕事をされていると思います。それを社会にも向けてほしいと考えております。

「ミュウツーの逆襲」のテーマである「クローン(コピー)は同じポケモンと言えるか」というのは、ポケモンだからこそ描ける差別問題の一端だと感じます。そのように、説教臭くならない形で差別やいじめへの戦いをポケモンで示せるはずなのです。

ですから株式会社ポケモンには企業アクティビズムへの積極的な働きかけを期待しております。ポケモンという一大コンテンツがその姿勢を見せれば、社会の多くの人たちにもシグナルになるはずです。株式会社ポケモンのWebサイトにはそのような社会へのコミットを「ポケモン・ウィズ・ユー財団」の活動という限られた形でしか見つけられませんでした。アメリカで一番売れた日本映画が「ミュウツーの逆襲」である(そして、少なくとも21世紀中にこの記録が破られることは無いでしょう)ことから分かる通り、ポケモンには社会を変える力があると思います。だからこそ、社会正義へのコミットを深めてほしいのです。


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