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家事をした自分に重きを置く

家事って「して当たり前」だと思っていませんか?
ついさっき、そうじゃないことに気がついたのです。

料理本を見ていたら白菜の漬け物レシピがあり、料理スイッチが入った。

野菜室から取り出す。
キッチンペーパーに包んで、さらに日持ちするビニール袋に入れてあった1/4の白菜を。

断面が少し茶色くなっていたから表面だけを包丁で削ぎ落とす。
もう片面も削ぎ落とし、芯の部分も切り落とした。

葉を切ろうとすると断面だけじゃなく、真ん中あたりの一部も茶色くなっていたことに気づく。

表の葉をめくってみると、ところどころ中まで茶色くなっていた…。
ダメだこりゃ。

これまでの手間は一体なんだったのか。

バサッとゴミ箱に捨て、再度野菜室から取り出したのはキャベツ。

キャベツも少々変色していたので、白菜とおなじように断面を削ぎ落とした。

1/4をさらに半分に切ってコールスロー用にザク切りに。
ボウルにぶち込み、色合いにニンジンを追加する。

洗って皮をむいたニンジン。
スライサーを使い細かい千切りにしたものをキャベツのボウルに加えた。

残りのニンジンも全部千切りにしてボウルごとレンジに入れる。
600Wで1分。

ちょっとしんなりしてほんのりあたたかいニンジンにオリーブオイルをかける。
そこへ塩をふる。
軽く混ぜてなじませておく。

キャベツのボウルにも小さじ1ほどの塩をふる。
ビニール手袋を両手にはめ、こぼさないよう気を配りながら底のほうのキャベツまで塩を行き渡らせる。

ここまでのざっくりとした下ごしらえ。

これって当たり前なのか…?

よく言う「自分を褒める」って、今、これらの作業をした自分に対してかけてあげるべき言葉じゃないのか?

ふとそんなことを思った。

家事って「日々しなきゃいけない」ことに分類されていたりする。
ホテル暮らしでない限り、家族の中の誰かがしないととんでもないことになりかねないから。

だけど家事って、特にワンオペだから思うことなのもかもしれないけれど、しなきゃいつか生活に支障が出てくる。
それはまちがいない。

だけど「して当たり前」ではない…よね?

家事って無償だから。

我が家の生活が裕福で、わたしは今後も働かなくてもいいと仮定する。
それなら旦那さんから毎月一定の生活費をもらって、その中でやりくりしてね、と。

そんなやりくりなら節約という方法をとり、がんばって工夫もする。

残金が自分のおこづかいになるんだから、そりゃはりきれるというもの。

だけどちがう。
現在、自分の意思で専業になっているけれど、近い将来働くことは決まっている。
だから現状として働いていないのに食べさせてもらっていることについては感謝しかない。

だけどやっぱり専業と言えども、家事は「して当たり前ではない」。

その日、家事をしなかった自分。
しようと思っていた箇所の掃除をしなかった自分。
家にいるのに、時間があるのに、なのにしなかった自分。

そんな自分を自分が責めることになる。

いや…。
責める前によく考えてみることが必要だった。

普段から家事をしない日はまずない。
当たり前のようにお弁当作りからはじまって、朝食を作って洗って片付けて。
洗濯して干して。
お風呂を洗って、トイレも洗って。
(掃除機はルンバだけどw)

休日はお昼ごはんに晩ごはん。
わたし一人でぜんぶの家事をこなす。

しなかった自分を責める必要なんてなかった。
して当たり前という考えもまちがっていた。

家事に重きを置くと、こういうまちがった考えになってしまう。
そうじゃない。

「家事をした自分に重きを置く」こと。

働きながら家事をする現代の女性たちよ。

「働いとんのにそんなこと(家事)までしとんのぉ?」
(三重弁w)と第三者に褒められたのなら、「いやいや~」なんて当たり前のように謙遜せず、

「そやで!がんばっとるもん!」
と、返してもいいのではないだろうか。

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