ギター

才能はちょっと恥ずかしい

僕は文章を読まれるのが苦手です。

ライターとして仕事をしてるくせに、
目の前でしげしげと読まれたり
声に出して読まれたりすると
未だにこっ恥ずかしい思いがします。

・・・思えば高校生の頃。

ノートの端に書いていた
皮肉たっぷりの100文字コラムがバレ、
帰りのホームルームで
担任の先生に紹介されました。

「すごく良い文章なの!読んでみるわね!」

と言われ、
意気揚々と文面を音読されました。

そのときはものすごく
「穴があったら頭から突っ込みたい」
と思うほど恥ずかしかったんですが

運良くクラスの子(特に女性陣)から
まんざらでもない、いや大変うれしい
お褒めの言葉をいただいたので
どうにか一命をとりとめたのでした。

日頃からクラスメイトたちに
愛想振りまいておいて良かったです。

恥を忍んで恥を忘れて
「えいや」と書き続けたおかげで
少しは軽くなりましたが
今でもやっぱり緊張します。



僕はときどき歌を
人前で歌っているんですが、
これもまたエラく緊張します。

実はネット上にいくつか
アップされているんですが

自分が声を出していないのに
自分の歌声が聞こえるのが
ものすごく恥ずかしいです。

文章とか歌とか
自分の半身を見られているような
気分になるんですよね。

たくさんの人に見てほしいですが
僕のいないところで見てほしいっていう
ワガママなところがあります。

もし、街で買い物してるときなどで
自分の曲がかかってきたら
きっと誇らしいような恥ずかしいような
もどかしい気持ちになると思います。

プロのアーティストってすごいなと
変なところで感心しています。



イラストレーターや漫画家も、
初めて自分の作品をネット上にアップするとき
きっととてつもなく恥ずかしかったと思います。

ダンサーや俳優さんたちも
初めてのステージは恐怖だったでしょう。
最後の最後まで恥ずかしかったかもしれません。

営業マンや教師だって
最初はみんな同じような恥を感じます。

ワキ汗・冷や汗ダラダラです。

好きな人にあてたラブレターを
ゲタ箱に入れたときも
同じような気持ちになるんでしょうか?

きっと、そうに違いない。


少しだけ興奮の混じった恥ずかしさ。

赤面するような、文字通り赤っ恥。

でも、その恥ずかしさを乗り越えてこそ
技術は洗練されていくんでしょうね。

(恥ずかしくなくなってきたかなー)
と思っても
編集者や諸先輩方にダメ出し食らって
赤っ恥をかくこともあって

恥ずかしさは
切っても切れない腐れ縁になります。



恥ずかしさは悪いことではなく
むしろそれがあるから
恥ずかしくないように
しっかり作ろうと思えるんだと思います。

恥ずかしさゼロは面白くなく、
公然わいせつで捕まるだけです。

恥ずかしさって
伸びしろがあるから感じる感情だと思います。
(自分はまだまだ)と思っているってことです。



才能に種があるんだとしたら
恥はきっと殻みたいなものでしょう。

ジャマになるときもありますが、
殻がないと種が傷んで腐ってしまいます。
種を守る大事な役割を持っているんですね。

恥ずかしさを持ちつつ、
それを脱ぎ捨てようとすることで
才能が芽吹くいていくんだと思います。

咲きっぱなしだと
やがて枯れて朽ちていきます。

ただ、面白いことに
咲いた花は種を残していきます

恥ずかしさはいつも脇に抱えて、
それでも「エイヤーッ!」
と少しずつ脱ぎ捨てていくことで

新しい種を出すキッカケに
なるのではないかと思います。


・・・自分で
文章や歌に才能があるようなことを
ほのめかす表現をしていますね。

我に返ると、なんだか
恥ずかしくなってきました・・・。

最後までお読みいただき
ありがとうございました。


nagatouch

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