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昔の昔の大昔の吹奏楽

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江戸末期・明治から昭和20年頃までの吹奏楽について
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記事一覧

Satsuma's Band 薩摩軍楽伝習生 その5

 薩摩バンドの楽器一式の値段に関する記事の中に「1500ドル」と「洋銀六千ドル」と「洋銀六千…

1934年(昭和9)ヂンタ以来

 ヂンタ以来(じんた このかた)は、堀内敬三*1氏がアオイ書房から出版した随筆集で、「ヂンタ…

Satsuma's Band 薩摩軍楽伝習生 その4

 残念ながら詳細な記録ではないのですが、薩摩軍楽伝習生が使った楽器購入に関わると思われる…

Satsuma's Band 薩摩軍楽伝習生 その3

 薩摩軍楽伝習生が使ったロンドンのディスティン社に発注された最高品質の楽器一揃いの値段は…

「国歌君が代の由来」(昭和16) その2

 献灯碑に刻まれた30名について小山作之助*1氏は、1914年(大正3)1月に元薩摩藩軍楽傳習生の折…

SATSUMA’S BAND 薩摩藩軍楽伝習生 その2

 ジョン・ウィリアム・フェントンは指導依頼を受けた薩摩軍楽伝習生のために軍楽隊で使われる…

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海軍軍楽隊の沿革

 薩摩藩軍楽伝習(1869年:明治2)の3年後の1872年(明治5年)に兵制改革があり海軍軍楽隊と陸軍軍楽隊が組織されました。初代海軍軍楽隊長を中村祐庸(碑には長倉祐庸)、初代陸軍軍楽隊長を西 謙蔵(碑には西 實一)が務めるなど、多くの伝習生が陸海軍楽隊のメンバーとして大きな役割を果たしました。  明治20年12月28日海軍省編の「海軍軍楽隊沿革資料*1」や「海軍軍楽隊沿革史*2」(昭和12年)には薩摩軍楽伝習生の氏名に関する記述は見当たりません。なお、「海軍軍楽隊沿革史

黒船の軍楽隊 その00

 従来の広く知られた知識では、日本の吹奏楽は大英帝国第10連隊軍楽長であるフェントン(1)に…

SATSUMA’S BAND 薩摩藩軍楽伝習生

 神奈川県横浜市中区妙香寺台8番地の妙香寺(みょうこうじ)*1は、「君が代」発祥の地および日…

黒船の軍楽隊 その19

 1853年7月8日(嘉永六年六月三日)にペリー艦隊は浦賀沖に来航投錨し、7月14日(嘉永六年六月九…

黒船の軍楽隊 番外編 ドラムスティック

 函館図書館が所蔵する「異国人之絵」には1804年9月29日(文化元年9月7日)に長崎を訪れたロシ…

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黒船の軍楽隊 その18

 1854年(嘉永7年)1855年(安政元年)の米英露3カ国との和親条約締結は、外国船来航の活発化につ…

黒船の軍楽隊 その17

 1854年10月14日 (嘉永7年8月23日)に日英和親条約が締結しました。  1854年 3月31日 (嘉永7…

「ザ・ファー・イースト」を読む その1

ザ・ファーイーストと薩摩軍楽伝習生  「ザ・ファー・イースト*1」はジョン・レディー・ブラック*2が明治3年(1870)5月に横浜で創刊した英字新聞で、紙面には記事に即した写真が貼付*3され隔週で発行されました。その発行部数を知ることができていませんが1部1ドルで販売されました。  この新聞には薩摩藩軍楽伝習生に関する記事が少なくても3回(4記事)掲載されました。  ・1870年7月16日 第1巻4号 「鐘楼」「薩摩バンド」  ・1870年9月16日 第1巻8号 「山手公