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Satsuma's Band 薩摩軍楽伝習生 その5
薩摩バンドの楽器一式の値段に関する記事の中に「1500ドル」と「洋銀六千ドル」と「洋銀六千元」という2つの数字「1500」と「六千」、2つの単位「ドル」と「元」を記述しました。この数字「1500」は楽器購入費、「六千」は楽器と銃1500梃・薬莢製造機械全ての輸入費です。
ドルとは・・・ 1500ドルは楽器購入費としてどうやら事実に近い金額であろうことは、「Satsuma's Band 薩摩軍楽
Satsuma's Band 薩摩軍楽伝習生 その3
薩摩軍楽伝習生が使ったロンドンのディスティン社に発注された最高品質の楽器一揃いの値段は1500ドルでした。
1500弗 昭和16年に発行された小山作之助*1)遺稿「国歌君が代の由来」P.104に「(楽器買入代一組千五百弗也と思う)」と記されているのが、楽器購入価格が示されている最も古い記述かもしれません。(図1)
「楽器購入費が1500ドル」というのは、海軍軍楽隊史や中村祐庸遺録等にも見当
黒船の軍楽隊 番外編 ドラムスティック
函館図書館が所蔵する「異国人之絵」には1804年9月29日(文化元年9月7日)に長崎を訪れたロシア使節ニコライ・レザノフを含む6人・鑓・5つの旗が描かれています。描かれた人物の1人は鼓手です。
異国人之絵 魯西亜帝国(Россійская Имперія1721-1917年)は、1792年にアダム・ラクスマン(Адам Кириллович Лаксман1766-1806以降に死去)を使節と
黒船の軍楽隊 その17
1854年10月14日 (嘉永7年8月23日)に日英和親条約が締結しました。
1854年 3月31日 (嘉永7年3月3日) の日米和親条約と1855年 2月 7日 (安政元年12月21日) の日露和親条約の締結の間の期間に日英和親条約は結ばれました。
1853年から1854年のペリーの軍楽隊や1554年から1556年にかけてのプチャーチンの軍楽隊の記録はいくつかあります。
ということは、イ
黒船の軍楽隊 番外編 - ロシアンホルンオーケストラ
『発明家はホルン・オーケストラで使われるまっすぐなホルンを「牡羊の角」のようにリング状や渦巻き状に曲げて、行軍中や馬上での持ち運びを容易にしようと考えた』
ロシア唯一の音楽ジャンル 知らないことは今もこれからもたくさんあるのだと「黒船の軍楽隊-16」の記事を書いていて気付かされました。
「Рогово́й орке́стр(ホルン・オーケストラ)」はロシア唯一の音楽アンサンブルで、1751