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「カウンセラー」って胡散臭くない?

転職するにあたって、毎回びっくりするんですが、
「占い師」と同じカテゴリーに「心理士」「カウンセラー」があるんですよ。
あと本屋に行くと、「スピリチュアル」という棚の横に「心理読み物」があるんですよね。

なんて書けばいいか……
語弊を恐れずに言うなれば、
要するに「胡散臭え職業」って思われてるよね……
ってことです。

いらすとやで「胡散臭い」って調べたら出てきた。

胡散臭いって、要は、何か怪しいというか、
騙されるような感じがするってことだと思うんですが、
なんていうのかな……
「この壺買えば、幸せになりますよ」と同列に、
「カウンセリングを受ければいい感じになれますよ」があるというか……。

多分、カウンセリング自体に信憑性とかがあるのかが不明確だし、
それをやっている心理士、カウンセラーという職業自体が不明確だよなと思うんですよね。

不明確にさせてしまっている理由があると思う。
何かというと、
心理士の機密性の高さがこれを起こさせているのではないかなって思うんです。
完全に個人的な考えですのでね、そこを踏まえて読んでくださいね。

心理屋は必ずシュレッダーを死ぬほどかける日が来る。

機密性の高さをもっと噛み砕きます。
多分2つの要素がこの機密性の高さを維持しているんだと思う。

①実施される空間と時間の維持に極振りしている

どこで、いつ、どのくらいの時間、どのくらいの値段で行うかに関しては、
スタッフ間でガチ議論が行われて決定される場合が多いです。

そもそも、カウンセリングとか検査という業務は、
クライアントさんと心理士との間で行われる、
非常に濃密でぎゅっとした時間で空間なんですよね。
基本的に、その場において他者の介在は絶対に許しません。
これは集団療法と言われるものでも実施されます。
利用者とスタッフ以外は絶対に介在を許しません。
そう、許さないレベルなんですよ、これは。
誰か入ってきようものなら、「帰れ」です。

だから、何しているのか周りには分かりづらいのよね。

でもよく考えてみてほしい。
カウンセリングは心のレスリングと前書きましたが、
正直さ、自分のガチレスリング、他の人に見られたい?

カウンセリング中はクライアントさんもワイらもこうなる時がある。

試合として上がるのではなくて、
自分の傷も怪我も嫌なところも全部見せるようなさ、
そういうレスリング他の人に見せたいと思う?いやくない? 
そういう生傷を扱うのが心理屋です。
だから絶対に他に見せない空間と時間作りに必死になるわけですよ。
そうすると上がるよね、機密性。


②門外不出の理論が結構ある

心理士の資格を提示しないと買えない本とか余裕である。

まじである。
絶対に出回らないようになっている理論がある。
一回心理検査の一部が映画で使われて、ガチもめしたことがあったような記憶がある。

特に心理検査の解釈や検査内容が外部に漏れると、
適正に結果が出ないことが起こり得る可能性が出てきてしまうんですよ。
ほら、人間ってちょっと良く見られたくなってしまうでしょ。
だから、心理検査を受けるってなった時、少し調べて、
ちょうどいい回答を用意していくみたいなことする人しかいなくなったら、
その人の心理状態とか正確に把握できなくなってしまうのよ。
心理検査を受ける人に不利益が生じてしまうでしょ。
だから、ワイら心理士でさえも、
検査の概要を知る前に、心理検査を受けて、
他の人に解釈してもらって自分たちの心を把握しています。
一回でも心理検査を受ける前に自分が心理検査実施者になってしまった場合、
その心理検査は受けられないのが暗黙の了解になっています。

門外不出の理論を抱えていたら、人ってどうなると思う?
全部隠したほうが楽でしょ。だから、発信しない。
ね、機密性高いでしょ。

心理屋の業務はマジでこうなる。


そう、心理士が扱うのは、人の生傷です。
だから、皆さんが思っているより100倍くらい秘密保持に気を遣っているし、
それができない人は心理士に向かないと言われるレベルです。

秘密保持のレベルも、人にはよるけれど、
自分の顔を出すこともカウンセリングの秘密保持が崩れる可能性があるとして、
全く表に出さない人もいます。

どういうことかというと、
例えば、ご自身がカウンセリングを受けているとして、
心理士が何かで顔を出したとしましょう。
自分の醜態痴態を知っている人が何かの発信をしていることを知ったら、
皆さんならどう思います?

もしかしたら、何か自分のことを言われてしまうのでは、
あの人に握られた秘密、拡散されるのでは、と不安に思ってしまう人も、
中には出てくる可能性があります。
だから、自分の存在も徹底して隠す人も、中にはいます。

論文書いている人とか多いから、完全に隠れることはできないけど、顔は絶対に割らせない人はいる。


SNS時代において、この拡散性のなさは、
胡散臭さを助長させてしまうよなとは思うけど、
まあ、致し方ない部分でもあるかも。
とは言えねえ、この胡散臭さはどうにかしないと、
メンタルケアが必要な人には届かないよねえとは思うんだわ。
そう、ここの妥協点を見出せていない、ワイら心理屋の職務怠慢とも言えます。
ごめんねえ。
あと、ワイらの括りでくくってしまった心理屋の皆さんもごめんねえ。
でも、頑張りてえよな、ワイら。

ツイッターランドが居心地いいんだ。

ここまで書いた通り、ワイら心理屋の機密性の高さが
昨今の胡散臭さを招いていたとしたら、
その妥協点は探して行きたいなとは思います。

ワイらがベースにしている心理学という学問は、
比較的新しいけれど、統計学、化学、解釈、哲学に基づいた、
データ至上主義の学問体系
です。

それを学び、生かすのがワイら心理屋です。

目に見えないものを扱っているからこそ、慎重に、データで動いているけれど、
自分の感情さえも仕事道具にしている人たちが心理士です。

特に臨床家と呼ばれる心理士たちは、覚悟が違う。

自分の命をはって心理業務をやっているところがあります。
だから、その覚悟に賭けていい瞬間はあると思うな。
胡散臭いかもしれないけれど、信じて良い人もいる。
言いたいのは、それだけです。

ただまあ、相性はありますし、心理士側の技量の問題で、
なんかちゃうな……となることはあります。
だからこそ、心理士の探し方が重要です。
心理士の探し方に関しては、また今度記事にしますね。

ところで、途中から、「カウンセラー」という言葉がなくなったの気づいた?
「心理士」と「カウンセラー」ってちょっとニュアンスちゃうんですよね。
これも、いずれ書きたい所存です。

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